第4話 竜精

 振り向きざまに勘で振った剣が、獣の爪とかち当たる。

 少女を抱えたまま大きくよろけ、どうにか倒れはしなかったけど腕の感覚が半分無い。

 獣は警戒を怠らず左右に体を動かして機を窺う。

 相当に手強い奴だった。


「ん……」

 腕の中で少女が呻く。

 露わな腹部から細い血が滴る。

 自力では歩けないだろう。

「逃げないよ」

 何より自分に言い聞かせ、痺れた右腕に力を込める。


 切っ先を獣に向けて牽制しつつ後退すると、獣も同じ速さで前に出る。

 いつでも殺せる。

 その事実が獣に余裕を与えている。

 牙の間から零れる唾液が地面に落ちると、草を焼けて薄黒い蒸気があがった。

 


「……て」

 少女の”声”に俺は目だけで下を見る。

 薄く開いた少女の瞳は青く、水晶のように透き通っている。

「わた……と……して……」

「なに、何を……」

 声はか細くて聞き取れない。


 けれど一つ気づいたことがある。

 焼けるように熱い獣の唾液を口内で受けていただろうに、少女の体に火傷の気配は全くない。

 細かな傷こそあるものの、全て刺傷や擦過傷のようだ。

 こんな状況でなければ、君は何者かと問いたかった。

 今そんな余裕はない。


 獣が前足に力を入れて、体を屈める。

 少女を降ろし、全身で立ち向かわなければ次の攻撃には耐えられない。

 けれどその後は?

 その後、彼女はどうなる?


「──」

 獣の体が地面を離れると同時に、俺は少女を背後に、両手で剣を持って迎え撃つ。


「う……!」

 叩きつけられる衝撃。

 腕だけでなく頭までもがイカれそうな暴圧。


 何かがきしむ不快な音がする。

 ──折れる!

 とっさに体内の魔力を腕に集めて強化した。

 魔術師並みとはいかなくても、多少の強化魔法の心得はある。

 それでもその場しのぎにしかならない。

 この獣は強力に過ぎる。


 頭上に獣の顎が迫っている。

 俺がつけたはずの傷はすでに塞がっている。

「化物が……!」

 歯を食いしばって耐えるものの、獣は片脚で俺を押しつぶしてくる。


 先に逝ったのは内臓だった。

「──うっ!?」

 痛みと同時に口から血が噴いた。

 それから腰骨が割れ、腹の筋肉が破れる感覚。

 痛みを通りこした絶望的不快感が全身を貫く。


 当然の失策。

 獣の攻撃を受けてはいけなかった。

 何が何でもかわして、攻撃し続けなければならなかった。

 

 けれどそんなことができただろうか?

 俺が身をかわした瞬間に獣は少女を捕らえるだろう。

 その後は牙で体を砕き、バラバラにして呑みこむのだろうか?

 


「──ああ」

 背後で声がする。

 もはや感覚のなくなった体を後ろに向ける。

 地面に伏す少女が、俺に向かって手を伸ばしている。

 美しい銀髪と青い瞳。

 あどけない表情は誰かに似ている気もするし、ただの錯覚かもしれない。

 

 ──すまない。

 君を守れなくて、すまない。

 喉が圧迫されて、声すら出せない。


 俺の内に燃え盛る“焔”よ。

 あらゆる精霊を焼き尽くす、憎悪の炎よ。

 どうか彼女を守ってくれ──


「──やく、して!」

 少女が叫ぶ。

 身体を起こし、地面に四つん這いになる。

「あ……ら、……きる!」

 自分の目が信じられなかった。

 青かったはずの少女の瞳が、燃えあがるように赤く染まる。

 くいしばった歯には、獣にも劣らない鋭い“牙”が見える。


 二の腕が歪み、ついに肩から先が動かなくなる。

 首元が裂ける。

 噴きだした血は意外と温かい──


「わたしと、契約して」


 少女が俺の首に手を回していた。


「わたしは、イア──」


 俺の耳に口を近づけて、彼女は名乗る。


「──最後の、“竜精ドランシー”」




 次の瞬間、意識が飛んだ。

 いや、何かと“融合”し、世界が変化した。


 身体が熱い。

 抱えた痛み全てを吹き飛ばすほどに熱い。

 けれど心地がいい。

 まるで、世界を統べるような気分だ。


 獣の顔が見える。

 赤い瞳が驚愕に見開き、俺から距離をとる。

 俺を押さえていた脚が焼けている。

 脚先の爪が、どろどろと地面に零れている。

 

 ああ、理解したんだ。

 立場が逆転したことを。

 お前は獲物になった。


 お前は傷つけた。

 俺と、彼女を。

 俺の、を。


 容赦はしない。


 炎よ。

 俺に棲む憎しみの焔よ。


 

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