紛い物と『甘い夢』と。

「お疲れさまでした」


今しがた取り外したばかりのプレートを手に、店主は一つ呟いた。

花のあしらわれたそれは、彼女がつくられる前からずっと、店先に掛かっていた物で。

それを持つ指に引けを取らないくらい錆びついていた。

ならば、それは店の外装も変わらない。

外壁にはいくつもの修繕跡があり、継ぎ目が目立つ点も店主にそっくり。


「……けれど、どちらにせよ終わりなのでしょうね。先に私がさようなら、しますから」


寂しげに少しばかり目を伏せたのち、店主は一度だけ、お辞儀をした。


「ありがとう……ございました」


それに答える者はいない。労う者もその場にはいない。

けれど、次に顔を上げた時、店主の表情は、幾分か穏やかなものになっていて。

軽く頷いた店主が店に戻ろうとした時だった。


「あのっ! お姉ちゃんっ!」


突然声をかけられたせいか、少しばかり店主の肩が跳ねて。

振り向いた少女の視線の先にいたのは、幼い少女だった。


「いかがなさいましたか?」


しかし、そう問うてみても少女は反応を見せない。

ただ目を丸くして、口を開く素振りすらない。


「……もしかして迷子でしょうか?」


その様子に痺れを切らしたのか、店主は少女の手を取る。

けれども、少女がそこから動く様子はない。


「……あの、おやめください」


それどころか、少女はまるでその場から動かすまいとするように強く手を握って。

やがては店主の手が軋み始める。


「……壊れてしまいますからっ」


少しばかり声を張り上げて、ようやく力は弱まった。

手を放し、開いて、閉じて。

特に関節に異常をきたしていないことを確認できて安心したのか、店主は一息つく。


「ごめんなさい、急に声を荒げてしまって。この手は壊れやすいものなのです。その点のみ、お気をつけください。それでは行きましょうか」


少しばかりの注意と共に、もう一度。店主が少女の手を取ろうとした時だった。


「ほんとだ……ほんとに……本物の、お人形さんだ……」


呆気に取られたような表情で、少女は何やら口にし始めた。

しかし、それもあまり長くは続かずに。

少女の方から店主の手を握りにいくと、輝いた目をこちらに向けたのち、頭を下げる。


「お願いっ! お姉ちゃんが、本物のお人形さんなら……あたしの妹を生き返らせてっ!」


* * *


「……なるほど。あなたの町に人形師はいないというわけですか」


「うん。だから頑張って、ここまで来たの」


出したお茶を啜り、クッキーをつまみながら少女は答える。

少女が出した名前は、ここからかなり遠い町のもの。

馬車を用いても恐らく二日ほどはかかるだろう。


「それでお人形さん、どうなの? あたしの妹を生き返らせることはできるの?」


しかし、お茶の苦さに顔を顰め、逆にクッキーはすぐに食べきってしまい、もう話す内容も無くなってしまったのか少女はそう問うてくる。


「……生き返らせる、というのはあなたの妹さんの記憶を用いて人形を作る行為を指す、ということでよろしいですか?」


「うん、きっとそれで合ってる……のかな? お友達が言ってたの。遠い町にいる人形師さんは、死んだ人の魂を人形の体に移して生き返らせてくれるんだって」


それに対して、店主は答えることができず、ただ少女の笑顔を見つめるのみ。


確かに、この少女の友達が言っていることも、表面的には間違ったことではない。

人格は、大抵記憶に依存するものであるために、人形に記憶を植え付けて容姿まで似せてしまえば、表面上はモデルとほぼ同じ人形が出来上がるのは事実だ。

……しかし、こんなものはあくまでも表面上に限った話であり、結局は、記憶によって作られた擬似的な人格になど、いくらでも綻びはある。

そして、その綻びから、やがては別の人格が生まれることもまた、少なくはない。


——だからこそ、辛いのです。


意思が芽生えた人形は苦しむ。

自分がモデルの代わりを務めることはできないと、植え付けられた記憶と自分の意思の間で板挟みになり、やがては自分が嫌になる。

そして、それは所有者も変わらない。

口調も、容姿も、モデルに似ている分、尚更に。


——けれど、彼女にそれが理解できるのでしょうか。


目を輝かせて、自分の妹が生き返る、と。

そう信じる少女に対して無理やり現実を突きつけることもできなくはなかった。

別に彼女は客などではなく、唐突に迷い込んできた面倒な子供にすぎない。


しかし、その選択肢は、今まで歩んできた道を否定するようなものでもあった。


——いえ、理解してもらわなければなりません。


であればこれはきっと、最後に与えられた人形師としての責務なのだ。

一人納得したように頷くと、店主は少女に向き直り、口を開く。


「……今日、あなたの両親に手紙を送ったとして……迎えにに来るまで七日ほどかかるでしょう。それまで、しばらく私があなたの面倒を見ます」


「本当に!? それじゃあ人形、作ってくれるの!?」


「……それはできません」


いつ口にしても辛いからこそ、あまり感情は込めたくなかった。

だからこそ、店主は淡々と事実を述べる。


「どうしてなの!? お人形さんのケチっ」


それに対する少女の反応もまた、わかりやすいものだった。

悔しさが勝ったのだろうか、少女の顔は赤くなり、両手を振って精一杯の悪口を浴びせてくる。

無理もないだろう。一人で長旅をして、ようやく辿り着いて、その挙句に断られたのだ。

むしろもっと腹を立てても、悔しがってもいいはずなのに。

堪えようとしているのか、歯を食いしばったのち、少女がそれ以上の反応を見せることはなかった。


「そちらを選んだ方が、辛いからです。……まだ少し、機が熟していないかもしれませんが」


しかし、今ここで説明したところできっと、今の彼女に受け入れることはできない。

少しばかり、時間をかけねば、と。店主は一度、頷いた。


「……とにかく、まずは夕飯にしましょう。日にちはまだあります。そのお話はまた、ゆっくりと」

「むぅ……どうしてもって言うんだったら……ご飯からでもいいよ」


口調とは裏腹に、表情は綻び、いくらか声のトーンも高い。

本当にわかりやすいほど、コロコロと表情が変わる子だ。

そんな姿にどこか愛らしさを感じたせいか、店主はいつの間にやら自分も表情が緩んできていることに気がついた。


「あっ! 今、お人形さん笑った!」

「……そんなに珍しいですか……?」


手を叩いて喜ぶ少女の前で考えることしばし。

確かに最近は劣化のせいか、あまり表情が移り変わることも少なくなっていたような気もする。

そう言った意味では少女にとって、新鮮な表情だったのだろう。


「うん! 誰かが笑うのを見るなんて久しぶりだったから!」

「……ところで、名前をお聞きしてもよろしいですか? これから七日間、暮らすわけですから」


「ん? えーっとね。『リザ』っていうの」

「リザさん、ですか。よろしくお願い致します」


腰を曲げ、店主は深々とお辞儀をする。

そんな彼女に対しリザは不思議そうな顔で尋ねた。


「お人形さんは教えてくれないの? 名前」

「生憎、私にはないものですから」

「ぅぅ……だったら考えようよ……」

「残念ながら、先約がありますので。……それでは、そろそろ買い出しに行こうと思うのですが、ついてきてくれますか?」

「お買い物!? うん! ついてくついてく!」


じゃれてくるような仕草に加えて、くりくりと丸っこい目がこちらを捉える。

まるで無邪気そのもの。何かを抱えている様子など、おくびにも出さない。


「それでは、行きましょうか」


店主を気遣ってか、少女の手を握る力は先ほどよりもやさしい。

彼女は少しばかり安心感を覚えながら、二人連れ立ち外へ出た。


* * *


「……シチュー、美味しかったぁ……」


時折リザの呟きに相槌を打ちながら、店主が一着のネグリジェを手直ししていた時のこと。


「……“あの子”も好きだったから。何だか、食べさせてあげたかったなぁって……」


一瞬、彼女の表情に陰りが見えた。

服の裾を強く握って、目を伏せて。

俯く姿は、先ほどまでの無邪気な表情とは対称的。だからこそ、それは尚更際立つものだった。


「……また、作って差し上げますよ」

「ほんとに!?」


丸っこい目が、またこちらを向き、口元が少しばかり緩む。

先ほどの陰りが一度はなりを潜めたことに安堵しながらも、店主は話を続ける。


「ええ、本当ですとも。何度も教わった自慢のレシピですから。そうそう忘れることはありませんよ」


その言葉に目を細めながら頷くリザの表情は嬉しそうなもの。

安堵感から息を吐くことはできなかったけれど、代わりに店主は喉の辺りを軽く鳴らした。


「できましたよ。少しばかりほつれてはいますが、ネグリジェです」

「これ……すてきっ! ねぇ、これって、お人形さんの……?」

「……いえ、私のモデルになった方のものです。私は基本的にお姉様から頂いた一着しか使っておりませんので」


そう言って店主は、自分のネグリジェを引っ張って見せる。

ほつれて、ツギハギだらけのそれは、元の色だったのであろう紫も相当薄くなってはいたが、まだ十分着れる状態を保ったものだった。


「お姉様……? お人形さんにもお姉ちゃんがいたの!?」


しかし、リザの興味の対象は、別の方向へとずれたようだった。

お姉様、というフレーズに食いついたのか、少しばかり興奮した様子で聞いてくる。


「……いえ。私のお姉様ではなく、あくまでも、私のモデルになった人物のお姉様です。ただ、記憶のせいでそう呼んでいるだけで……」

「うーん、難しくてよくわからないけど……お人形さんにもお姉ちゃんがいたんだ……そっかぁ……」


顎に指先を当てて、少し考え込むような仕草を見せたのち、リザは店主を指すと高らかに言い放った。


「あたし、お人形さんのお姉ちゃんのこと、とても気になるの! だから、教えてっ!」

「……いえ。記憶の破損によって段々と思い出せないことも増えているのです。話すとなるとまた……」

「だったら覚えてることだけでいいからっ! ね?」


弾むような声でそうお願いをしてくるリザに対して、店主が折れるのもまた、早かった。


「……わかりました。たまに、ですよ?」

「うん! たまに、ね!?」


彼女の浮かべる笑顔に先ほどまでの陰りはなく、眩しいほどだった。


* * *


「なんだか……不思議な気分です」


自分の腕を枕にして、隣で眠る少女がいるというのは、彼女にとって、初めての体験だった。

……いや、正確には刻み込まれた記憶の中では、お姉様が隣で寝てくれたこともあったかもしれない。


——けれど、それは私のものではないのです。


人形は睡眠を必要としない。

代わりにすることといえば、ただ記憶を整理し、身体を休ませるくらいのものだ。

それも、今ではあまり意味をなさないものではあったが。


「……おやすみなさい」


そっと声をかけて、店主は彼女の額を軽く撫ぜた。

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