それはまだ『私の中で生きていて』。
「……王国は救われ、みんなは幸せになりましたとさ」
街角で開かれる人形劇。
ハッピーエンドで幕を閉じた物語。
そして通りすがった男は、止まぬ拍手に背を向ける。
——幼い頃から人形劇は嫌いだった。
幸せになったというのに、それらは笑顔一つ浮かべることなく。
両手を掲げ、はしゃいでいるかのように見せてくるその姿に生気などない。
所詮はそういうモノなのだ。
動き出したら
うっすらと見える糸に手繰られ、ただ動かされているだけで。
そこに意思なんか存在していない。
……いや、ある意味では同族嫌悪とすら呼べるものかもしれない。
ふと手を、肩を、膝を見てみると、そこにはうっすらと見える糸がある。
それは自分に絡みついていた。
それは自分を操っていた。
時々、手を動かしていて、足を動かしていて……ふと本当に自分の意思で動いているのか考えてしまうことがある。
そんな時には大抵、糸がピンと張っているように見えて。
まるで操り人形のようだと、見る度に自身に対する嫌悪感が募っていくものだった。
しかし、断つ方法がないわけではなかった。
と言うよりも、むしろ……これを断つために、わざわざ自分はあれほど嫌っていた場所へと向かおうとしているのだ。
少しでも早くこれを断ち切ってくれる“彼女”に会いたいと、足早に男は歩き出した。
* * *
「でしたら、こちらのお花が合っているかと。『純粋な愛』といった意味を持っておりますので」
「ありがとうございます! これでようやくあの人に告白ができる……!」
そこは一見、花屋にしか見えなかった。
大小違えど、店から出てくる人々が皆、手にしているのは花束。
店先は色彩豊かな花で彩られており、それは店内に入ったあとも変わりない。
見たことのないものから、季節にそぐわないものまで。不思議に思い目を凝らしてみると、そこに独特の光沢や生気がないために、これらが布製の造花であるらしいことに男は気がついた。
とはいえ、ここが目的地であることに違いはないようだ。
明らかに異質なモノがそこにあったために、男の中で一瞬にして確信が芽生える。
「……ここに、人形師はいるのか?」
目の前に立つ少女は、唐突にこちらが話しかけたというのに、驚くそぶりを見せるどころか顔色ひとつ変えることはない。
それもそのはずだった。
その頬は全くといっていいほど赤みがなくくすんだ白で、首から下も同様。継ぎ目がはっきりしている分、尚更たちが悪い。
そんな中でようやく反応を見せたかと思えば首を縦に振るくらいのもので。
むしろその際に鳴る関節の軋む音が、辛うじて残っていた人間らしさすらも打ち消していた。
最早、わかりやすいほどに少女は“人形”だったと言ってもいい。
「……はっ」
漏れた声音はそんな人形に対する嫌悪か、“彼女”とこのような形でしか会えないことに対する失望か。
それを無理やりかき消すように、男は口早に用件を伝える。
「会わせてもらってもいいか? 人形を頼みたいんだ」
対して人形が見せたのは、軽く息を吐くような仕草。
しかしそれすらもすぐにどこかへ追いやると、人形然とした顔を再びこちらに向けて、彼女は店の奥にある扉を指す。
「あちらの部屋でお待ちください。じきに、こちらを閉めますので」
* * *
「……まだなのか?」
客間に通されてからどれくらい経ったろう?
なかなか来ない人形師への恨み節と、“彼女”に少しでも早く会いたいとはやる焦燥からか、男は思わず文句を垂れる。
部屋はかなり殺風景なもので、ソファの前に置かれたテーブルには紙とペン、それと薄紫色の花が一輪あるのみ。
その上、窓には全てカーテンがかかっていたため、外の様子を図ることはできない。
固いソファに背を預け、待つことしばし。
人形が訪れたのは結局、男の背中が相当に痛んだ頃合いだった。
「大変遅くなってしまい申し訳ありませんでした。本日はお客様が多かったもので」
しかし、彼女は一人だけで。人形師を待っている様子すらも見せない。
——まさか、まだ待たせる気なのか?
苛立ちを隠しきれていない、少しばかり上ずった声で男は尋ねる。
「あと、どれくらいで来る?」
その問いに対して人形は答えない。
代わりにしたことといえば、そのままソファに腰掛けたことくらい。
その態度に、思わず男が声を荒げそうになった時だった。
「それでは、ご依頼の方に移らせて頂きます。どのような人形をご所望ですか?」
先ほどのくだりなど一切なかったかのように、彼女が口にしたのはそんなこと。
「まずは質問に答えてくれ。人形師はどこだ」
全く要領を得ない話の順序に、男は再度問い詰める。
そこでようやく人形は、顎に指を当てたのち、何かに気づいたかのように軽く頷いた。
「……申し訳ありません、どうやら勘違いをしていたようで。既に人形師は私であるということを伝えたものと思っておりました」
——これが、人形師だった……?
思わず開いた口は塞がらずに。
むしろ、込み上げてくるのは人形が人形師であることへの不安。
呆然としたまま、流されるかのように男は依頼を口にする。
「……妻にもう一度、会わせてほしいんだ」
「その方は……もう亡くなられている、ということでよろしいですか?」
相変わらずの表情も、無遠慮な質問も。確かに男が気に入らないものばかりだった。
けれど、その問いに対して彼が返答しなかったのは決して腹が立っていたからではなくて。
憚られたからだった。
——認めたく、なかったからだ。
首肯すらできず男は、迷ったように目を泳がせるのみ。
仕草も、否定すらせず無言を通す姿勢も後ろ向き。状況を理解するのは、人形からしても容易かったのだろう。
「大変、申し訳ありませんが」
けれど、その言葉は最後まで続かなかった。
しばらく部屋は静寂を保ち、読み取れたのは精々後ろ向きな意味くらいのもの。
「……作りません」
少し篭るように一度目は発されて。
「……たとえ作ることができたとしても、私は、亡くなった方をモデルにした人形を作りません」
二度目、口にされた言葉はこの部屋においては十分すぎるほどに通るもので。
男は、否が応でもその意味を理解せざるを得なかった。
「だったら……なぜ!?」
思わず荒げた声が部屋中に響く。
納得がいかなかった。
いくわけがなかった。
彼女の答えは先ほどからずっと、形式通りのもの。
それは男が一番嫌う答えだった。
「なら……せめてっ……! 理由を教えてくれっ!」
そう吐き捨てたのちに俯いて。歪ませた表情が、それを証明していた。
「……そもそも、私自身が人をモデルにした人形でした」
だからこそ、次に人形が話し始めた際、口調が大きく違ったことに、男は目を見開いた。
「それは、モデルの記憶を植え付けられています。口調も、容姿も、モデルに似ています。……けれど、錯覚に過ぎないと。それに気づいた頃から……だったのでしょうね。その方が毎夜、声を押し殺して泣くようになったのは」
語り口が淡々としているのは変わりない。
決して、表情を強く歪ませることもない。
けれど、次に発されたのは、消え入りそうなほどに小さく、所々途切れる声。
「結局……モデルになった人物の代わりにはなり得ません。……泣きじゃくっているのを知っていても、寄り添うことすらできません」
その声音は、“彼女”を失った時の自分とよく似ていて。
仕草や顔色から読み取ることはできなくても、同じ情念——『後悔』を孕んだものである、と。
それの意味を理解することは、男からしても、容易いものだった。
「……だからこそ、作らないのです。……作り物である私が言うのもおかしな話ですが、これが私の意思、なのです」
——ああ、おかしな話だ。人形に意思がどうのこうのなんて……。
感情の赴くままにそう言い返そうと。
男が顔を上げた時、それは、こちらを見つめていた。
瞬き一つしない瞳は肌とは違い、少しばかり透明な素材で作られているらしいもの。
人間以上に光を反射するそれは不気味でかつ、劣化のせいで生じたであろう濁りは、自身が作り物であることを証明しているようで、男が嫌悪感を募らせている一因でもあったというのに。
それが湛える光は、揺れていた。
「……っ」
声は言葉にならず、ただ漏れたのちに消えゆくばかり。
きっと、気づいてしまったせいだろう。
それが、モデルになった人物の代わりを務めようと振る舞う、
——そういった意味ではきっとこの人形も、自分と変わらない存在だったのだ。
とすれば、“彼女”にそれを背負わせたくはなかった。
自分を糸から放ってくれた“彼女”が、自分のエゴのせいで操り人形になるのは……許せたことではなかった。
「ご要望に添えず……申し訳ありませんでした」
「……いや、もういいよ」
男はもう冷めてしまったかのように薄く微笑む。
もう、諦めようかと、認めようかと思った。
“彼女”はいないのだと。
この糸を断ち切る術も、ないのだと。
しかし、それに反して人形はまだ、男の視線を捉えたままだった。
「けれど、私にできることはまだあります。たとえ造花であろうとも——」
そこで一度言葉を切ると、まるで確かめるように。
人形は小さく頷くと、もう一度声を発した。
「——想いだけはきっと、本物なのです。……お花を手向けましょう。貴方が苦しみ悩んだ末にこれで終わりにするのもまた、私の意思に反しています」
「……でも、花なんて……」
「特徴も、持つ意味も、全て私が教えて差し上げます。ですから——」
そこで止めたと言うことは、きっとその先の選択肢は、男自身に委ねられていると言っても良かった。
けれど、ここまで嫌悪感を示していた相手に、“彼女“への想いを伝えてもいいのか、彼は考えあぐねる。
——せめて、彼女がいいと言ってくれれば……。
一瞬、“彼女“からの許可を、望んだ時だった。
——そういえば、今しがた人形が発した声は凛としていた。
決して揺らがぬその声が不意に脳裏をよぎる。
それは、確かに強い意思を含んでいた。
——きっと、今の私に必要なのは、それではないのだろうか。
誰かの代わりとして作られた人形ですらも、意思を示してみせた。
——それが、私にはできない道理などない。
そして、“彼女”にしてもらうことでも、他の誰かにしてもらうことでもなく。
「わかった、話すよ。“彼女”がしてくれたことも、思い出も全部——」
——私自身にしかきっと、その糸は断ち切れないものなのだ。
たとえもう一度会うことができなかったとしても、せめて……後悔はしたくない。
「私は、彼女に想いを…….伝えたい。……よろしく頼む」
「もちろんです。それも私のお仕事ですので」
絞り出された声に対して微笑む少女の表情は、随分と柔らかいもので。
男は一つ、安堵の息を吐いた。
* * *
「……久しぶりだね」
“彼女”の眠る墓石の前で膝をついて、一つ挨拶すると男は静かに目を閉じる。
瞼の裏に映る情景は鮮やかだった。
少しもくすんではおらず、遠くなった日々を思い起こさせてくれた。
——初めて、君と会った時の私は随分とつまらない人間だったかもしれない。
『あなたはあまり笑わない人だったわよ』なんて言わせてしまったこと、ずっと、申し訳ないと思っていた。
それまでの私は、幼い頃には親の、少し大きくなったら友人の、大人になったら雇用主の、ずっと指図を受けてきたものだった。
逆にそうでなければ、どうすればいいのかわからなかった。
まるで操り人形のように。がんじがらめにされた中で生きていたから。
けれど、“君”が私を変えてくれた。
君と出会って、初めて身なりに気をつかうようになった。
初めて積極的にアプローチした。
初めてプレゼントを贈った。
初めて告白をした。
君が笑いかけてくれたから、ずっと隣にいてくれたから。
そして、君を愛したから。
君がそこにいて初めて、私は自分の意思で行動できるようになった。
だからこそ、その時が訪れて。私にはもう、君といた時のように振る舞える気がしなかった。
君がいなくなった後でも、もう一度会いたいという強い願いを私が持ったのも、そのせいだった。
——けれど、それ自体が……私がもう操り人形ではなく、自分で意思を持てるようになったことの証明だったようだ。
結局、今は叶わなかったとしても構わない。
君が遺してくれた願いが、意思が、代わりに私を動かしてくれるのだから。
「……生きていたよ、その愛は。君は遺してくれてた。……だから、ありがとう」
糸が既に視界から消えているのを確認したのちに。
持っていた花束をその場に置いて、男は小さく呟く。
その時一つ、風が吹いて。
供えられた純白の花を、軽く揺らした。
* * *
「……記憶すらも不鮮明になってきました。次第に褪せて、抜け落ちて。こうしないと、顔を思い出すのすら困難です」
語りかけても写真に写る人物は物を言わず、ただ少女に笑いかけるのみ。
「その時は、いつ訪れるのでしょう? ……お姉様」
たとえ悲しげな表情をしていても、その声音が震えていても、その頬を涙が伝うことはない。
写真が濡れることはない。
それを知っているせいか彼女は、尚更顔を強く歪めた。
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