“紛い物”より手向けの花を。

恒南茜

その一歩へ『祝福』を。

朝焼けが滲む空を、ひら、ひらりと風に乗って、一片ひとひらの花弁が舞っていた。


町から町を渡っていき、山を越え野も越えて——最後に行き着いたのは空を映して橙色に染まった海の上。


着水したのち、少しの時間を経て沈んだそれの上を、ブオンと蒸気を吐き出しながら一隻の船が通り過ぎていく。


舵をとる手は止めることなく、船の主人たる漁師は漁の直前にと、今しがた出発したばかりの港を振り返る。


日差しを避けるために塗られた石灰によって出来上がった白い外観の広がるその港町には、漁の開始に負けず劣らず既に開いている一つの店があった。


周辺地域ではあまり育たず、保存が容易ではないことから交易で渡ってくることも少ないために、この町では希少とされている花の模造品として作られた“造花”。


この町では滅多にお目にかかれないものから季節に合わないものまで——例え本物でなくとも生活に彩りを与えてくれる造花を取り扱っているその店は中々に繁盛していたが、流石に早朝というのもあってか客は一人もいないようだった。


しかし、カウンターに立つ店主はというと、退屈そうな素振りなど見せることはない。

することといえば、時々思い出したかのように錆びた球体関節を動かしては動きが悪いのを確認し、グリスをさすことくらいのもの。


そんな時間がしばらく続き、太陽も昇りきって町全体が起き出した頃のこと、カランカランと、来客を示すベルが鳴り響き二人の客がやってきた。


その店に来るのが初めてだったせいか、彼らはブラウスとエプロンの間から覗く店主の身体を見て表情を強張らせたが、店の性質上そういうこともあるだろうと無理に納得して、愛想笑いを作ったのち、依頼を口にした。


「“人形”を作ってほしいんです。なので、“人形師”に会わせてもらっても……?」


「まずは客間にどうぞ。そこで依頼についてお聞きします。当店の“人形師”は私ですので」


その一言に依頼者たちが目を丸くしたのも無理はない。


疑似的な記憶と知性を持ち、人間を模倣して作られた“人形”。

それを作る“人形師”という職をこの町で唯一、店主は兼ねていた。


「初めてのお客様には念のため伝えている事なのですが、“人形である私”にもきちんと務まる職ですのでご安心ください」


そして、そう一礼する店主——少女の姿を模したそれもまた、“人形”だった。


* * *


「僕たちがお願いしたいのは、“子供”なんです」


来客用のソファに腰掛け、開口一番に二人の客のうちの片方——男性が切り出したのはそんな依頼だった。


「それではまず、所望する理由についてお伺いしてもよろしいでしょうか?」

そう口にしながら店主は、もう一人の客である女性の方を真っ直ぐ見据える。


——これは……私が話さなければならない、ということ?


そう問うような視線で、彼女は同行者である男性の方を見つめる。

軽い目くばせと共に彼は頷き、程なくして、女性は口を開いた。


「……その……私たち、結婚してからもうすぐで、5年ほどで……」


しかし、言葉は続かなかった。放られたまま段々と萎んで、やがて消えゆき。声に詰まったせいか、女性は瞬きをするばかり。


「続きをお願いします」

「……あの、続きは僕が……」

「いえ、まずは奥様のお話を聞かねばなりません。人形作りとはそういうものですので」


庇うように男性が声を上げるが、店主の言葉が揺らぐことはない。

ただ彼女が求めているのは、女性が自らの口で説明すること、口調からはおおよそそんなことが察せられた。


きっと、もう店主が望む通りにせねばならないと、理解していたのだろう。

表情一つ変えない店主を一瞥した後に、小さくため息を吐くと、男性は女性の方を見て頷いた。

そんな男性の様子を見て、彼女も覚悟を決めたようで深く息を吸って吐くことしばし、か細い声ながらもようやく彼女は続きを口にする。


「……それ、なのに……私の体質のせいで……どうしても……」


けれどそれすらもすぐに途切れてしまい、その先は音にすらならず、情けなさからか彼女はそっと目を伏せる。

そんな妻の姿を見て、もう堪えられなくでもなったからだろうか。

男性が声を上げるまでにそう時間が空くことはなかった。


「もう、彼女に聞く必要は……。あとは僕が答えます。だから、これ以上彼女を追い詰めないでください!」

「でしたら、お引き受けできかねます」


それでも、店主の態度は頑なだった。例え男性が声を荒げようとも、意見を聞きはしない。


——妻の方が答えないのだったら、こんな仕事は受けられない。人形は諦めろ。


無表情ながらも、相変わらず口調だけは毅然としていて。

丁寧な口調の裏で、まるで店主はこう主張しているようであった。


……それでもきっと、諦めるという選択肢は存在していなかったのだ。


“それ”は確かに自分が望んだものでもある。しかし、誰よりも望んでいたのは——


もう一度だけ……せめてもう一度だけ店主を説得することはできないだろうか。


拳を握りしめ、男性がもう一度声を発しようとした時だった。


「——できなかったのです」


小さく耳に入ったのは、あまりにもか細い声。

けれど、隣で聞き取るのには、十分な声量をしていて。


「——私の、体質のせいで……どうしても……どうしても……子供はでき、なかったのです」


彼女にはどうしようもないことだというのに、気に病んでいるのだけは読み取れて。

だからこそ、何か声をかけたかった。

しかし、彼女は瞳を潤ませながらも真っ直ぐに店主を見つめる。

それは決して揺らがずに、言葉は途切れても萎むことはない。


「……でもっ、でも……強く望んだのは私で……だから、諦めることだけは、できません」


必死に紡がれたであろう言葉、それから読み取れたのは、純粋な彼女の意思。

そして、少なくともここまではっきりと彼女が他者に意思を伝えた場面を、男性は見たことがなかった。

そのせいだろうか、いつの間にか瞬きすらも忘れてしまっていて。


「——お願いします」


最後に彼女が店主に告げた一言と、深く頭を下げた姿は、強く脳裏に焼き付いていた。



「まずは謝罪をさせてください。先ほどまでの無礼な態度、申し訳ありませんでした」


再び店主が口を開いたのは、その言葉に驚いた女性が頭を上げたのと、丁度同じタイミングだった。

しかし、態度も表情も先ほどまでとは全く違う。

顔を上げた時の彼女の口元は、真一文字に引き締められたものではなく、幾分か綻んだものになっていて。

先ほどとは、全く違う印象を与えさせた。


「それでは、説明をいたします。通常、人形とはお客様から掬い上げた記憶を元に、疑似的な知性を植え付けたもののことを指すわけです。しかし——」


そこで一本指を立てると、彼女は一言一言噛み締めるように話を続けた。


「——当店は決して誰かをモデルにした“紛い物”ではなく、“オリジナル”の人形しか作りません。だからこそ、お客さまがそれを迎え入れるのに相応しい方か、どれほどそれを望んでいるのか、試しておりました。失礼ですが、奥様が少しばかり消極的に見えましたので」


「それでどうなんでしょう……。作っていただけるのですか?」


「ええ、もちろん。誠心誠意、お受けいたします」


そう問う男性に対して、そこだけは相変わらず毅然と、店主は答える。


「……まず土台とするために、あなた方が幼かった時の思い出からお聞かせください。お二人の相性ならきっと、掛け合わせても問題ないと思われますので」


ペンを手にして、そう説明する店主の表情は随分と柔らかくて……もしかしたら、微笑んですらいたのかもしれない。

思わず自分も笑みが滲むのを感じながら、妻と軽く目配せすると、二人は思い出を語り始めた。


* * *


——“完成はまだ先になりますが、先に、お二人とお子様の未来を『祝福』致しまして……造花ではありますが、『バラ』を贈らせていただきます”


店を出る際に渡されたピンク色のバラをそっと撫ぜながら、女性は軽く微笑んで、そっと一言口にした。


「私ね、ずっと、後悔してた。子供ができなかったのは自分のせいなのに、我儘で人形を望んで、そしてここに来てしまったこと」


——君のせいじゃない。そんなこと……あるわけがないじゃないか。


彼女の少しばかり後ろ向きな言葉を聞いて、そう反射的に口にしてしまいそうになる。

しかし彼は、妻の表情を見て少しばかり目を見開くと、すぐにその言葉を飲み込んだ。


何故って君が——


「でも、あなたが私を庇ってくれたから。だから、怖がることなんてないって。そう思えてきて」


——出会ってから初めて見るほど顔いっぱいに広がった笑みを、見せてくれたから。


「そうしたら私、一歩踏み出せたの。だから——」


* * *


「“ありがとうございました”、お姉様」


墓石へと持っていた花を供えると、彼女は関節を軋ませながらも、目線を合わせるようにしゃがんで、口を開いた。


「今日はお客様に贈ったのと同じ『バラ』です。『感謝』の意味も持っていますので……なんて、お姉様なら知っていますか。それにしても、素敵なお客様でしたよ? 二人共、互いのことを想い合っていて……それに、人形のことも強く望まれていました」


答える相手がおらずとも、彼女が語りかけ続けていた時だった。


ポツリ、と。


供えた花に一つ、水滴が落ちた。

当然、布でできたそれには弾くことなどできやしないために、一つのシミができる。

やがて降り始めた雨は彼女をも濡らし、色の抜けて仄白くなってしまった髪も、くすんだ肌も、弾けなかった分の水滴はそのまま染み込んでいく。


「……けれど、この花に棘はありません。相変わらず“紛い物”です。本物では、ないのです。……ごめんなさい」


それでも、そこかしこがシミだらけになろうと、彼女がそこから離れることはなく。

俯いたまま動くことがない彼女の表情は、ひどく歪んでいた。

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