19話 邂逅


いつも以上に気持ちが重かったが、学校へ行った。

もし、心に天気予報が適応されるのなら、間違いなく”曇りのち雨”だろう。


本当は休もうかと思ったが、プレゼン準備期間の最終日なので自宅に籠れなかった。

押し付けられて始めた生徒会補佐なのに、ここまで責任感を持つとは思わなかった。



そして、心なしかいつもよりも重たい教室のドアを開けると、空気が淀んでいるように感じた。

理由を尋ねる相手も居ないので、いつも通りに席に付くしかない。



席に座るためには鳥居さんの傍を通るので、お互いの姿が視界に入る。

鳥居さんは昨日のことが幻だったかのように、通常運転に見える。

でも、僕の首にくっきりと付いた傷跡が、容赦なく現実だったと叩きつけてくる。



「おはよう!アオト」


僕からするはずの挨拶を、先に鳥居さんから言われた。

突然の挨拶と”下の名前呼び”の驚きが重なり、電波が悪い無線のように受信が遅れた。



「おはようございます……」


挨拶されたので、礼儀として返さずにはいられなかった。

だが、鳥居さんのことを直視するのに後ろめたさを感じていたので、

到底聞こえるはずの無い小さい声になった。


そんな愛想の欠片も無い返事なのに、鳥居さんは『ニタッ』と愉悦に浸っている。

昨日の”魂が抜けたように冷たい鳥居さん”と目の前に居る人物が同じとは思えなかった。






結局、悩むだけで何も前には進まず、放課後になった。



クラスメイト達は部活や帰宅をするために教室から出ていくが、鳥居さんは女子グループと男子グループと盛り上がりを見せていた。

何か共通の話題で花を咲かせているのだろうか。



(あれ、田中君が居ない)


今更ながら、一番会いたくない相手の存在が無いことに気が付いた。

そういえば、朝から姿を見せていなかった。



カースト上位グループは相変わらず賑やかだったので、てっきり輪の中に居るものだと思っていた。

そのことが気掛かりで、リア充グループを眺めていると耳を疑うような事が聞こえてきた。



「マジ! ゆうとの本性はゲスだったのかw」

「クッソウザいんだけど(笑)」

「てか、調子乗りすぎなんだよっ」


クラスを支配する人たちが、夢中で田中君の陰口を零していた。

本人が居ないので隠れて噂をすることもなく、余計に拍車が掛かっているように見えた。


そして、何よりも信じがたいのは___

鳥居さんが涙を流しながら被害を訴えかけていることだ。



「あたしね、ゆうとに無理やり襲われそうになって、怖くて……」


『グスン』という効果音が聞こえてきそうなくらい、鳥居さんは泣きながら語っている。

その様子を見て、慰めたり憤激する人など反応は様々だ。

一貫して言えることは、田中君を敵視している事だ。



そんな様子の状態ではプレゼンの準備どころでは無いので、僕は荷物をまとめて帰り支度をした。


しかし、心配する気持ちとは裏腹に集団は解散していき、鳥居さんが僕の方へ歩み寄ってきた。



「待たせちゃって、ごめんね」


「え、大丈夫なんですか?」


僕の方へ来たということは、プレゼンの準備をするつもりなのだろう。

だが、本当に行なうのか再確認をせずにはいられなかった。



「うん!だって、今日はアオトと全然話せていないしさっ」


さっきまでの弱々しい鳥居さんは何処にも居なく、目に映るのは芝居を終えた女優の笑みだった。

根拠は無いけど、自分の思い描くように人をコントロールするために周囲を欺いているように感じた。



「そうですね……。因みにですが、どうして呼び方を変えたんですか?」


朝から気になっていたことを質問した。

クラスで僕のことを”アオト”と呼ぶ人は誰も居ない。

そもそも、下の名前を知っている人すら皆無だと思っていた。



「こうして仲良くなったんだしさ、いいじゃん!」


鳥居さんは深い理由も無く、ケロッとした態度で言う。

誰とでも仲良くなれる人は、相手との距離の詰め方に目を見張るものがあるな。

知らないうちに懐に入られている感覚だ。



「あ、そうそう! アオトはあたしの事を”お姉ちゃん”て呼んでね?」


「いや、でもそれは……」


この年で同級生の女子を”お姉ちゃん”呼ばわりするのが変だというのは分かる。

学校の誰かに見られたなら、特殊プレイ好きな変態と軽蔑されるに違いない。



「これは、アオトを変えるためだからっ!」


それを言われると、凄く断りづらい。

鳥居さんが卑屈な僕を変えるようサポートしてくれているのには感謝している。

実際、以前よりも学校に行くのが憂鬱では無くなっている。


でも、今回の”お姉ちゃん”呼びにどのような効果があるのか見当が付かない。




「人との壁を取り除くためだから!」


僕が恥ずかしさを伴う施策を飲み込まないので、鳥居さんは畳みかけてくる。

押しに弱い僕は、強気に出られると流されてしまいそうだ。



「そこまで嫌がられると、流石に傷つくね……」


強気な姿勢から一転し、次はしおらしい態度を見せつけられる。

そこまで落ち込まれると、罪悪感が湧いてくる。



「分かりました……」


遂に、僕は折れてしまった。

強引に商品を売りつけてくる営業に負けた気分だ。


「じゃぁ、今から練習ね! ほら、せーの!!」



「お姉ちゃん……」


言い終えた後、少し遅れて羞恥心が襲ってきた。

文字通り”穴があったら入りたい”を身をもって体感するとは思いもしなかった。




___が、その感情はすぐに消えることになった。


なぜなら、より強い”恐怖”という感情に上書きされたからだ。








「ねぇ、アオ。これはどういう状況なのかな??」



恥ずかしさで伏せていた目線を上げると、内に怒りを秘めた花が立っていた。



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