落ち込んでる人に読んでほしい文

@inudosi

第1話

 “私“は今の人生がけっこう好きだ。



 "私"は中学のとき死にたかった。



 小学生の頃。

 

 全能感。私はクラスの中心にいた。私は運動が得意であったし力も強かった。腕相撲ではクラスで1番強い。足も速い方だったし、人を笑わせるのも得意だった。声も大きかった。小学校のテストなんて90点か100点ばっかり。先生は私をよく指名したり話題に出したりしていた。それが気持ちよかった。自慢は好きではない。でもみんなの中心にいることが誇らしく、当たり前だった。


 家に帰るとすぐにゲーム。私が小学生になったくらいにゆとり教育が始まり、土曜日も休み。宿題もあんまりない。ゲーム三昧。ばあちゃんがゲームは1日1時間。と言うけれど結局2時間、3時間、と許してくれる。4時間はだめ。3時間もあぶない。私がもっと小さい頃よく背中におぶってくれた、ばあちゃん。おびが家にあってそれを使ってくれた。気持ちが悪くて子守唄を歌ってくれたばあちゃんの背中に、ゲロを吐いた。「これでもう大丈夫、すっきりしたろ」そう言ってたばあちゃんが好き。私は、ばあちゃん子。長いおびを持ち出して体をぐるぐる巻きにするのが好き。

 

 パパは自営業。ネジみたいな部品を売ったりしている。仕事の電話のとかはいつもと声が違う。声が大きい。時々怒ることがあるがびっくりする。でも私がお母さんに注意されると「それくらいいいんじゃない」と言う。元々はじいちゃんがこの仕事を始めたらしい。ばあちゃんが「じいちゃんは、ほんとおにイケメンだった」「ボーナスは100万円くらいあったんだよ」ってよく言ってる。ばあちゃんは毎朝仏壇の前で1時間くらい手を擦り合わせて拝んでいる。じいちゃんは私が産まれてきて、抱いてからすぐに亡くなってしまったみたい。私もたまに線香をあげる。いっぱい。あんまりいっぱいだとばあちゃんに止められる。3本くらい。そして祈る。

 世界がへいわでありますように。家族がけんこうでありますように。

 

 お母さんは仕事の手伝い。お母さんは家事もやってる。お母さんの料理が好き。口笛で「お母さん」って呼ぶと来てくれる。すごく優しい。全然怒らない。注意だけ。私が指を車のドアに挟んでしまったとき泣いてしまった。すごく痛かった。お母さんが勉強も見てくれる。100マス計算。ばあちゃんはダメ。


 ねえちゃん。なぜか思い出が少ない。仲は悪くない。良くもない。ディズニーランドとかが好き。たまごっちのゲームをくれた。朝起きて歯を磨かない。私が磨いてたら磨くようになった。


 そして犬が2匹。外で飼っている。私は学校で残しておいたパンを時々持って帰って犬にあげていた。犬は喜んで食べる。


 


 小学生の頃の私は、愚かで、幸せで、そして自由だった。

 



 中学生の頃


 私は絶望していた。


 中学は私が出身である小学校以外にも2つの小学校の生徒が入学する。

 入学してから私はソフトテニス部に入った。中のいい奴もいた。私は運動ができ、この部活ではほとんど経験者がいない。初めからそこそこの活躍ができ、いまだ全能感を感じていた。


 そして家に帰る。家ではパパが怒っていた。いつもの事だが怒鳴り声は嫌いだ。私はパパが2階で怒っているなか、家の中でも出来るだけ遠い1階のリビングに逃げる。話の内容はよく分からない。でもお母さんが悲しい顔して、それを見ていられなかった。そして胸がドキドキするが、怒鳴り声はいつまでも続かない。気がすむと数分後にはケロリと笑って会話を始めだす。パパは癇癪持ちだった。

 

 その日の癇癪は長かった。そしてその後もいつもと違った。

 

 お母さんが1階に降りてきて私に言う。「野球部に入ってくれないか?」と。


 パパは昔から野球が好きで私にも野球部に入らせたかったらしい。始めに癇癪の内容はそれではなかったが、怒り出すうちに内容が飛び火したらしい。パパは私が野球部に入らないなら仕事なんかやらないそうだ。

 お母さんは涙目でそう言った。正直嫌だ。しかし子供にとって親に仕事をしないにんて言われたらもうどうしようもない。どうしようもない恐怖なのだ。

 私はお母さんと目を合わせずに「わかった」とだけ言った。私はお母さんのことも好きなのだ。


 そうして私にとっての地獄が始まった。


 次の日ソフトテニス部に退部を申し出る。仮入部期間だったのですんなり済んだ。どうしたの?と友達に言われた。理由は恥ずかしくて、プライドが邪魔してハッキリ言えなかった。

 そして野球部に入部する。部活動紹介では初心者歓迎と言っていたが、入部するのはほとんど経験者だ。私の他に未経験者は1人しかいなかった。私は運動が出来るとはいえ、野球はそこまで簡単に出来る競技ではなかった。グローブで取るのはまだ出来た。しかし私はノーコンだったのだ。そもそも投げ方がよく分からない。顧問は経験者を想定していて投げ方を教えてくれたりはしない。同じ部員とキャッチボールから始まり、私の投げる球はあっちに行ったりこっちに行ったり。その度に「ヘタクソ‼︎」「ノーコン‼︎」と怒鳴られる。そうして私の相手は同じ未経験者の子とばかりになる。

 そして1週間程でその子は退部した。パソコン部に入った。私はまた言われる。「ヘタクソ‼︎」「ノーコン‼︎」「ええっ⁉︎○○とキャッチボールかよ!」その言葉を聞きながらボールを投げた。


 みかねたのか、入部してから1か月くらいで副顧問の先生が投げ方を教えてくれた。「なかなかしっかり教えてやれなくて悪かったな」と言って教えてくれた。私は嬉しさと悔しさが入り混じった感情で涙が出た。しかし、私のノーコンは治らなかった。その時には恐怖が身に染み付いていた。一球一球怖がりながらボールを投げる。腰が入っておらず、いわゆる手投げだ。コントロールなど身に付かず、20メートル程しか投げられない。

 練習でベース間の送球練習をする。先輩も合わせて数を数えながら。いーち!、にー!、さーん!

 100まで数えられたら終了。次の練習に入る。私の番がくる。投げる。逸れる。「なにやってんだよ‼︎」「また○○かよ‼︎」

 

 私は既に死にたかった。


 ある時は捕球ミスをして顔面にボールが当たり。

 ある時は空振りで新記録を更新し。

 ある時は凡庸なフライでエラーを起こす。未経験者にとってフライの距離感を掴むのは中々難しいのだ。私は恐怖で身体が強張っている。

 そして今日も今日とて明後日の方向にボールを投げる。

 

 私はいつでも死にたかった。


 週末練習試合がある。大きな大会ならば学校側がバスを手配してくれることもあるが、練習試合などでは父兄に車出しをお願いする。

 父兄。私に歳の離れた兄などいない。つまりパパだ。パパ。父。クソ親父。もう死ねばいいのに。

 ある時クソ親父が車出しをしていて道に迷った。私の他に2人の同級生を乗せていて試合に遅刻する。もう嫌だ…。


 かと言って私に死ぬ勇気などない。私は以外にも小心者であることにこの頃には気づいていた。私は卒業まであと何球、絶望の球を投げるのだろうか…


 小学校での全能感など等に無い。普段の授業でも放課後の練習が来ることに恐怖して、雨が降る事ばかり祈っていた。雨が降っていれば教室や体育館などで基礎トレーニングになる。やった、今日は雨だ‼︎

 放課後には晴れてしまった。グランドの水溜りを巨大スポンジを使って吸い取り、バケツに入れる。そして濡れてない土を被せてトンボで慣らす。でもこれで練習時間が少なくなる。神様ありがとうございます。


 私にとっての地獄のような日々を過ごして一年。

 三年の先輩が引退する。合同練習での心の負担が減る。良かった。

 副顧問は転勤になった。

 新しく後輩が入ってきた。どの後輩も小学生でリトルリーグをやっていて、同級生は知り合いばかり。私は知ってる人がいない。

 そうして送球練習がまた始まる。1か月が過ぎ後輩達も気がつき始める。私は大したことがないと。「また○○先輩ですかー」「しっかりしてくださいよー」


 ある時家で部屋に閉じこもった。その日は日曜日で午前中から部活の練習がある。部屋の引き戸に本棚を挟み、窓には鍵をかけカーテンを引く。真っ暗な部屋で外からお母さんやばあちゃんの声が聞こえる。「どうしたの?」

 お母さんとばあちゃんは私が野球部が嫌なことを知っているだろう。野球部に入ってから明らかに会話が少なくなった。お母さんはそれを知りつつも申し訳ないと思いつつ敢えて口にしない。クソ親父の機嫌が悪くなるからだ。ばあちゃんは昔ながらの人だから、私が嫌なのは分かっているだろうけどそこまで深く考えてないだろう。私が絶望している事に気づいていないだろう。

 私は考える。貯金の20万円で何処まで行けるのだろうか。リュックに着替えと貯金だけを入れて家を出る準備をする。

 部屋の外から呼びかける声が止み。隙を見て玄関で靴を履く。すぐに見つかった。お母さんの目は赤かった。泣きそうになる。私の事を甘やかしながら家の安定を優先して庇ってはくれないお母さん。私は、そんなお母さんが俺は憎くて、でもそれ以上に好きなのだ。

 私は家出を辞めた。

 辞めた時間から練習に行く事にする。

 顧問には「歯が痛くて歯医者に行ってた」と伝えた。今日は日曜日。果たして、日曜日にもやっている歯医者がこの辺にあっただろうか?私は今日も恥ずかしかった。


 続く練習の日々、多少はマシになっても私のノーコンは治らない。しかしようやく中学も折り返し地点だ。あと半分、辛い日々を過ごせばいいのだ。


 この頃には私たちのにも試合に出る者が出始めていた。1つ上の先輩達は人数も少なく、突出して上手い人はいなかった。私の同級生には先輩よりも早い球を投げコントロールも良い奴や、打率のいい奴もいた。顧問は来年を見据えて私達を練習試合や大会でも抜擢していく。私は誰がどう見ても1番ヘタクソだが、中学の顧問は先生でもある。多少は平等にしようとするのだろう。私にも練習試合に出る機会が何度かあった。ありがた迷惑だった。

 注意深く気をつけようと思えば思うほど身体が動かない。周りの視線が気になる。エラー。暴投。三振。そして身体がすくむ。またエラーの悪循環。

 ある時たまたまバットにボールが当たった。三遊間を抜け。私は走った。そんな事は今までなかった。一塁まで走りたかったが、練習試合で初めて打てて、驚いて、私の身体はついてこなかった。足がもつれて転んだ。なんと三遊間を抜けたのにライトに取られて一塁で刺された。私の人生で1番恥ずかしい記憶かもしれない。自分のベンチに帰りたくなかった。もっとも帰りたかった事など一度もないが。お調子者の同級生が「なにがおっこちてたんだよ‼︎」と笑いながら言う。みんなが笑う。恥ずかしかった。私も小学生の時は人を笑わせることが得意であったはずだが、こんな笑わせ方だっただろうか?思い出せない。思いだしたく無い。過去の栄光。全能感。嫌になる。何も出来ない。何もやりたく無い。


 私は試合中に祈る。どうか私を試合に出さないでくれ。


 三年になり、もう少しでこの地獄が終わるのかと思うと嬉しくなる。新しい一年に馬鹿にされてもこの場限りの付き合いだ。未来の私はこの時の一年の名前を誰も覚えていない。

 早ければ夏の大会だ。そこが勝負だ。そこで負ければようやく終わる。


 前にも言ったが私の代は強かった。私はもちろんヘタクソだが、本当に強かったのだ。どんどんどんどん勝ち進み、県大会ベスト4にまできてしまった。

 私の住んでいる県では優勝、準優勝の学校は全国大会に進まなくてはならない。

 

 あと一勝したらこの地獄がまだ続くのだ。


 もう俺を解放してくれ。


 私のチームは負けたまま最後のバッターを迎えた。チームのみんなが声の限り叫ぶ。

「「「「打てぇぇぇ‼︎」」」」


 スタンドではベンチに入れないメンバーがそれぞれのスタメンに合わせた曲をメガホンで怒鳴り散らしながら応援する。

「「「「ドカンと一発‼︎打ってみよー」」」」

「「「「かっ飛ばせー‼︎○○、○○、○○‼︎」」」」


 私もこの中にいた。

 みんなと一緒になりながら声を張り上げ心の中で神に祈った。


 三振してくれ



 キィィィン



 バットに当たったボールは、しかしてサードに捌かれ一塁でアウトになった。



 終わった。



 仲間が絶望に沈む中私だけは歓喜の声を上げたかった。


 


 帰りの荷物を纏め、球場の外で座り俯いているチームメイトに私も紛れて膝の中で泣いてるフリをした。嬉しかった。

 同時に嫌だった。


 皆が清らかな涙を流している中で、俺だけが腐っている。

 チームメイトに同情はしないが、『どうして私はこんなに汚い人間なんだろう』と。

 強烈な思い出である。


 その後の中学の事なんてほとんど記憶にない。

 

 俺はちっぽけで、恥ずかしく、オマケに汚い人間であったという事に早めに気づいたのは、嫌であるがいいことのように思える。



 その後も高校を適当に過ごして。専門学校を卒業した私は奨学金を借りた病院に御礼奉公として数年勤め、都会で看護師をやっている。


 野球部に無理矢理入れられてからお母さんとは壁が出来、ばあちゃんには不信感を抱き、クソ親父とは喋らない年数の方が長くなった。

 

 そして家族に相談もしないで寮のある職場を見つけ勝手に引っ越してきた。年収430万程度。毎月5万の実家への仕送り。それでも一人暮らしは自由で快適でそこそこ幸せである。



 全能感であった小学生。今でもいい思い出で戻りたくなるが、愚かな時代でもあった。

 何も考えず、人を笑わせるために他者を貶し、親を信じ、犬にイースト菌を与えるバカな自分であった。


 地獄の三年間。中学生。2度と戻りたくないが、自分の事を客観的に見る事ができ、小学生よりも賢くなれた。



 

 これを読んでくれた方へ。

 あなたは落ち込んでる事がありますか?

 学生であるなら自分の事を見つめ直してください。悩みがあるなら私の話と比較してみてください。私の話は人によっては大した事ではないかもしれませんが、私にとっては地獄の日々でした。傷の舐め合いかもしれませんが、不幸なのは貴方だけではありません。家族が信頼出来ないなら教師やお悩み相談室に相談するのもいいかもしれません。私は中学時代プライドが邪魔をして出来ませんでしたが、大人になった今ではそれも良かったかもしれないと思っています。くれぐれも怪しいサイトには手を出さないように。

 私の私見ですが、子供時代は家族が人生の全てであるように感じます。自分にとっての理想の家族があり、そこから外れると裏切られたように感じる事でしょう。

 悲しい事ですが理想の家族と言うものはほとんど存在しません。どこかで折り合いをつけていくしかないのです。

 私は今でも家族に対して不信感を持っていますが、母は好きですし、祖母にも好意的です。父とは中学から全く会話しておらず、そろそろ20年です。

 貴方が全く家族を好きでなくても構いません。自分を大切に。しかし思いやりの心は忘れないで欲しいと勝手ながら思います。他人の、私の勝手な感想です。

 最近『共感性緊張』と、言う言葉を耳にしました。共感するあまり相手が緊張してしまうと自分も緊張してしまうといった言葉です。 

 誠に勝手ながらこの文章を読んでくれた方にも私は幸せであって欲しいと思っています。そうする事で私が幸せに、感じる事ができるからです。幸せになってください。他人を傷つけないでください。私の為に…。


 世界がへいわでありますように。みんながけんこうでありますように。

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