第42話:逃げたあの日、立ち向かう今日

 神埼の最寄駅からいつかの日に辿った道を進むこと、30分。昭和の建築物が建ち並ぶ一昔前の団地の一角、一際異彩を放ちながら佇むボロ屋──神崎宅の前に到着した。


 色褪せた外壁、ところどころ欠けている瓦屋根、折れた雨樋。その外装は俺が以前来た時とほとんど変わっていない。


 既に知っていたとはいえ、あの神崎がここに住んでいるとは未だに驚きの要素が強い。


 あいつの外見と言えばまさしく天衣無縫。おとぎ話に出てくるような城に住んでいるイメージとのギャップは、ものすごいものがある。


 「……って、前に来た時も似たような事考えてたな」


 言いながら、俺は鞄の中からA4の茶封筒を出す。


 あの時は生徒手帳だったが、今回は茶封筒。


 生徒手帳の方が再現性があって良かったのかもしれないが、新しく始める関係だ。悪くはないだろう。


 「……とか思ってても、神崎に拒絶されたら元も子もないんだけどな」


 嵯峨山は神崎が優しいから大丈夫とか言ってたけど、正直言って関係性を継続できる可能性はほぼ感じていない。



 ……そりゃそうだ。



 俺は将来勝ち組になる人間とはいえ、客観的に見ればクラスカーストの最下層も最下層。


 対して神崎は頂点も頂点。


 神崎からしてみれば、俺と関わるメリットなんて何1つないはずだ。


 しかも神崎は俺のせいで神村に振られているし、神村だって誰とも知れぬ美少女と付き合っているのだ。


 それなのにまだ恋愛協力なんて烏滸おこがましいにも程がある。



 ……でも、それでも俺は、あいつとの関係性を終わらせたくない。



 そりゃべったり関わるってのは嫌だけど、このまま終わるってのも癪だ。


 「まぁ、要するにやるしかないんだよな」


 ダメで元々。ならやった方が良い。

 

 効率を差し置いて自分の意志を貫くなんて負け組って感じだが、この際都合の悪いことには目を瞑っておこう。


 1つ、2つ、3つと、深呼吸をする。


 「……よしっ」


 呼吸を整えた後、俺はチャイムを鳴らした。


 ピンポーンと鳴ってから数十秒、カラカラカラと弱々しい音を立てながら引き戸が開く。


 「…………」


 力なく開いた引き戸から現れたのは、神崎藍。しかし、学校で見られるほどの輝きは見られない。どこかどんよりしたオーラを纏っている。


 未だに振られたショックから抜け出せずに泣いていたのだろう、目は真っ赤に充血していて、少しやつれいているように見える。


 格好もおそらく中学の時に着ていたであろう赤色のジャージに身を包み、特徴的な藍色おさげも今はストレートに下ろしていた。



 ──と、全身を時間たっぷり観察できるくらいの間、神崎は俯いて直立していた。



 ……おい、ここは「キモい」でも「ウザい」でも良いからせめて反応しろよ。こんだけシリアスな雰囲気出されたら話を持ちかけにくいだろうが。



 とは思いつつも、1週間経っても傷心癒えぬ神崎だ。

 《他人が話しかけてくるまで話しかけない》がぼっちの基本原則だが、ここは気を遣って話しかけてやろう。


 「よ、よぉ神崎」


 我ながらキモすぎる吃りで声を掛けると、神崎は俯いていた視線を上に上げた。


 「あれ、葛岡君…………えっ、葛岡君⁉︎ きゃっ、なんで⁈」


 そして俺の顔を見て悲鳴のフォルテッシモ。


 ……俺の容姿はなんだ、もののけの類かなんかなのか。


 「お、俺で悪かったな」

 「ほ、ほんとだよ……葛岡君の顔は身体に悪いんだから」

 「人様の容姿をウイルス扱いすんな」


 ホッと、大してない胸を撫で下ろす神崎。板チョコのくせに……やはりこいつはストレスだ。


 がまぁ、なんにせよこれがこいつの通常運転でもある。俺の顔を見て少しでも普段のストレスフルな神崎に戻ったのなら良かったとしよう。


 と、キョトンと小首を傾げた神崎がこちらを覗く。


 「えーと、私の家まで、何の用かな?」

 「えっ? ……あ、あぁ。その、ほらっ、手紙だ手紙」


 用を聞かれて、慌てて俺は取り出していたA4の茶封筒を神崎に渡した。


 封筒を受け取ると、神崎は訝しむようにそれを見つめる。


 「手紙……もしかして傷心を狙ったラブレター?」

 「んなわけないだろ」


 あったとして、こんなだっせぇでっけぇ茶封筒に誰が入れるか。


 「学校の手紙だ。お前、神村に振られてから休んでたろ」

 「あぁ、それで……」


 神村というワードを聞いて、再び俯く神崎。


 振られたショックが1週間経っても拭えないのだろう、封筒を握った手が微かに震えている。こころなしか涙目になっているようにも見える。


 そしてそれは確信へと変わり、やがて神崎の目元から大粒の涙がこぼれていく。


 地面に1滴、また1滴とこぼれ落ち、儚げに散っていく。


 足掛け6年も人との関係を排斥してきた俺だ。こうして目の前で泣かれると、用意してきた言葉も吹っ飛んでしまう。


 「……えーっと、神崎」



 ただ、それでも俺は言わなければならない。不器用に、言葉を紡いでいく。



 「その……すまなかった。恋愛協力者でありながら、俺の依頼を達成してくれながら、お前の依頼を達成できなくて。お前が振られたのは俺のせいだ」


 「い、いや、そんなことないって! 私が振られたのは私のせい! 葛岡君は全然──」


 「お前がそう思っていたとしても、俺は俺のせいだと思っている」



 謝って許してもらおうとはこれっぽっちも思っていない。許されるとも思っていない。



 「だから、今回の責任をちゃんと取らせてほしい」



 神崎という逸材を台無しにしてしまった責任は、すべて俺にある。



 「友達もいないし、捻くれてるし、国語も物理もできないし、周りから見たらクラスカースト最底辺の俺だ。

 ……けど、それでも俺は勝つことには人一倍のこだわりがある。勝つのはいつも少数派。勝ち組たるこの俺がこのまま敗北で終わるのは許せないんだ」



 それは俺の中にある建前であり、本音。



 「正直言ってこれは俺のわがままだし、自己満足にすぎないし、断ったって構わない。だけどもし叶うことなら、敗北を取り返す機会が欲しい。だから神崎。もう一度──」



 そして、俺は話の結論を口にする。



 「──もう一度、俺と契約を結んでほしい。神崎が神村と付き合うことができるまで、できる限りのことをさせてくれ」



 言って、俺は頭を下げて右手を差し出す。



 今までの俺だったらきっとこんな場面は地球が崩壊するくらいあり得ないことだったと思う。


 勝負事で勝つのはいつも少数派。だからこそ俺は自らぼっちを選択して生きてきた。人との関わり、特に友達なんていう存在は根本的には自らの成長を阻害してくる枷にすぎないから。


 その信念は今まで一貫していたし、これからも変わる事はない。



 だけど俺は今、その信念を強引に捻じ曲げ、そして都合の良いように解釈して、神崎と新たな関係性──神崎との関係性の継続を、自らの意志で打診している。



 きっとそれは、神崎や嵯峨山、南野や神村といった面々と関わったことによって生まれた、俺の心情変化なのだろう。



 ……まぁ、さっきも言った通り、断られたら元も子もないんだけどな。



 ただ、そんな俺の心配も杞憂に終わった。



 しばらくの間が空いて──俺の手は握られた。



 ハッとして、俺は顔を上げる。



 そこには相変わらず涙を流している神崎。だが、陰鬱なオーラは薄くなっていた。


 「え、えーっと、良いのか?」


 みっともなくも狼狽えていると、神崎はしっかりとした口調で。


 「私は私が振られたのは自分のせいだと思っている。だけど葛岡君がそこまで言うなら──」


 そこで言葉を切り、神崎はいつものうざったい……いや、太陽も嫉妬するほどの輝かしい笑顔を浮かべ──そして言った。



 「──振られた責任、取ってよね? 葛岡君」

 「あ、あぁ。任せとけ」

 



 何にせよ、俺と神崎……いや、俺たちの関係性は、これからも続いていく。

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