第40話:本音と建前

 「なるほど、そういうことでしたか……どうりで最近神崎さんを見かけないと思ったらそういう事だったのですね……」


 嵯峨山を部室に呼び寄せた後、俺は事のあらましを話した。


 元々神崎とは利害が一致したことである種の契約を結んでいたこと。

 神崎が神村に振られてしまったこと。

 そしてその責任の取り方について悩んでいること。


 俺と神崎のここ3ヶ月間のすべてを、できるだけ詳しく。



 ふぅ、と嵯峨山はため息を1つつく。


 真剣な相談だからか、嵯峨山にしては珍しく真面目な表情で乗ってくれている。こればっかりは感謝しかない。


 「大体の事情は分かりました。要は葛岡さん、神崎さんが振られたことを負い目に感じていて、その責任をどうにかして負いたいけれど、その取り方が分からないと」

 「まぁ、そういうことになる、と思う」


 神崎の恋愛協力者でありながら神崎と神村をくっつけることができなかった、その責任。

 俺にはその責任を取る義務がある。


 が、足掛け6年に渡って人との関係を拒絶してきた人間だ。ビジネスのような関係だったとはいえ、こういった時の対処には疎い。


 だからこそ、1週間という時間を費やしても、答えを見つけられていない。


 「なぁ、俺はどうすれば良いんだ?」


 単刀直入に問うてみる。


 「ふぅむ……」


 すると嵯峨山は顎に手を当て考え込む仕草を見せる。普段ならアホくさく見える仕草も、今に限ってはインテリ系美少女の知性溢れる所作に見えた。


 しばらくの思考の後、嵯峨山はキョトンと小首を傾げる。


 「そもそもの話なんですけど、なんで葛岡さん、神崎さんが振られたことに負い目を感じているのですか?」

 「……はい?」


 虚を突いてきた嵯峨山の疑問に、一瞬俺は言い淀む。

 その隙に、嵯峨山は続けて。


 「だって考えてみてください? 神崎さんと葛岡さんの関係ってあくまで《協力》であって《結果》の保証ではないですよね。

 だったら根本的に考えれば契約は果たされていますし、葛岡さんが責任を取る必要もないじゃないですか」

 「まぁ、そりゃそうなんだけど……」


 こいつの言う通り、俺と神崎の間にある契約は利害の一致に基づく協力だ。協力であって結果の保証ではない。


 だから本質的に言えば、俺には神崎が神村に振られた責任を取る必要性はどこにもない。


 ……だが。


 「でも、それじゃあ不平等だろ。契約に対する結果が釣り合わない」


 契約とは、いつだって対等なものでなくてはならない。


 神崎は俺との協力関係において、廃部の危機を救ったという結果、いわば勝利をもたらした。


 だが、俺が神崎に与えたのは、神崎が神村に振られるというバッドエンド。勝利ではなく敗北だ。結果を見れば明らかに均衡が取れていない。


 勉強合宿やゴールデンウィークの取材といった過程こそ築けたのかもしれないが、結果がすべての世の中だ。そんなものはこの際考慮してはいけない。


 ……その不平等さが、俺は許せないんだ。


 「あいつは俺に勝利をもたらした。だけど俺があいつにもたらしたのは敗北だ。だからこそ、言い方は悪いかもしれないけど、俺にはその差分を補填する義務がある」


 それが、俺が神崎に対してできる最低限の償いのはずだ。


 「なるほど、結果の差分を埋め合わせるために神崎さんに何か償いをしたいという考えですか……」


 ポツリと呟いて、再び思考の体勢に入る嵯峨山。

 しかしすぐに何か思い至ったようで、今度は数秒で顔を上げる。


 「でも葛岡さん、そしたらそれって《逃げ》じゃないですか?」

 「…………はい?」


 意味の分からない指摘に、今度は3秒ほど言い淀んだ。


 「なんだよ、《逃げ》って」


 キッパリと言ってのける嵯峨山だが、いまいち何を言っているか分からない。


 ……俺が逃げてる?



 そんな馬鹿な。



 だいたい俺は何から逃げているって言うんだよ。



 頭の中に浮かんだその疑問はしかし、聞くまでもなく嵯峨山が言葉にした。


 「逃げは逃げです。葛岡さんは逃げているんですよ──神崎さんとこれからも関わり続けたいという、葛岡さん自身の気持ちから」

 「っ⁉︎ 違うっ‼︎」



 ……そんなはずはない。俺がそんなことを思うなんてありえない。



 勝つのはいつも少数派、したがってぼっちは勝ち組という信念を持つ俺が。


 その信念を信じ続けて5年間、友達を作らず、1人で自己研磨に励み続けてきた俺が。


 人と関わることは結局枷でしかないと思っているこの俺が。



 ……そんなこと、思うはずはない。



 「いいえ、違くありません」


 しかし嵯峨山は俺の言葉を冷静に否定する。


 「ち、違くなんか──」

 「葛岡さんはそう思っていても、側から見たら全然そうだと思いますよ。無自覚の気持ちってものもありますし」

 「……なぜそう言い切れる?」


 俺の疑念に、嵯峨山は端的に答える。


 「だって葛岡さん、責任の取り方が分からないとか私に言ってますけど、私に相談する前から責任の取り方に気づいていますよね? ──《神崎さんを研究同好会にとどめておくことを強制しない》という責任の取り方を」

 「っ⁉︎」

 「さっさとそれを実行すれば良いのにしなかったのはなぜですか?」

 「そ、それは……」


 確かに、それは自分でも分からない。



 神崎が振られた責任を取るならば、別に神崎に何かしらの埋め合わせをする必要性はない。


 こちらの報酬・研究同好会の存続の破棄──要は神崎の研究同好会からの除名──をすることでだって埋め合わせができたはずだ。


 だって神崎は俺との約束のためだけに俺の研究同好会に入部したのだ。居たくて居る場所じゃないに決まっている。


 いつもの、普段通りの俺なら、間違いなくこの選択をしていたに違いない。

 そんでもって、今の俺にも思考の上では間違いなくその選択肢は浮かんでいたに違いない。


 なのにその選択を俺は無意識的に避けていた。気づかないようにしていた。気づいていないふりをしていた。


 そうまでしてその選択肢を避けていた理由は分からない。

 

 というより、分かりたくないんだと思う、多分。


 その理由がきっと、俺が今まで是としてこなかった、悪と断じて排斥してきた、己の信念と矛盾したものだから。


 だが、嵯峨山は俺にそれを分からせる言葉を、ストレートに言ってのける。



 「神崎さんとこれからも関わり続けたかったからじゃないですか?」


 「………………」


 「もっと言うならば、神崎さんと関わるための《都合の良い建前》が欲しかったんじゃないですか?」


 「………………」


 「だから1人で悩んで、悩んで、それでも神崎さんと関わるための建前が思い浮かばなかったから、私に相談を持ちかけたんじゃないですか?」


 「………………」



 返す言葉がない。あるわけがない。嵯峨山の指摘が正しいから。



 ……そうか。そうなのか。俺って神崎とまだ、関わりたいと思っているのか。



 確かに、言われてみればそうなのかもしれない。


 あいつといた時間はいつも最悪で、ストレスで、苦痛で。


 だけど心の底では、楽しんでいたのかもしれない。


 じゃないと、事情があったとはいえ、個人主義の俺があんなに他人のために生真面目に行動を起こしてきた理由に説明がつかない。

 俺があいつと関わらないやり方だってもっとあったはずなのに、わざわざ俺と神崎が一緒になって行動する選択をしてきたことに説明がつかない。



 ……ったく、2度と他人と好んで関わらないって決めていたのに、何をやっているんだ俺は。


 でも、それが多分、勉強合宿の日に気づきかけて目を逸らした違和感の正体で、ここ3ヶ月の俺の中での変化なのだろう。



 「……降参」


 少数派が勝ち組だという考えそのものも。

 これからの高校生活をぼっちで生きたいと思っていることも。

 友達が悪だと思っていることも。


 今までの俺と変わらない。



 「あぁ、そうだよ」



 けど、認めざるを得ない。



 「認めたくはないが、どうやら俺はまだ神崎と関わっていたいらしい」

 「なんですかその他人事みたいな表現は」


 プスッと嵯峨山に笑われた。


 「仕方ないだろ、俺だってよく分かってないんだ」


 なにしろぼっちを6年間もやってるからな。他人と関わり続けたいって思うのも6年ぶりなんだ。



 ……でも、それでもまだ、何も問題は解決していない。



 俺と神崎の関係は祝勝会の日に終わっている。終わっている以上、元通りにするのは不可能だ。


 それに、どうやって神崎に対して責任を取ればいいのかも分からないまま。


 神崎と関わるための都合の良い建前を探していたことは事実かもしれないが、神崎が神村に振られたことに対する責任を感じているのもまた偽りない事実だ。


 その責任は、必ず取らなければならない。



 だから、俺は嵯峨山に改めて問う。



 「なぁ嵯峨山。俺は、どうすればいいんだ?」

 「えっ」


 問うと、さっきまでの真剣な表情から一見、嵯峨山は拍子抜けた表情になった。そして1つため息をついたのち、俺にジトッとした目を向けてくる。


 

 「普通に『なんでも1つ言うこと聞きますからどうか許してください神崎様〜』とか許しを乞えば良いんじゃないですか?」


 なんか急にテキトーになったなこいつ。そして声のトーンが小馬鹿にしていてイラッとする。



 「神崎さんなら優しいですし、普通に了承してくれると思いますけど」

 「それじゃあ言うこと聞いた時点で終わりだろ」

 「だったら神崎さんに頼み込んで神崎さんと友達になってもらうとか」

 「いや、友達は悪だからそれは嫌なんだが」

 「相変わらずそこは捻くれたままなんですね……」


 呆れられた。いやでも仕方ない。友達は俺にとっては悪だし。


 「あのー、良い加減更生したらどうですか?」

 「なんで俺の思想が犯罪扱いされてんだよ。思想の自由は憲法で保障されてんだろ」

 「そういうところが捻くれているって言うんですよ……」


 呆れた様子でこちらを見つめる嵯峨山。至って正論のはずなんだが……まぁ良い。


 「で、なんかねぇのかよ」


 改めて聞くと、嵯峨山は数秒思考したのち、俺に提案をしてきた。


 「人と関わる理由なんて探さなくても良いと思いますけど……まぁ、そうですね。どうしてもというのならば、もう1度新たな関係性を始めてみてはいかがですか?」

 「……関係性を?」

 「そうです。関わる理由がなくなったのなら、また作れば良いんですよ」


 なるほど、その発想はなかった。


 「でもどうやって作るんだ?」


 問うと、嵯峨山はコホンッと咳払いを1つつく。


 「時に葛岡さん。恋愛にルールって存在すると思いますか?」


 何をいきなり、と思うが、深いことを考えずに俺は答える。


 「ルールはねぇんじゃねぇか? 法則性はあるにしても」

 「ですよね。ルールはないわけですよ。……ということは神崎さんが神村さんのことを強奪しても構わないってことですよね?」

 「…………はい?」


 この巨乳、今とんでもなくぶっ飛んだこと言わなかったか?


 「いや、それはまずいだろ」

 「なぜまずいのですか?」


 だがこの女、平然とした表情をしてやがる。


 「彼女がいる男子のことを好きになっちゃいけない法律とか彼女がいる男子を奪っちゃいけない法律とか、そんなものは存在しませんよね? 別に奪っても何の罪にもならないわけです」


 ……それを世間的には浮気っていうと思うんだが。


 でもまぁあながち間違っているわけでもないのでこの際聞き逃すとして。


 「つまりあれか。協力を建前に神村の浮気を助長しろと、そう言っているわけだな」

 「そこは神崎さんの恋愛を応援するって言ってください」

 「言葉の綾にも程がある……お前捻くれすぎだろ」

 「葛岡さんの思考に合わせて捻くれてあげただけですから」


 俺に合わせて捻くれたとか、おいおい勘弁してくれよ。捻くれているのは世の中の方だろ。



 ……でも、まぁそうかもな。



 自分の信条すら強引に捻じ曲げて、それでもなお神崎との関係を持ち続けたいと思っている今の俺は、客観的に見て捻くれているんだろうな。



 俺と神崎の世にも奇妙な関係は、1週間前の神崎の告白によって終了した。だから今の俺には神崎と関わる理由がない。


 ゆえに俺はたとえ神崎と関わりたいと思っても、関わることはできない。



 だったら、また関わる理由を作ればいい。それを建前に、関わり続ければいい。そうやって犯した失敗の責任を取っていけばいい。



 「お前に相談したおかげで少しだけ気が楽になったよ。ありがとう」



 チラッと、腕時計を見る。気づけば時間はもうすぐ13時10分。ぴったし昼休みが終わる時間だ。



 「そろそろ行きましょうか」

 「あぁ」



 言って、俺たちはそれぞれの教室へと向かう。




 暗く、霧がかかったように見えていた世界は、いつの間にか明るく、くっきりと見えるようになっていた。

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