第38話:契約満了

 祝勝会もお開きになった午後8時半時過ぎ。


 「それじゃ、私たちはこっちなので」

 「じゃ、じゃあな……」


 大宮駅の改札前で嵯峨山、南野の2人と別れれば、いよいよ俺と神崎は2人きりだ。


 神崎の家には1度行ったことがあるから分かるが、こいつの家は俺の家からは近くも遠くもない。大宮駅から帰るとなれば方向は同じだ。


 「今日はありがとねーっ‼︎」


 2人が別の改札へ向かうのを俺と神崎は見届ける。


 「じゃ、私たちも行こっか」

 「……あぁ」


 頷き、俺は神崎の後ろを歩く。


 改札を通って向かったのは、3番線のプラットホーム。


 普段は1、2番線の京浜東北線を使うところだが、1日に数本だけ、大宮駅から武蔵野線沿線に直通する電車がある。


 俺と神崎は2人とも武蔵野線沿線の駅が最寄駅ゆえ、電光掲示板に表示されているからにはそっちに乗り込まない手はない。


 テキトーに車両に乗り込み、空いている席に腰を掛ける。


 他の路線と比べて、この電車は利用客が極端に少ない。乗り込んだ車両には俺と神崎の2人だけだった。


 大きくため息をつき、天を見上げる。 


 2人きりのこの空間。

 わずかに聞こえる換気扇の音。

 そして脳裏に浮かぶあの光景。


 ……気まずいな。


 普段であれば誰であろうと2人きりの状況に気まずさは感じない俺だが、あんな光景を見てしまってはさすがに気まずさを感じずにはいられない。


 神村球尊のフィアンセになるはずだった神崎が、神村のフィアンセになれなかったという現実。



 ……神崎の恋愛が敗北と確定した今、俺はどう責任を取れば良いのだろうか。



 「さっきからどうしたの? そんな重苦しい顔して」


 思い悩んでいると、わりと本気で心配そうな表情をした神崎がこちらを覗いてきた。


 「なんか、らしくないよ?」


 神崎の心配がる表情が俺の視野に入り込み、俺の視線を、意識さえも、彼女の表情に吸い付けてくる。



 ──その顔は欠点の1つもない、天衣無縫のように華麗で。



 ──それでいて定期考査では学年3位と優秀で。



 ──だけど神村相手には俺がいないと会話すらままならないほどに人格破綻して。



 ──それでも神村にはバカほど一途で。



 ……まったく、なんで神村はこんなにも可愛い神崎を彼女に選ばないのだろうか。こいつ以上のヒロインなんてなかなか見つからないだろうに。



 ……いや、それも都合の良い責任転嫁だな。



 こうなったのは全部自分のせい。これだけのポテンシャルがある人間を潰した責任を問われるのは、全部俺であるべきだ。


 「ねぇ、本当に大丈夫?」

 「……大丈夫だ。心配するな」


 ただ、今は言葉を濁すことしかできない。


 どう責任を取るべきか、その答えが分からないから。


 「なんでもないって、絶対何かあったでしょ」


 それでも、神崎は俺の心を見抜いたように追求してくる。


 「大丈夫。本当に大した事ないから」


 だけど、やはり俺は誤魔化すことしかできない。


 「……そっか、ならいいけど」


 断固としてお茶を濁す俺の姿勢に、神崎もそれ以上は言及してこなかった。


 少し時間が経ち、発車のメロディーがプラットホームに響き渡る。2コール分鳴り響いたのち、電車のドアが閉まった。


 電車に刹那の静寂が訪れ、やがてゆっくりと走り出す。


 駅のプラットホームを抜けると、車窓には煌びやかに輝く高層ビル群が映し出された。


 夜の帷はとうに下りたというのに、モヤモヤを抱えた俺の心中と対照的に外はキッパリと明るい。


 車窓を流れる光子群を、黙ったまま眺める俺と神崎。


 2人しかいないこの空間には無機質な音が細々と響き渡る。


 「あのさ、葛岡君」


 しばしの沈黙の後、神崎が口を開いた。


 「私と葛岡君が関わるようになってから、もうすぐ3ヶ月だよね」

 「まぁ、そうだな……」

 「たった3ヶ月だけど、いろんな事があったよね」

 「……いきなりどうした?」

 「まぁ良いから良いから」


 制される形で、俺は疑問を飲み込む。


 俺の意識が神崎の方に向いたのを確認して、神崎は天を眺めながら今日までの3ヶ月を語り出した。



 ──研究同好会の部室で初めて話したあの日のこと。



 ──ゴールデンウィークに嵯峨山と3人でサッカー部の試合を観に行ったこと。



 ──嵯峨山が俺たちに勉強を教えてほしいと懇願してきた日のこと。



 ──勉強合宿で起こったたくさんのこと。



 ──今日の祝勝会のこと。



 そのすべてを1つ1つ、ところどころ俺への愚痴みたいなものを挟みながら、懐かしむように神崎は振り返った。



 「これでも私、葛岡君には感謝してるんだよ?」


 そして回想を終えると、神崎は俺への感謝を述べてきた。


 「普段は何考えているか分かんないし、少し話せば捻くれたことしか言わないし、変態さんであることには変わりないし、ものすごく性格は悪いと思うけれど」

 「おいちょっと待て、なんで俺の悪口ばっかり連ねてんだよ」


 思わず突っ込んでしまうが、神崎は無視して「でも」と続ける。


 「葛岡君がいたから私は神村君との距離を縮められたし、少しだけだけど話せるようになった。2ショットだって撮れたし、合宿だってできた。

 私だけだったらこんなにも神村君との思い出を作ることはできなかった。それだけは断言できる。だから葛岡君、ありがとう」


 そう言って、神崎は回想を謝辞で締め括った。



 ……俺には、こいつに感謝される謂れなんてないのに。



 だって神村にはもう彼女が──。



 喉のすぐそこまで言葉が出てきて──俺は必死に飲み込む。



 神崎に糾弾されるのが怖いわけではない。神村に彼女ができたことを素直に伝えて、その後にボロクソ言われるのは構わない。


 むしろ結果を残せなかった者として俺は糾弾されるべきだ。



 ……でも、今ここで俺から事実を伝えるのは違う。



 俺がやってきた事が結果に繋がらない紛い物だったとしても、その中で築いてきたこいつの神村への想いは本物だ。


 だから、神崎の想いを否定する権利は俺にはない。


 神崎の想いを否定して良いのは地球上でただ1人、神村だけだ。


 ゆえにたとえこいつを負け戦に挑ませることになっても、俺は彼女の神村に対する想いを、否定してはならない。



 ……あぁ、いっそ過去に戻れたら良いのに。



 そんならしくないことを心の底から本気で思う。


 が、しかし、現実というのは非常に酷だ。


 後悔先に立たず。過去に戻ることは愚か、現実は時を止めることだって許してくれない。


 嫌々にでも、時というのは前にしか進んでくれないのだ。



 ……そしてそれは、人生という物語でも同じだ。



 「私さ、明日の放課後、神村君に告白しようと思ってるんだ」



 俺が時間を止めたいと、考える時間が欲しいと願っても、都合良く物語は止まってくれない。



 自分1人だけの世界なら、止めることはできるかもしれない。


 だが、今の俺はそうじゃない。


 事情が事情だとはいえ、今の俺の世界には確かに俺以外の人物が存在している。


 それは神崎であり、嵯峨山であり、南野であり、あるいは神村であり鳴岡先生であり。


 そいつらが突っ走る限り、物事は良くも悪くも、世界は力づくに変化していくのだ。



 「だから私たちの協力関係は今日で終わりにしよう。研究同好会の部員も集まったし、ちょうど区切りがいいかなって。

 もちろん部活は続けるけど……葛岡君は1人の方が良いでしょ? だから、これからはなるべく関わらないようにするよ」


 「っ⁈ そ、そうか……そうだな」


 「明日は自分で、自分1人で神村君に想いを伝えてくるから。だから今までありがとう」



 言って、神崎は荷物を抱えて立ち上がる。


 俺たちの乗っていた電車はいつの間にか長いトンネルを抜け、駅に着いていた。

 車窓から見える駅のホームには電車を待ち構える人たちで溢れかえっている。


 「明日は心の中で応援しててね!」


 今日イチ……いや、俺が知っている中で1番の笑顔を浮かべて、神崎は電車から降りていく。


 「あぁ、頑張ってこいよ」


 上手く笑えているとは思わない。ただ、それでも俺は精一杯の笑顔を浮かべて神崎を送り出す。


 ……我ながら無責任だ。


 振られるって分かっているのに彼女の背中を押すような言葉を掛ける無責任な自分に、久々に嫌気が差す。


 

 

 

 そして翌日。案の定神崎は神村に振られ──その翌日から、学校に姿を見せなくなった。

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