第35話:夜は性別関係なく恋バナらしい
スタジアムでの試合観戦を終え、風呂や歯磨きといった諸々すべての寝る準備を終えた頃、時刻は既に日を跨いでいた。
女子組3人を1階の広い客間にぶち込んだのち、トイレ、洗面所、キッチン、リビングと、1階の電気系統の消し忘れがないか確認してから、俺は2階の自室へと向かう。
俺の部屋は階段で2階に上がって、左手正面にある。音を立てないようにすり足で歩きながら、ゆっくりと引き戸を開けた。
……うん、俺の部屋だ。薄暗くてあんまりよく見えないがさすがガチのプライベートスペース。安心できる。
常夜灯の薄暗い光を頼りに自室に入り、俺は早速自分のベッドに仰向けに沈んだ。
風呂上がりだというのに抜けない疲労感もあって、いつも以上に重力を感じる。天井もいつもより幾分高く見えた。
天井をボーッと眺めながら、俺は今日……いや、昨日という1日を振り返る。
──1日が24時間とは思えないほどに、今日はたくさんの出来事があった。
来訪した途端に神崎が神村のかっこよさにやられて体調を崩した午前。
そこからアホの嵯峨山の家庭教師を務めた数時間。
迎えた昼、みんな昼食を忘れてやむを得ず料理を振る舞ってやって。
そっからさらに数時間、反省文の執筆と自分の勉強に勤しみ。
そんでもって今度は5人でサッカー観戦。
しかもそこでは神村と神崎のラブコメイベントに裏で奔走だ。
……なんだこの仕事量、拭えない敗北感は。土曜にこれだけの仕事させられるとか社畜以外の何者でもねぇだろ。
思わず心の中でぼやいてしまう俺。
しかし俺氏残念。こんな地獄が明日の夕方まで続くのだ。
しかも明日が終わったとて、そこが終わりではない。
休む暇なく月から金まで学校。12連勤のちょうど折り返し地点だと思うとさらに気が重くなる。
……あぁ、もう疲れた。寝よう。
そう思って布団に潜った刹那、周りを遠慮したような囁き声が聞こえてきた。
「今日の試合、凄かったね」
……まだ起きていたのか。
ベッドの隣、床に敷いた布団の上。寝ていたと思っていた神村が唐突に話しかけてきた。
なぜ俺の部屋に神村が。この状況を見たとき、ほとんどの人がそう思うだろう。
ただ、そこにはやむを得ない事情があった。
俺の部屋は聖域ゆえ、たとえ誰であろうと他人を招く事は絶対にしない……のだが、当然ながら俺の家にも部屋数というのが限られている。
うちの家で空いている部屋は1階の広めの客間のみ。だからそこに来客全員をぶち込むのが1番理想的なんだが、女子3人と一緒に神村も収容するのは色々とリスキーで神村が可哀想である。
……ほら、例えばふとした瞬間に神村の手が嵯峨山の胸に触れたりしたら痴漢で訴えられそうじゃん。あとは普通にお互い気まずくて寝られないとか。
さすがの俺とて最低限の配慮心は持ち合わせている。断念し、こうして俺の部屋で寝てもらう運びになったのだ。
……まぁ、俺的にはこっそりまぐわってもらっても構わなかったんだけどな。既成事実作れば搦め手で付き合えそうだし。
「……もしかして、もう寝ちゃった?」
変なこと考えていたら、再び神村に囁き声で声をかけられた。
「い、いやっ⁉︎ お、起きてるぞ?」
思わず裏返った声を出してしまった。……さて、話題はなんだったか。
「えーっと、なんだっけ?」
「今日の試合凄かったって話だけど……」
そうだった。今日見た試合が云々って話だった。
「あ、あぁ。凄かったな、うん」
言われて、ザッと試合を振り返る。
結果から言えば、さいたまの代理戦争は浦和の圧勝だった。
序盤に相手選手が退場したこともあって、こちらはやりたい放題。ピンチらしいピンチもなく、まさにホームチームの完勝と言える内容だった。
ホーム側からすれば興奮冷めやらぬ試合、逆にアウェイ側からすれば怒り心頭な試合。
どうりで日を跨いだのに健康優良児の神村が起きているわけだ。
「そっか。なら良かった」
ふと、ポツリと神村が呟いた。
「…………?」
ポツリと呟いた神村の言葉に疑問符をつけざるを得ないが、神村はそんなの気にせずだんまりとしている。どうやらここで会話は終了したらしい。
終わったものを改めて問いただすのはぼっちとしてナンセンスだ。余計な会話を増やすのは悪手以外の何物でもないので、俺もだんまりを決め込む。
静寂に包まれる俺の部屋。時折響く時間を刻む分針の音。
ボーッと天井を眺めていると、再び神村が静寂を破る言葉を発した。
「ところでさ、葛岡君って好きな人とかいるの?」
「……本当にところでだな」
唐突の話題に俺も思わず突っ込んでしまった。
……や、でも仕方ない。神村が恋バナとかいうワードを出すと思ってなかったから。
つーか、男子からそんなワードが出てくるとも思ってなかった。
「そういうのって恋に恋する偏差値低そうな女子がするもんじゃねぇのかよ」
「そ、そんなことないと思うけど」
そうなのか。それは初耳学。……でもまぁ、多分一生使わない知識なんだろうな。
「で、葛岡君はいるの?」
「いねぇよ」
やけにグイグイくるなと思いつつも即答した。
もちろん、俺には好きな人はいない。
恋愛然り、友情然り、絆然り、不確実で不透明なものに縋るのは無駄だ。確実性が保証されたものなんてその中にはないし、だからこそそこに人はそこに甘えや妥協を求め、互いに足を引っ張り合う。
だったら、そんなもんは切り捨てて、よっぽど確実性のある勉強に時間を費やした方が良い。
なんせ、恋愛よりも勉強の方がよっぽど将来役に立つしな。
「つーか、今まで1度たりとも好きな人なんてできた事ねぇよ」
「今まで1度も?」
キョトンと小首を傾げるように聞いてくる神村。それに短く肯定したのち、俺はこうも付け足しておいた。
「まぁ、嫌いな奴は山ほどできるんだけどな」
「へ、へぇ……」
かなり神村に引かれたが、本当のことだから仕方ない。
その証拠に、小学6年生の頃から年1で書き記している《絶対に許さないリスト》には述べ50人以上の名前が刻まれている。リストの候補者も含めれば、少なく見積もっても100人はいるはずだ。
それくらい、俺の周りは嫌いな奴でありふれている。……側から見たらろくな人間じゃねぇな、俺。
「で、でも嫌いな人が沢山いるのは良いんじゃないかな」
……というある種厭世に近しい呟きをしたのだが、しばしの静寂ののち、なぜか神村はフォローを入れてきた。
「いや、別に肯定して欲しいわけじゃないんだが」
「でも実際そうじゃない?」
神村は続ける。
「だって《好き》の反対は《嫌い》じゃなくて《無関心》って言うじゃん。
葛岡君ってどこか人を遠ざけるようなところがあるけれど、人が嫌いで遠ざけるのと関心がなくて遠ざけるのでは意味合いが違うというか。
だからちゃんと人を見ているっていう点では良いと思うんだ」
どんだけポジティブなんだこいつは。
と思ったが、ある側面ではこいつの言っていることが間違いってわけでもない。
無関心でいることは、ある場面においてはマイナスの感情をぶつけるよりも人を傷つけることがある。
どっちも一般的には辛いことに変わりはないだろうが、いじめっ子から暴言を吐かれるよりも心を許していた友達から無視される方が辛いと思う人もいるだろう。むしろ、そっちの方が多いまである。
その点、周りに無関心ではなく、嫌いという感情を抱いている俺はマシだと言えなくもない。
……が、それはあくまで結果だけ見た場合の話だ。
そこに原因を求めれば、見えてくる事象も変わってくる。
「そいつは少し違うな」
「?」
「俺は他人には一貫して無関心だけど、周りがそうじゃないから結果的に周りが嫌いになっているだけだ。だから人を見ているというよりは見ざるを得ないといった方が正しい」
俺は一貫して他人に興味を持たないようにしている。
理由は単純。興味を持つだけ無駄で、非効率で、たとえ関わったとしてもいつか絶対に裏切られるから。
だが、人同士の関係が双方向の矢印の上に成り立っている以上、仮にこっちに興味がなかったとしても、相手側から嫌悪の矢印を向けられれば嫌でも興味を持たざるを得ない。
良い例が、神崎の隣の席ってだけで俺に憎悪の視線を向けてくるクラスの男子ども。
そういう存在は誰にとってもストレスだし、だからこそこちらも牽制の牙を向けるのだ。
……にしてもあいつらマジでストレスだよな。3回くらい双葉の料理お見舞いされろ。
「だからお前のフォローは詭弁だし筋違いだ。お前が思っているほど俺は良い奴じゃねぇよ」
「そ、そうなのかな」
「そうだよ」
俺は人としてできた人間じゃない。客観的に見たって良い奴どころか悪い奴だろうし、なんてったって俺自身がそう思っている。
だが、それで良い。
人を信頼も信用もできないが、それゆえに全部自分で何とかしようとして、結局何とかしてきた自分が、いかにも勝ち組の人間っぽくて大好きだ。
だから、神村の言葉を否定した上で自分を肯定する言葉を付け足した。
「……まぁ、良い奴であるのと人生勝ち組であるのとではまったく話は違うけどな」
つーかこの世の中、人が良い奴ほど負け組の傾向にあるしな。逆説的に人の悪い鳴岡先生なんて勝ち組に分類されるまである。
世の中が理不尽だと言われる所以だ。
「ふふっ」
そんなことを言ったら神村に笑われた。
「なんだよ」
「いや、なんか葛岡君って意外と変わった人だなーって」
……意外ととは心外な。
「いやいや、順手で変わってるだろ俺。お前の目は節穴なの? モグラなの?」
「か、変わった人って言われるのは良いんだ……」
「当たり前だ。『優れた人間は決まって変わり者』ってア◯スの映画でも言ってるしな。人生の勝ち組たるこの俺をそこいらの有象無象と一緒にされたら困る」
「困るって……」
咄嗟に捲し立てた俺の理論武装に、神村も思わず苦笑いを浮かべる。
だが、それも一瞬のこと。次の瞬間には苦味の消えた笑いを浮かべていた。
「でも葛岡君、僕に負けてるじゃん、定期テスト。それで勝ち組って言うのは……」
「っ⁉︎ あ、あれだ、定期テストは物理と国語があるからノーカンだ。あんなもん教科として存在する方が悪い。つまり俺は悪くない」
「分かった、分かったよ葛岡君……ふふっ」
言って、再び笑う神村。屈託のない笑い声がかえって屈託あって嫌な気分だ。くっそ、実質俺が1位だってのに……。
つーか、そもそも最初の話題は恋バナだったよな。
そろそろ俺のターンでも良いだろ。
「んで、神村は好きな人とかっているのか?」
「えっ、僕?」
そうだよ、僕だよ僕。
「俺はいないって答えたんだ。俺にもお前の好きな人を聞く権利くらいはあるだろ」
無論、俺個人としては神村に好きな人がいるのかいないのか、またその好きな人とは誰なのか、そのことには微塵も興味はない。
だから恋バナなんてものに巻き込まれても、俺は自ら好きな人を聞いたりはしない。だって聞いたってしょうがないし。
だが俺は今、神崎の恋愛に協力している身でもある。
神村にとって神崎は好きな人であるかどうか、あるいは神崎以外に好きな人がいるのかどうか、その現在地を推し量る上では聞く必要もあるだろう。
……できれば今この時点で神崎のことを好きになってくれていると助かるんだけどな。
「ぼ、僕の好きな人かぁ……そうだね……」
ふんわりした声で言う神村。
少しばかり思考した後、答えた。
「……好きな人はいる、ってことだけ言っておこうかな」
「へぇ、誰なんだ?」
「でもそれだけ。誰が好きなのかはまだ秘密……かな」
……まぁ、そりゃそうか。いたとしても言わないよな。
俺と神村は何の関係もない、たまたま同じクラスなだけの赤の他人。神崎や嵯峨山みたいなビジネス的な関係にすらない赤の他人だ。
そんな奴に自分の最重要機密情報なんて漏らすはずがない。
むしろ、俺みたいな恋愛脳のない人間じゃないってことが分かっただけ十分だと考えるべきだ。
いずれにせよ、俺のやることは変わらない。
神崎とこいつが付き合えるように裏で手回しする。
そして俺はぼっちを取り戻す。
失われた高校生活を取り戻すことに全力を注ぐのみだ。
分針を刻む音が1つ鳴り響く。
「明日もあるし、もう寝よっか」
「……あぁ」
疲れていたのか、すぐに眠りにつくことができた。
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