第34話:好きにならずにはいられない
試合開始10分前。
両チームのスタメン発表も終わり、いよいよ緊迫した雰囲気がスタジアムを支配し始めた。
俺たちから見て左側にはビジターチームの応援席。さっきから「浦和ぶちのめせ」だの「さいたまを染め上げろ」だの物騒な歌詞ばっかり聞こえてくる。
ダービーマッチ専用のチャントだろう、こことの試合ではよく耳にする。
そんな物騒な応援歌に怯えたのか、隣に座る南野が俺に縋ってくる。
「わ、私、こ、殺されない、よな……?」
……お前、言動的に間違っても殺される側じゃなくて殺す側の人間だろ。
とか言うとまた「死ね」とか言われるので、ここは適切な回答をしておく。
「まぁ、プロレスみたいなもんだから大丈夫だ。安心しろ」
「そ、そうか……な、なら、安心、だな……」
どうやら安心してくれたらしい。再び俺の信頼と実績の勝利だ。
……なのにどうして俺はこいつに袖口を掴まれているのか。片手を封じられると手拍子できないから離してほしいんだが。
見るからに離してはくれなさそうだったので、諦めて視線を前に戻す。
前方の、世界でも五指に数えられる熱いサポーターが集うスタンドは、不気味な沈黙を保っていた。
無言の圧というのだろうか、俺からすればむしろこっちの方が物騒に思える。
そのさらに奥、スタジアムのオーロラビジョンでは毎試合定番のCMが流れている。
あと3本くらいCMが流れると、カットインムービーを経て、入場前の選手たちが映される。
CMが流れ終わり、一時の静寂が生まれる。
が、程なくしてその静寂はざわめきに書き換えられた。
ざわめきの源は対面の北スタンド。コールリーダーが拡声器を通じて何やら叫んでいるのが聞こえてくる。
何を言っているかは聞き取れないが、何か叫んでいるのは分かった。
──一体あの人は何を叫び、そしてスタジアムは何にざわめいていたのだろうか。
と考えていたのも束の間のこと。座っていた観客たちがぞろぞろと立ち上がり始めた。
……なるほど、そういうことか。
伊達に6年ここに通ってない。コールリーダーの意図を察した俺はよっこらせと立ち上がる。
「嵯峨山、南野、ちょっと手貸せ」
「うぇっ⁉︎」
「えっ」
2人の手を握って。
……ちなみに変態と思われるのは嫌なので先に言っておくと、俺はセクハラとかボディタッチとかそういうイヤらしい打算があって手を握ったわけでは──
「ちょっとなんですか変態の葛岡さん。この後に及んでセクハラですか?」
……今ちゃんと前置きしてたろ。心読める癖に何故こういう時に限って読まないのか。
「ちげぇよ。周りを見ろ周りを」
言って、俺は2人に周りを見るよう促す。
スタジアムを見渡せば、ほとんどの観客が席を立ち、そして手を繋いで高く掲げていた。
そこには老若男女、既知無知の境はない。
「みんなやってるだろ。俺たちもやるぞ」
「はぁ、なら良いですけど」
誤解は解け、俺たちは両手を高く上げて選手たちを出迎える準備をする。
しばらくして、スタジアムに応援歌が響き始める。
こだまするのは『I can't help falling in love with you』──日本語で”好きにならずにいられない”という意味がある応援歌。
闘志を掻き立てる声援が、すぐ横のビジターチームの応援を掻き消し、そして飲み込んで行く。
選手入場のアンセムが流れ始め、瞬く間にスタジアムのボルテージが極大値へと達した。
観客たちは、トルシエ階段を登って現れようとしている選手たちに視線を寄せる。
俺も倣って入場してくる選手たちに視線を寄せ──ようとして、ふと俺は目の前の2人に視線を奪われた。
視線の先には、手を繋いで高く上げている1組の男女。
1人は、神村球尊。学校イチの有名人にしてスポーツ万能、頭脳明晰、それでいてイケメンという完璧超人。
そしてもう1人は、神崎藍。みてくれだけならこちらもまた同様に完璧超人。
2人の姿が目に入って、思わず俺はスタジアムを照らす照明が2人だけを照らしているような、そんな錯覚さえ覚えてしまった。
スタジアムに響き渡る応援歌を聞きながら、俺は思った。
……リア充爆発しろ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます