第31話:次なるラブコメの舞台

 神崎と神村の写真撮影が終わったのは、時計の短針がちょうど6を指した頃だった。スタジアムに来た頃には煌々としていた太陽も今や西に傾き、空にはほんのり茜色が広がっている。


 ゆらりと吹くそよ風が頬を掠め、心地良い涼しさを感じさせてくれる。

 そろそろ来たるは7月、きっとこの冷涼感も、1ヶ月経てばねちっこい蒸し暑さへとその姿を変えているんだろう。


 そう考えると今のこの気温感が少し名残惜しい気がしなくもない。


 元々暑いのが嫌いな俺にとっちゃあなおさらだ。しかも夏って花火とか祭りとか、とにかく人が密集しまくるからな。なんで人間ってそんなに密集地帯好きなの?


 ただ、暑いのは嫌いであっても俺は熱いのは嫌いじゃない。


 たとえば世界で五指に数えられるほどの熱い応援だったり、すべての不利をひっくり返すような熱いバトル展開だったり、熱々のラーメンだったり。そういうのはむしろ大歓迎だ。


 その点、今回のサッカー観戦でラブコメっていう趣向も案外悪くない。


 1時間足らずでフェイスペイントに写真撮影と、2つもラブコメイベントを叩き込めているのは、神崎の恋愛協力人である俺にとって熱い展開だと言わざるを得ない。

 この調子で事が進んで、試合終了後に神村の方から告白してくる、なんていう展開が起ころうもんなら激アツファンタスティックエブリデイ。晴れて俺も自由の身である。


 ……それに熱いのはそれだけではない。


 「なんてったって食事券まで貰っちゃったしな」


 撮影に協力したお礼としてスタジアムで使える1000円分の食事券までもらえたのも、金欠学生にとってはめちゃくちゃ熱かった。


 撮影は準備諸々含めて30分くらいだったから時給換算ザッと2000円。

 しかも俺と嵯峨山と南野に関しては呆然とその様子を眺めていただけでこの時給だ。


 並の大学生よりも高い時給は負け続きの俺のプライドと財布を少しだけ癒してくれる。


 ……ふっ、世間に溢れる金欠どもめ、ざまぁみろ!


 「ちょっとごめん」


 そんなことを思いながら再び南広場へ戻る道中、唐突に神村が言葉を発した。


 「ん、どうした?」

 「お、お花を摘みに行ってきても良いかな……?」


 ちょっと長くなるかも、と付け足す神村。見ればすぐそこに公衆トイレが立っていた。


 どうやら催したらしい。


 ラブコメの主人公が一時的に離脱するのは手痛いが、かといってトイレを禁じるほど俺も鬼ではない。


 トイレの前で4人総出で神村を待つのも気が引けるので、次なるイベントの起こりそうな場所へと陣取ることにした。


 「じゃあ、そこのグルメゾーンでテキトーに席取って待ってるわ」

 「うん、じゃあまた後で」


 言って、神村はトイレへと向かう。


 「じゃ、あっち行くぞ」


 神村と一時的に別れ、グルメゾーンへと向かう俺たち一行。


 再び歩を進め始めたその刹那、嵯峨山が足を止める。


 「ん、どうした? お前もトイレか?」


 即座に聞いてみると、摩訶不思議そうな表情をしながら、嵯峨山。


 「トイレにお花なんて咲いているんですかね? 一周回って気になりますね……ちょっと皆さん、一緒に見に行ってみませんか?」

 「「「…………(何言ってんだこいつ)」」」


 俺、神崎、そして南野の3人は、珍しくも意気投合し、嵯峨山のことを無視して再び歩を進めた。

 



           ◇



 

 空いていた5人掛けの円卓を確保し、俺たち4人は腰を掛ける。


 次なるラブコメの舞台はここ、グルメゾーンだ。


 さっきも通ったが、グルメゾーンにはザッと十数台ものキッチンカーが止まっている。

 ここではサッカー観戦には欠かせないジャンクフード各種から、ワッフルやかき氷、ベビーカステラのようなデザート系まで、幅広いジャンルのグルメが楽しむ事ができる。


 まさしく、腹の虫泣かせのグルメばかりだ。……鳴くだけに。はっはっは!



 ごほんっ。



 それはさておきさっきは危なかったな。


 もし神崎と南野が「お花を摘む」という表現を知らなかったら、トイレが次のラブコメの舞台になっていたところだった。


 そうなっていたらかなりの戦慄モノである。トイレでお花摘みに励む嵯峨山とか構図がカオスすぎる。間違ってもその場に居合わせたくはない。


 つーかトイレでラブコメってなんだよ。絶対エロアニメかなんかだろ。

 ……まぁ、そんな展開も悪くはない気がしないでもないが。



 って、いかんいかん。そんなはしたないことを考えるな。こいつらテレパスに思考を読まれては変態扱いされるだけだ。



 閑話休題。



 「とりあえず、飯にするか」


 とにかく、ここに来ておいて、またせっかく食事券をもらっておいてそれを使わない手は考えられない。時間帯的にもここで食べるのが最善手だろう。


 神村を待ってから買いに行ってくる選択肢も悪くはないが……未だキッチンカーには行列ができているこの状況では時間的にロスが大きい。先に買った方が良かろう。


 席を取っておく人が1人必要だとして、他3人は飯でも買ってくる方が効率的。


 さて、誰から買いに行くかだが……。


 (こういう時はレディーファーストするのが紳士の務めだったな……)


 立つのも面倒だからこいつらを先に行かせよう。


 「席取っとくから、お前ら先に買ってこいよ」

 「いや、葛岡君先いいよ」

 「私たちが席取っておくので」

 「い、行ってこい」


 なぜか総スカンを食らった。……チッ、せっかく先譲ってやったのに。お前らには2度とレディーファーストしてやらないからな。


 とはいえ、どうせ自分の飯は買いに行く羽目になることも確かだ。


 「んじゃ、先に」


 言って、財布の入ったサコッシュを首から掛けて立ち上がる。


 「あっ、葛岡君」


 と、立ち上がった俺に神崎が声を掛けてきた。

 何事かと思って振り向く。


 「これ、渡しとく」

 「ん」


 差し出されたのは、さっきもらったばかりの食事券──と、いつかの日に見た営業スマイル。


 ……この貼り付いたような笑顔にはデジャヴがある。


 これはあれだ。ゴールデンウィークの直前、「神村君とのデートプラン考えないと、部員募集の協力しないよ?」とか言って脅された時の笑顔だ。


 何かしらの厄介ごとを頼んでくる時、こいつはよくこんな感じの笑顔を浮かべる。どうせ今回はパシリかなんかでも頼もうとしているのだろう。


 「えーっと、何?」

 「私、あそこの牛タン丼が良い」


 ……やっぱり。こいつ、俺をパシリにしようとしていたのか。


 効率性という面においてパシリが効率的な手段なのは事実だ。聞こえが悪いとはいえ、数人分の行動を1人に任せるということ自体は至極最適化された行動ではあると思う。


 が、当然、人生の勝者たる俺が負け組に等しいパシリになどなってはならない。人生の勝ち組とは人を顎で使える人間のことでもあるからな。


 ましてや、春先同様に同じ術中に2度も嵌められる失態など許されるわけがない。


 なので俺は意を決して、神崎に言ってのけた。


 「あっ、神村」

 「っ⁈」


 見事に術中に嵌まり、背後を振り向く神崎。

 その隙に俺は人混みの中へ逃げ込んだ。

 



 逃げ込んだ先、俺は心の中で勝ち誇ったように呟く。




 ……これが世に言う《逃げるが勝ち》ってやつだ。




 ──────────


 今年1年ありがとうございました!


 本作『こいおわ!』も佳境に迫っており、完結も迫ってきている状況ですが、少しでも皆様に楽しんでいただけるよう、精一杯鍛錬・精進して参ります!


 皆様も良いお年をお迎えください!


 2023,12,31 岩田 剣心

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