第27話:強制イベントの発生
「よし、今日はここまで。後は自由時間で」
昼休憩を挟んで、3時間半。時計の短針が5に差し掛かろうとした頃。
予定通り、俺は初日の勉強を終了することを宣言した。
午前の勉強と合わせて6時間。期末考査までまだ猶予がある、しかも受験の年でもない高校2年にしては十分に勉強したと言えるだろう。
証拠に、神崎を除いた3人は見ただけでその疲労の色濃さを伺うことができる。
「疲れました……」
と嵯峨山が呟けば、
「さすがにちょっと疲れたなぁ……」
と神村が呼応し、
「 」
南野はポカンと口を開けて机に項垂れた。
ある意味、というか順手でこの光景は異常である。
ちなみに神崎はあがっているのだろう、俺が勉強終了宣言をした瞬間から机に伏している。
集中してゾーンに入っている間はなんともなかったのに、ゾーンから抜けた瞬間にこれだ。
まったく、相変わらず残念な奴だ。
……にしても、さすがに疲れたな。
ふと天を仰ぐ俺。
嵯峨山の数学指導に反省文の執筆、加えて自分の勉強。マルチタスクをこなしただけあって、心なしか頭もぼんやりしている気がする。
でもまぁ、ここからは自由時間。何をしたって許される時間だ。
……とりあえず、部屋に行って横になろう。
状態異常にあるこいつらを放置し、俺は自室のある2階へと向かう。
向かおうとして、玄関の方から微かに足音が聞こえた。
物音を遠慮した、木の床をすり足で歩く音。
……あぁ、そういえばそろそろだったな。
思い至り、俺は階段へ向けていた足を止め、リビングの扉の方へ目をやる。
そこには、ほんのり肌が焼けた小学生がひょっこり扉から顔を覗かせていた。
「た、ただいま帰りました……」
不安そうに言葉を発したのは、可愛い可愛い我が弟・光樹。プロサッカーチームの下部組織に所属する、正真正銘のサッカー界金の卵だ。
はめ込みガラス越しに見える、その身に纏ったクラブチーム支給のポロシャツが、ただならぬ風格を醸し出している。
そのただならぬ風格に気付いてか、嵯峨山が光樹に声を掛ける。
「えーと、もしかして葛岡さんのお兄さんですか?」
「どっからどう見ても弟だろ。勝手に長男を解任するな」
……お前は呼吸をするように俺に失礼だな。問答無用で《絶対に許さないリスト2022》にノミネートしてやる。絶対に許さない。
「でもパッと見葛岡君のマイナス5倍はしっかりしてそうじゃん」
「そ、そうだ、な。く、葛岡と違って、将来、有望」
……もう2人、呼吸をするように失礼な奴がいた。お前らもノミネートな。絶対に許さない。
「に、兄さん……この人たち……誰……?」
心の中でぼやいていたら、困惑した表情を浮かべた光樹がこちらに駆け寄ってきてボソリと聞いてくる。
……あぁ、そういや俺、光樹には勉強合宿やるってこと伝えてなかったな。
そりゃ困惑しても仕方ない。なんだったらうちの可愛い光樹を困惑させたこいつらが悪いまである。なんもかんもこいつらが悪い。絶対に許さない。
高2になってから、正確にはこいつらと関わるようになってから、何かと誤解されることが多い俺だ。
変な誤解をされないようにも、光樹にはしっかりと他己紹介をしておこう。
「心して聞くんだぞ、光樹。こいつらは学校でお兄ちゃんのことをいじめてくる悪い奴らだ」
「悪い……奴ら?」
「そうだ、悪い奴らだ。しかもこの悪い奴ら、俺に嫌がらせをするために明日までここに居座るつもりでな。特にあの女どもは嫌がらせのプロだ。俺の敵と言ってもいい」
「敵……?」
「ちょっと、クズ岡君……?」
「ぶち殺しますよ? 葛岡さん」
「し、死ねっ!」
「……ほらな、この通りだ」
呼吸をするように死ねだの殺すだの言えるこいつらには1周回って凄いと思う。一体どういう教育を受けてきたらそうなるのか、マジで義務教育……いや、幼稚園くらいからやり直した方が良いと思う。
こいつらのような悪を見ていると、光樹にはこんな高校生になってほしくないと余計に強く思ってしまう。
是非とも光樹には、俺のように真っ直ぐで、悪を許さぬ素晴らしい心を持った善良な人間に成長してもらいたい。
という願いを込めて、俺は光樹に言葉を授ける。
「……いいか光樹。お前はああいう悪い奴がいたらぶっ飛ばす人間になるんだぞ? 俺みたいに悪は根絶やしにすることを心掛けるんだ」
「? じゃあなんで兄さんはあの人たちをぶっ飛ばさないの?」
「えっ? あ、いや、その……こ、これには事情があって──」
「あっ! もしかして兄さん、そんな悪い奴らですら広い心で許して、仲良くしようとしているんですね! さすが兄さんだぁ……! 見習います!」
「…………」
なんかややこしい方向に誤解されてしまった。別に仲良くする気なんか微塵もないんだが。しかも光樹、眩いほどにキラッキラに目を輝かせてくるし。
だがしかし、どこか俺を崇拝しがちなところがある光樹は、こうなると俺の話とて耳に入らない。光樹は悪い奴らと仲良くしている俺を見倣い(誤解)、トテトテと神崎たちの方に向かっては膝を折って丁重に挨拶をした。
「兄さ……一樹の弟の光樹と言います! 小学5年です! 不束者ですが、何卒よろしくお願いします!」
……なんて健気な奴なんだ、光樹は。
俺なんかが膝折って頭ペコペコすると負け組感が半端ないが、純粋無垢な少年がやると不思議とそんな雰囲気を感じない。
長いものには巻かれない主義の俺でも可愛いものには巻かれてしまった。……まぁ、可愛いは正義だから良いよねっ!
長いものには巻かれる主義の負け組となればそれはなおさら。神崎と嵯峨山は光樹に近づくなり「可愛い」だの「行儀良い」だの「葛岡さんとは違って優秀」だの「葛岡君の弱みとかない?」だの褒めちぎりはじめる。
……最後の方褒め言葉になってないぞ。あと、堂々と人の弱みを聞き出そうとすんな。
……はぁ。で、俺何しようとしてたんだっけ?
まぁいいや。とりあえず座ろう。
ため息1つついて、俺はリビングの革張りソファに腰掛ける。
気晴らしに、近くに置いてあったテレビのリモコンを手に取って電源をつける。
ドゥドゥドゥン♪
と小気味良い通知音が鳴り響いたのは、その刹那のことだった。
「葛岡君の携帯だね」
鳴ったのはどうやら俺のスマホらしい。
ソシャゲの通知音だろうか、あるいはNINEの公式アカウントからのクソどうでもいい通知だろうか。
少なくとも一個人からの私的なメッセージではないことは確定しているものの、こういう通知は少し気になってしまう。
気になったので確認しようとしたが、しかしソファというものは不思議な家具で、1度座ると魔法でも掛けられたようになかなかそこから立ち上がることができない。疲れているとなおさらその効力は絶大なものになる。
なので、神崎に読み上げてもらうことにした。
「悪い神崎、なんて書いてある?」
「えーっと……『日本サッカーリーグ公式 激戦必至のさいたまダービー 彩玉スタジアム2○○2にて19時34分キックオフ』だって。何これ、サッカーの試合?」
「サッカー……あっ‼︎」
ガバッと立ち上がる俺。一瞬にしてソファの魔法が解けた。
やっべ。てっきり勉強合宿のことで頭がいっぱいだったが、そういえば今日は俺の応援しているサッカークラブの試合日だった。
しかも因縁のダービーマッチ。年間チケットを持っている俺としては行かないわけがない。
チラッと時計を見る。時計の針が指し示す時刻は17時07分。幸いにもキックオフまではまだ2時間半もあったので試合観戦には全然間に合いそうだ。
……が、キックオフ前のスタジアムの空気感を味わうのが俺のサッカー観戦の楽しみの1つでもある。早く行くに越したことはない。
「ごめんちょっと俺、彩スタに行かないと」
そう思って観戦グッズ一式がある2階の俺の部屋に向かう。
「ちょっと葛岡君」
向かおうとして、階段の前で俺のスマホを片手に神崎が立ち塞がった。
「えーっと、ちょっと上に行きたいんだが」
「葛岡君、これ、行きたい」
「……はい?」
何言ってんだこいつ? 聞き間違いかと思って問いただす。
「えーっと、なんて?」
「だから、私もこれ、行きたい」
……どうやら聞き間違いじゃなかったようだ。なんでか知らんがこいつの中に観戦意欲が湧いたらしい。
が、まぁ俺の知ったこっちゃないな。だって自由時間だし。俺の自由は保証されて然るべしだ。
「行きたいなら勝手に行けばいいだろ。今自由時間なんだし」
「そ、それはそうだけど、ほ、ほらっ、かかか、神村君との距離、ち、縮めたいから……」
一瞬にして朱に染めた顔で俺に耳打ちしてくる神崎。こいつ曰く「私との約束、忘れてないよね?」ということらしい。うわぁ、なんてめんどくせぇ……。
めんどくさいこと極まりないので、それとなくこいつの弱点・金銭事情を突いてみる。
「お前、チケット買えるだけの金持ってんの?」
「大丈夫、お母さんからお小遣いもらってるから」
「……いくら?」
「1000円」
……チッ、ギリ足りるじゃねぇか。
「み、みんなもサッカーの試合見たいよね?」
「葛岡さんだけ抜け駆けするのは気に入りませんしね。私も行きます」
「みんなで見に行った方が楽しいと思うな、ちょうど歩いて行ける距離だし」
「じゃ、じゃあ、私、も」
そして俺たちの話を聞いた他3人がぞろぞろとイベント参戦を表明する。
……あぁ、強制イベントの発生だ。
強制イベントの悪いところは何があっても強制であるところだ。
最終手段でチケットが売り切れでイベント立ち消えとかないかなーって思いながら会員サイトで確認してもチケットが余っているところとかマジで悪いところ。
……頑張って毎試合埼スタ満員にしろよ浦和人。4万やそこらで甘えんな。
とはいえ、チケットが余っている以上はなす術がない。
「はぁ……じゃあ準備しろ」
そういうわけで、俺たちはスタジアムでサッカー観戦をすることになった。
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