第26話:犬っころの世話係

 綿密に立てた勉強プランに則りながら勉強すること2時間。時刻は昼の12時半。


 神崎が神村のことを好きすぎて体調を崩したのは想定外だったが、あの後双葉が神崎の面倒を見てくれることになった。


 そのおかげでそこまで支障は出ず。勉強会そのものはここまで捗ったものとなっている。


 神村と南野はそれぞれ黙々と勉強に励み、一方で俺はと言えば、自分の勉強と反省文執筆を放棄して嵯峨山の勉強につきっきりだ。自分のタスク放って勉強教える俺ったらもう超優しい! ……世界も俺を見習って優しくしろ。


 午前の科目は数学。神崎の丸暗記手法が時間差で功を奏したのか、とりあえず公式だけは頭に入ったようだ。

 そして現在は公式の使い方について学習中。何問か簡単な問題を解かせている。


 嵯峨山の正面でボーッと手元を覗いていると、ピタッと嵯峨山のペンが止まった。


 「ん、どうした?」

 「葛岡さん……昼ごはんにしませんか?」


 机に項垂れて、ドロッと、不貞腐れた犬っころみたいな目でこちらを見据える嵯峨山。


 これが本物の犬っころだったらがっつり餌付けしてやるところなんだが、残念ながら嵯峨山は犬ではないのでそうもいかない。一蹴する。


 「まだ13時じゃないだろ。ほらさっさと解け。分かんないところがあるなら教えるから」


 しかし嵯峨山はさらに項垂れて徹底抗戦の構えを取る。


 「腹が減っては戦はできません……というか疲れました。休憩しましょう」

 「別に勉強は戦じゃねぇから。あと30分くらい我慢しろ」

 「むぅ……葛岡さんは教えているだけだから疲れないんですよ」


 ……おう? なんだこいつ、俺と一戦おっ始める気か。その気ならこっちも出るとこ出るぞ。


 「ばっかお前、教えるのってめちゃくちゃ疲れるんだぞ? 

 どうやったら相手が理解できるか、どうすれば点が取れるか、どこが弱点なのか、こっちだって色々考えながらやってんだよ」


 「なら尚更休憩しましょうよ」


 「…………」


 むぅ、アホの嵯峨山の癖に意外と弁が立ちやがる。


 「それにほら、神村さんも南野さんも疲れてそうですし」


 「えっ? 僕? いや、僕は──あ、うん。ぼ、僕もそろそろお昼休憩が欲しい、かも……」


 「うぇ? わ、わわわ……(こくこくこく)」


 しかも俺とのタイマン勝負ではなく、神村と南野を味方につけてのこれだ。数で押し切られる以上、こちらも迂闊には反論できない。


 ……それにしても神村と南野、お前ら簡単に人に流されすぎな。もっと自分の意志を貫けよ。


 とはいえ、今回の合宿のメインタスクは嵯峨山の学力向上。

 冷静に考えてみれば、あくまで目的の中心に据えられるのは嵯峨山であるべきで、俺が考案したスケジュール通りに事を運ぶ事が目的になってしまってはいけない。


 それに集中力が欠けた状態で勉強をしてもあまり効率は良くないしな。


 ……チッ、仕方ねぇな。今回はこっちがフレキシブルに対応してやろう。


 「分かったよ。じゃあ飯にしよう」

 「やったーっ!」


 言って、急に元気を取り戻す嵯峨山。お前絶対あと30分くらい耐えられただろ……。


 しかしまぁ決まったことを取り消すのも面倒だ。大人しく昼飯を取ることにする。


 さて、昼飯は何を食べようか。米・パン・麺の3択なら圧倒的に麺の気分だが──。



 そんなことを考えて、はたと俺は思い出す。



 ……そういや、家族以外の誰かと昼飯を食べるのは嵯峨山と出会ったあの日以来だな。



 俺の脳裏に人でごった返す食堂の光景が浮かぶ。



 ──あの日と言えば、とてつもなく飯が美味かった記憶がある。


 3日前に双葉のヘドロ料理を胃にぶち込まれ。


 さらに弁当を忘れた俺は騒音塗れる食堂で飯を食う羽目になり。


 さらにさらに嵯峨山に500円ぼったくられ……。


 そんな中で食ったあの唐揚げカレーは、有名レストランガイドブックで星を貰っているどの店よりも美味かった。


 たかだか学食のカレーだと言うのにあそこまで他の料理を引き立てる双葉の手料理は、1周回って賞賛モノ。見事だったと言えよう。


 まぁ、2度と食べたいとは思わないけどな。



 ……って、いかんいかん。これは間違いなく死亡フラグだ。双葉の料理のことは考えないようにしよう。

 考えていると本当に双葉が来て「お兄、今日は双葉が料理を振る舞っちゃうゾ☆」とか言ってくるから。


 邪念を振り払うようにして席を立ち、昼食のメニューを考えながらキッチンへと向かう。


 その俺の背中に、嵯峨山が声を掛けてきた。


 「ところで葛岡さん、昼ごはんって何ですか?」


 ……おいこいつマジか。昼ごはんも分からないとか、どこまで頭弱いんだよ。


 「えーっと、昼ごはんってのは昼に食べる飯のことだが」

 「そ、それくらい分かってますよ! 私のこと馬鹿にしすぎじゃないですか⁈」


 馬鹿にしすぎってこともないと思うが。だってこいつの知能程度低すぎだし。たまにダチョウと嵯峨山を同じ土俵で比べることもあるくらいだ。


 ちなみにダチョウは簡単に言うと逆コ◯ン君。40メートル先のアリまで見える視力に時速60キロで1時間走り続ける脚力と体力を持っているが、とにかく頭が悪い。


 どれくらい頭が悪いかと言うと、群れの1頭が走り出すと意味も分からずに釣られて走り出すし、平気で家族の存在まで忘れるし、怪我したことにも気づかないらしい。


 見た目は大人、頭脳は皆無、それが我らがダチョウである。


 ……と、まったく関係ないダチョウの解説で現実逃避しちゃうくらいには想定外の発言だった。


 で、当然、現実逃避しているくらいだから嵯峨山の発言の真に意味するものは理解しているわけで。


 「えっ、じゃあ何? お前昼飯持って来てないの?」

 「別に、持って来いなんて言われてないですし。というか普通、こういったお泊まり会でお弁当なんて持ってきませんよ」

 「えっ」


 持ってこないのが常識なの? 何それ、初耳なんですけど。初日の昼ご飯は捨てられる容器で持参、が合宿の常識だろ。実際小学校の頃の合宿もそうだったし。


 ……いや、ちょっと待て。


 こいつ、持ってこないのが常識っつったよな。


 それはつまり……。


 「もしかして、お前らも昼飯持って来てないの?」

 「あ、あははは……困ったなぁ、昼ごはんのことはてっきり……ごめんね、葛岡君」

 「い、言わなかった、葛岡が、悪い。あ、謝れ」

 「なんで俺が謝んなきゃいけねぇんだよ」


 つーかむしろ聞かなかったお前らの方が悪いだろ。『ひょっとしたら葛岡君はみんなが昼飯持ってくると思っているかも知れないから先に確認しておこう!』って思わなかったお前らの方が確実に悪い。


 ……しかしそうかー。こいつらも昼飯持って来てないのかー。


 「そういうわけで、私たち食べるものがないんですけど」

 「…………」


 揃いも揃って哀願するような目をする3人。


 おかしい……間違っても乞食するのは俺の方だと思ってたのに……。


 軽く絶望する俺。


 と、そこに追い討ちを掛けるようにリビングの扉が開く。


 「葛岡君、病人たる私に昼食がないってどういうことかな?」


 ……お前ってこう、なんで色々タイミング悪いの?


 俺からぼやきを引き出せる女はそうそういない。心の中でぼやきながら声のした方に視線を向けると、そこには想像通りの人物。体調を崩していたはずの神崎藍だ。しかしその体調の悪さも今や見る影もない。


 ……病人を名乗るならちっとは演技した方がいいと思うぞ。


 「神崎さん、体調はもう大丈夫なんですか?」

 「そりゃあもう、しっかり寝てたからね」


 心配する嵯峨山の言葉に、元気に答えてみせる神崎。寝りゃ治るとか便利な身体だな。


 「それに双葉ちゃんがしっかり看病してくれたから」

 「えっ? 双葉?」

 「看病、完了であります、お兄」

 「お、おう……」


 ひょこっと後ろから現れると、手を翻して敬礼をして見せる双葉。見るからに機嫌が良さげである。


 「お、お疲れ」


 その行動自体は意味が分からないが、双葉のおかげで勉強が捗ったのも事実だ。とりあえず敬礼で返しておく。


 ……それはそうと、敬礼をする右手、というか全身が鳥肌立つのを感じるのはなんでだろうね。


 いや、まぁ、その、原因は分かってるんですけどね? 身体は正直って言いますから。


 死亡フラグがいよいよ回収の時かと戦慄する俺。


 「お兄、私もお腹減った。なんか作って」


 が、しかし土日とあって労働したくないのか、双葉はついさっき俺が座っていた席に座ると、そんなことをのたまいはじめた。


 命こそ助かったものの、結果、餌を求める犬っころが5匹に増えてしまったようだ。


 ……正直、5人分、俺を含めて6人分の昼食を用意するのは面倒だ。幸い近所にはコンビニもスーパーも充実しているし、こいつらに各自勝手に済ましてもらう方が楽だろう。


 だが、今回の場合はそうもいかない。別々に昼食を済ませるとなると、1人、肩身狭い思いをする奴がいるからだ。


 そんな状況を生み出してしまっては全員が全員気まずい雰囲気になりかねないし、もしそうなってはその後の勉強効率も下がってしまう。人間、雑念が入ると何事も集中できなくなるしな。

 特に良くも悪くも優しい(俺には優しくない)嵯峨山みたいな人間はそうだろう。


 そんなことは勉強合宿の本来の目的と照合させればあってはいけない。



 ……それに考えようによっては、人生の勝者たるこの俺には、こいつらのような敗者たる人間の世話をする義務があるとも言える。



 例えば高所得者ほど国に多くの税金を納めるし、会社では立場が上に行けば行くほど面倒を見る人間の数は増える。

 トッププロとして活躍するアスリートは世界中の人たちに夢や希望を与えるし、医学の最先端を行く者たちは病気の治療法を確立することで多くの人の面倒を見る。


 いつだって勝ち組の人間はその他負け組の人間を何らかの形で世話を焼いているのだ。



 だったら、人生の勝ち組たるこの俺には、こいつらに昼食を振る舞ってやる義務があるよな。



 ……まぁ、それなら仕方ねぇ。


 「あーもう分かった。お前ら少しそこで待ってろ。今から飯作るから」


 誠に面倒だが、己の義務に則って俺は犬っころたちに餌を振る舞ってやることにした。


 犬っころたちはそのセリフを聞いて、飼い主たる俺を各々称賛し始める。


 「さっすが葛岡さん! 優しいですね!」

 「ご、ごめんね葛岡君……」

 「ほ、ほめてつかわす」

 「葛岡君早く作って」

 「お兄そういうのはいいから」


 ……なんか後半に行けば行くほど賞賛が罵声に代わっているような気がするんだが。

 つーか、確実に俺の気のせいじゃないよな。南野の「ほめてつかわす」はバッチリ聞こえたし。




 でもまぁ、そんな罵声も今回ばかりは許すとしよう。




 ……だって俺、ストックされた冷凍パスタをレンチンするだけだし。

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