第21話:校則違反はいつだってバレるものである

 それから昼休みも過ぎた、5限の授業。


 この時間は3クラス合同の芸術の選択授業が行われる。芸術科目は音楽、書道、美術の3つが用意されており、白鷺台では2年生でどれか1つを必ず履修しなければならない。


 そしてこの時間、美術を選択した俺は美術室に来ていた。

 

 ちなみに美術を選んだ理由は消去法。音楽はみんなで歌を歌うのが意味不明だし、書道は正座させられるのがいかにも負け組っぽいので美術を選択した。客観的に見ればめちゃくちゃ不純な動機だ。


 まぁ、だからと言って別に美術を選択したことに後悔しているわけではないんだけどな。


 つーか、むしろ俺は美術を選択して正解だったと思っている。


 なにしろ、美術の授業は思いのほかめちゃくちゃ楽なのだ。


 教師は基本見回りしてこないし、目の前にキャンバスをセットしたイーゼルを持ってくれば死角だって自由自在に生み出せる。

 だから授業中にラノベ読もうが惰眠を貪ろうが早弁しようが、基本的にばれっこないのだ。


 もちろん、スマホをいじってもばれっこない。


 「まさかこんな時に役立つとは……ブロ削しなくて良かったわ」


 誰にも聞こえないくらい小さな声で1人ごちる俺。死角に隠れながら見つめる先には、神村とのNINEのトーク画面だ。勉強合宿の招待メールを考えるために開いている。


 今回勉強合宿を行う上で何よりもまず俺がやらなければいけないのは、神村を合宿に誘うこと。神村との距離を詰めたい神崎にとっても、期末考査で赤点を回避したい嵯峨山にとっても、勉強合宿なんていうラブコメの玉手箱みたいな環境で起こるすべてのラブコメイベントをなんとかして逃れたい俺にとっても、神村の勉強合宿の参加はマストだ。


 だが、クラスカーストのトップ・オブ・トップの神村に同ボトム・オブ・ボトムの俺が直接声を掛けて誘おうもんなら、当然外野が黙っているはずがない。「口臭いから呼吸するのやめてくれない?」とか「邪魔。存在が」とか「消えてくれると嬉しいなぁ」とか、やんわり死ねって言われること請け合いだ。……最後のもろ言ってんじゃねぇか。


 まぁつまるところ、俺が直接神村に接触するという選択はあってないようなものである。


 そこでこのNINEを活用しようという算段だ。


 大不幸中の小幸いにも、俺はゴールデンウィークの取材後に神村とNINEを交換させられていたので、これを使えば外野からの干渉を受けることなく誘う事ができる。


 ……まぁ、実際には俺のアカウント上で神村は友だちじゃなくて《知り合いかも?》になっているんだけどな。


 とはいえ、友だち登録しなくたってメッセージのやり取りはできるので問題ない。プロのぼっちとして譲れないこだわりだ。


 NINEのメッセージ入力欄をタップし、勧誘の文章を考える。



 ……人を誘うときの文面っつーのは、どういうのが良いんだ?



 小6から数えること足掛け6年間、人を誘うことはもちろん、人から誘われることもなかった……否、誘われないようにしていた俺には、こういった文面を考える力がかなり欠落している。必要のないスキルが捨て去られていくのは自然の摂理とはいえ、自分の非力さを痛感させられてしまう。熱心に神崎のことを遊びに誘うクラスのアホどもとか凄いと思う、良い意味で。


 だが、ないものをねだってもしょうがない。ねだって手に入るほど世の中甘くないのだ。


 こうなったら他の奴を利用するのが最善手。あがり症とはいえ、神崎なら余裕で考えられるだろう。


 そう思ってチラッと視線を右にやる──が、そこには神崎の姿はない。


 代わりに聳えるは、絵の具で薄汚れた白い壁。


 ……そういやあいつ音楽選択だったな。4月に音楽を選択したクラスの一部男子がバカみたいに盛り上がっていたのは記憶に新しい。


 ……なに音楽なんて選択してんだよ。元美術部だろ。


 「あいつマジで使いもんにならねぇな……」


 小さな声でぼやきつつ、再び携帯の画面と睨み合う。


 左耳から自分の名前が呼ばれる声が入ってきたのは、その数秒後のことだった。


 「お、おい、く、葛岡」


 「っ⁈」


 決して美術の授業中に呼ばれるはずのない俺の名前が聞こえて、思わず思考が停止する。


 ただ、思考は停止しても、直感的にこの状況がどういうものなのかは察した。


 ……あー、これ、1発レッドカードだな。


 言うまでもなく、授業中のスマホいじりは校則違反。そしておそらくは、なんらかの理由で出回っていた美術の先生が、授業中にスマホをいじっている俺の姿を見かけて声をかけてきた状況だ。


 当然、俺のスマホはこの後先生にボッシュートである。ベットすらしてないのに……。


 それはさすがにマズいのであの手この手で徹底抗戦してやりたかったのだが、しかしVARの介入も必要のない事象ではさしもの俺でも分が悪すぎる。


 ともすれば、見苦しい抵抗は無駄。


 再起動した俺の思考は「どうやって誤魔化すか」から「どうやってダメージを減らすか」にシフトチェンジする。


 結果、俺は大人しく罪を認めてスマホを差し出すことにした。


 「お、お前、なにやってんだ……?」


 「すみませんでした。これはほんの出来心で……」


 「で、出来心……?」


 「そうです。ちょっと気になることがあってスマホを……でも今やることではありませんでした」


 「ちょ、ちょっと何言ってるのか、よ、よく分からないんだが……?」


 「おとなしく罪を認めます……なのでどうか俺のスマホ1つでご容赦ください」


 頭を下げながら素直にスマホを差し出す俺。


 「い、いや、べ、別に、わ、私に渡されても、こ、困る……」


 「困るって、いや、先生何を言って──ん?」


 と、数回言葉のラリーを続けて、会話の違和感に気づいた。


 なんか微妙に話が噛み合ってない気がするんだが……もしかして先生じゃない?


 一縷の希望を胸にゆっくりと視線を左にやると、そこにいたのは美術の先生──ではなく、1人の女子生徒。


 深緑色のボブカットに丸眼鏡。小さくも華奢なその身体から放たれるは圧倒的な陰気。


 ……俺はこの女を知っている。


 「って、なんだお前かよ──南野」


 南野美波。去年俺と同じクラスだった陰キャコミュ障系女子だ。

 こいつとはよくペアワークとかいう忌まわしきイベントで余り者同士ペアを組んでいたので、そこそこの面識はあるし、ある程度の人となりは知っている。

 こいつが陰キャでコミュ障なことも、重度の中二病であることも、文系科目の成績が優れていることも、俺は知っている。


 だからてっきり文系特進クラスに行ったと思ってたんだが……なんだ、こいつ理系だったのか。


 「わ、私で、わ、悪かったな……」


 訥々とした口調でそう言うと、南野はキャンバスを片手に俺の隣に腰を掛け、鉛筆やら消しゴムやらを筆箱の中から取り出し始める。


 そこはお前とは別の奴の席なんだが……つーか俺の隣の奴どこ行った。


 「えーっと、なんで隣に?」


 「し、死ね」


 聞いたら即答で死ねとか言われた。いやいや、ちょっと酷すぎませんか南野さん。去年もそうだったが、ことあるごとに俺に死ねって言ってくるのは良くないと思います。


 「いや、マジでなんも話聞いてなかったから分かんねぇんだって」


 俺がそう言うと、南野は呆れ混じりのため息をつく。


 「じ、自由にペア組んで、相手の横顔のデッサン、しろって、先生」


 どうやら知らぬ間に先生がペアワークを命じていたらしい。どうりで隣の奴が一瞬で消えるわけだし、陰キャコミュ障のこいつと俺が余るわけだ。


 「つーことはあれか、俺とお前はまた余り者同士ってことか」


 「べ、別にそういうわけじゃ……」


 「えっ、じゃあどういう」


 「し、死ねっ!」


 「なぜそうなる……」


 数十秒ぶり数百回目の死の宣告。


 JKの「死ね」は「キモい」と並んで男子高校生にとって1番ダメージのある言葉だが、言われ慣れ過ぎて俺にとっちゃ痛くも痒くもない。「死ね耐久選手権があれば白鷺台は全国2連覇確実だね!」とか軽くポジティブシンキングしちゃうくらいには言われ慣れている。ちなみにその後2連覇を手土産に推薦で慶應大に進学する予定。



 閑話休題。



 「まぁ、よく分かんねぇけど、とりあえずお前とペアを組んどきゃいいんだな?」


 「そ、そういうことだ」


 こくりと頷く南野。まぁ、組む相手もいなかったから断る理由もない。別に誰がペアだろうと俺には関係ないしな。


 南野曰く、今はペアの横顔のデッサンをしなきゃいけないらしい。万が一教師が見回りに来た時に備え、筆箱から鉛筆を数本取り出して体裁を整える。


 ……横顔なら俺がスマホを見ていても問題ないよな。


 そう思って再びスマホに集中しようとして、ジーッとこちらの目を覗き込んでくる南野に気づいた。


 「……えーっと、なんでしょうか?」


 「お、お前、さ、さっきから、す、スマホで、な、なにやってるんだ?」


 睨まれることに慣れていても見つめられることに慣れていないだけあって思わず敬語になってしまったが、どうやらこちらを見てきた理由はスマホにあるらしい。


 説明する義理もないが、このままジーッと見られるのも癪なので説明しておこう。


 「色々あって週末に勉強合宿をやるんだけど、メンツを集めててな。招待メールの文章を考えてただけだ」


 「へ、へぇ……ち、ちなみに聞くが……お、女か……?」


 「俺がわざわざ女を誘うわけねぇだろ。男だ男」


 「お、男か、……え、で、でも、お、お前、勉強合宿、さ、誘うような友達、いないだろ」


 「いるわけねぇだろ、……俺にも色々あるんだっつの」


 そう、色々。


 嵯峨山の勉強指南だったり神崎の恋愛協力だったり、研究同好会の廃部危機だったり。勉強合宿のバックグラウンドには色々な問題が複雑に絡み合っている。


 「そ、そう、か……ふ、ふぅん?」


 ご納得いただけたのか、言って、南野はこちらを見据えるのをやめ、課題のデッサンに取り組み始めた。


 俺も死角に隠れながら、しかし南野のデッサンに迷惑を掛けないように再び意識をスマホの画面に向ける。


 盤面没我。どういう文面が良いのか、試行錯誤をしながらメッセージを組み立てる。



 ──が、5分、10分と経てど、一向に文章が完成しない。



 「……無理だ。書けん」



 諦めた俺は、スマホをポケットの中にしまった。

 いや、諦めたじゃないな。自分の天性のぼっち体質に惚れ惚れしちゃった、というのが正しい表現だ。


 ……違いますね。


 やはり俺には足掛け6年のディスアドバンテージはデカかった。放課後に神崎か嵯峨山にでも考えてもらおう。


 そう思った刹那、その様子を見た南野が突然声を掛けてきた。


 「か、書いてやろうか? しょ、招待メール」


 「えっ」


 唐突の提案に思わず目を見開いてしまった。手詰まりだったところに手助けとは……こいつ、中々気が利く。あとはこいつがとんでもない陰キャコミュ障じゃなければ言うことなしだった。


 「いや、でもお前招待メールなんて書けないだろ」


 「な、舐めるな。ひ、人を誘うくらい、簡単……」


 陰キャコミュ障の台詞とは到底思えない台詞を吐きながら、グフフッとなんかキモい笑みを浮かべる南野。


 ……なんだろう、神崎とか嵯峨山とかは負けフラグに思えるけどこいつの場合すでに負けてるよな。救済のために差し伸べられた手かと思いきや、実は地獄へと引きずりこむために差し出された手のパターンだ。


 そうと分かればなんてことはない。やんわり断ってやれば良いだけの話だ。


 「いや、やっぱり後でまた考え直すわ」


 「い、良いから、ちょ、ちょっと貸せ」


 「えっ、お、おいおまっ! ……あぁ」


 有無を言わさず俺の手からスマホを掻っ攫う南野。手慣れた速度で文字を打鍵し始める。


 十数秒かそこいらが経過して、南野は打鍵を止めた。


 「お、送ったぞ。け、結構、自信、ある」


 送っちゃったんですか……せめて送る前に見せて欲しかったんですけど……。


 しかしこいつ、俺が10分考えても捻り出せなかったのにえらい速度で文章を完成させてきたな。


 もしかしてコミュ力はないけど文字なら輝けるタイプの人なのだろうか。ちょっとだけ期待を抱いてしまう。


 「ちょっと見せてみろ」


 満足げにニマニマしている南野からスマホを受け取り、送ったメッセージを確認してみる。

 



 👤葛岡 一樹 


 📢『我、漆黒よりも暗き、闇より深き、万物を喰らう暗黒星雲ダークマターなり。週末、汝の魂に刻まれし世界記憶アカシックレコードを頂きに参上する。運命に抗いたくば、我が聖域サンクチュアリ《ランゲルハンス塔》にいざなわれるがよい。共に鎮魂歌レクイエムを奏でようぞ』




 ……一瞬でもちょっとでも期待した俺が馬鹿でした。


 つーか、最初から最後まで文章の意味が分からん。中二病っぽい単語が林立しているのとランゲルハンス塔だけは分かる。


 「ど、どうだ。い、いいだろ」


 「よかねぇよ! なんだこの意味不明ないかにも中二病っぽい文章は! しかもランゲルハンス塔って膵臓にある《ランゲルハンス島》だろ! 塔じゃなくて島だ島っ! 無駄に生物の知識出すな!」


 「ふっ、か、かっこいい……こ、これで完璧」


 ダメだこいつ……しかも「してやったり!」みたいな顔してるし。全然してやったりの状況じゃないから。


 こんなの送って神村に既読つけられたらマジで詰む。神村が昼休みの話のネタにでもしたらクラスで「うわっ、あれってかの有名な『暗黒星雲ダークマター』じゃね?」「マジかっけーぷーくすくす!」とか一生馬鹿にされること請け合い。さしもの俺とて自殺しかねない。


 「ダメだダメだ! 送信取り消しだ!」


 南野からスマホをひったくり、俺は黒歴史にも近しいこのメッセージを長押しする。


 赤字で表示される《送信取消》の文字。すぐさまそれをタップしようとして──



 「おい」



 ──その手を力の入ったゴツい手が妨げた。



 「……………………」



 その手は明らかに南野のような華奢な女子の手ではなくて。



 俺は嫌な予感をビシバシと感じつつ、筋肉質の腕をなぞるように視線を移す。


 終着点には、強面の男性教師。



 ……詰んだぁ。てへぺろ☆



 「没収、な?」


 「あ、はい……」


 スマホを取り上げ、定位置に戻る美術教師の後ろ姿を見て、ふと俺は思った。




 ……美術の先生って、男だったんだ。

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