4章:何であれ、合宿は最大のラブコメイベントである。

第20話:ラブコメの主人公は俺ではない

 悪戦苦闘しつつも嵯峨山の勉強を見始めて、2週間後。水曜日の朝。


 今更ながらの紹介だが、俺の高校ぼっち生活はここ、大宮駅西口のスクールバス停留所から始まる。


 県内では《陸の孤島》の異名が轟く白鷺台高校だが、その名は伊達じゃない。

 僻地も僻地にキャンパスを構えており、交通アクセスはなんとびっくり最寄り駅から徒歩40分! しかも周りには田んぼと虫だらけ! ……誰が徒歩で通うんだっつーの。


 そのため、ほとんどの生徒がいくつかの方面から出るスクールバスを利用して学校へと向かう。普通の高校と違って下駄箱や校門から学校生活が始まるわけではないのだ。


 停留所に停まっているバスに乗り込み、運転手に乗車券を見せてから座席を探す。


 目指す席はただ1つ。


 「……おっ、今日は空いているな」


 お目当ての席が空いていることを確認して、すぐさま俺はその席──最後列左1番左の席──に腰を掛ける。


 ちなみに俺がスクールバスで最後列1番左の席にこだわって座るのには、バス最後列一番左の席には別の名前が付いているから。


 その名も《キングシート》──サッカー日本代表の遠征バスで最後列1番左の席はあのキングカズの指定席だったことから、一部の界隈ではそのように呼ばれている。

 人生の勝ち組であり、ぼっち界のキングでもある俺にめちゃくちゃ相応しい座席なので、空いている時にはなるべくそこに座るようにしている。


 そのキングシートに座りつつ、俺は乗車してくる人間をボーッと眺める。


 どいつも死んだ目をして乗り込んでくるが、陰鬱な雰囲気で乗り込んでくる奴らを最後尾から眺めるのは何らかの権力者っぽくて気分が良い。

 同じバスに乗り込んできた、いつもクラスで俺を馬鹿にしくさる連中なんて監獄に連れてかれる感が漂ってて最高だ。


 ……お前らマジで海底監獄とか連れてかれないかな。埼玉に海ないけど。


 そんなことを思いながら前方を眺めていると、


 「……最悪」


 車内の死んだ空気を一気に蘇らせるかのようなオーラを纏った、1人の美少女が目に入った。


 見慣れてしまった藍色のゆるふわおさげに華奢な体躯、そしてスラッと伸びるように細さを強調するレギンス。放たれる圧倒的透明感と、それでいて癪に障る雰囲気。


 ……見てくれだけは天衣無縫少女・神崎藍の降臨だ。


 「あいつ大宮バスだったのかよ……」


 いつも見かけないからてっきり別方面のバスかと思っていたんだが……小さく舌打ち。

 サイコロを振れば6の目とはそれなりに出会うが、今のところあいつと関わってろくな目に遭ったことがない。なんだったら関わってなくてもろくな目に遭ってないまである。


 俺に取っちゃあいつは疫病神も同然。

 だからさっさと前の方に座って欲しいところだった……の、だが。


 「……なんであいつ座んねぇんだよ」


 どういうわけか、神崎は前方の空席に腰を掛けようとしない。

 それどころか、1席1席誰かを探すようにして見ては、どんどん後方に侵入してきている。


 そして空席となっている俺の隣の席。


 ……嫌な予感がする。まさかこいつ、俺の隣に座ろうとしてないか?


 いやまぁ自意識過剰と言えばそれまでだが、悲しいことに俺の嫌な予感は結構な精度を誇る。パーセンテージで言うなら90パーセントくらい。ほぼ確実に当たる。ふざけんなよ。


 ともすれば神崎が俺の隣の席に座ろうとしているのはほぼ確実で、そんな最悪な状況がクラスの連中も乗っているこのバスで起ころうもんなら、この後の生活の面倒さったら極まりない。


 そんな面倒が起こると分かりきっていて、それでも対策を打たないほど俺は馬鹿じゃない。


 すぐさま俺は《後ろ埋まってますよ! 前の方座ってください!》作戦を開始する。


 作戦は極めてシンプル。キングシートから1席右にずれるだけ。だが、これが絶大な効果を発揮する。


 白鷺台のスクールバスは、修学旅行で乗るような観光バスみたいな4列シートのバスだ。その座席は自由席ゆえに、どこに座ろうとも構わないし、誰からなんとも言われない。


 だが、4列シートの特性ゆえに、スクールバスでは窓際から座っていくという暗黙のルールが存在する。


 つまり、俺が通路側の席に座れば「あっ、葛岡君の隣はもういるから無理なのね」と暗に伝えることができるのだ!



 ひょいっと右隣の席に移動し、これで完璧。


 神崎もきっと前の方の席に座るはず──



 「おはよう葛岡君。座れないから隣、詰めてくれない?」



 ──と思ったんだけど、神崎相手にはなぜか通用しなかった。


 だが諦めるにはまだ早い。こうなった時のためにもしっかりと奥の手は用意してある。


 「い、いやっ! と、隣に友達がっ!」


 「葛岡君に友達なんかいないでしょ? ほら詰めて詰めて」


 「……はい」


 渾身の奥の手をバッサリ切り捨てられたので、諦めて左にスライドした。キングシートに腰掛けているのにまったくキングって感じがしないのはなぜでしょうかktzw3……。


 ありがと、とだけ言うと、神崎はその華奢な身体を席に預ける。普通なら座席が軋む音がするだろうに、こいつが座ると不思議とまったくそんな音はしない。きっと本当に身体が軽いのだろう。

 ……おかげさまでこっちは心が軋みまくりだわ。まだ前の方の席空いてんのに俺の隣に座るとか新手の嫌がらせ過ぎる。


 「……なに?」


 嫌気が差したのが表情に出たのか、神崎が不満そうな表情でこちらを一閃してきた。


 「……何もねぇよ」


 「どうせあれでしょ。『なんで前の方の席空いてんのに俺の隣に座るんだよ。嫌がらせなの?』とか思ってるんでしょ」


 「人の心を読むな」


 そしてそこまで読んだなら俺の隣に座んな。ぶっ飛ばすぞ。


 とか言って本当にぶっ飛ばすと刑務所行きになるので自制することにした。


 代わりに俺は神崎に問う。


 「……で、こんな朝っぱらから何の用だよ」


 最近では会話も交わすようになった俺と神崎だが、こう見えても俺と神崎は部活以外では一切関わってない間柄だ。

 ぼっち生活を謳歌していた以前の俺と同じように、クラスが同じで席が隣でも神崎とは会話の一言どころか、視線の1つすら交わしたことがない。


 そんな関係にあって、しかも俺が席を移動してまで「隣に来んな」と行動で示したのにも関わらず俺の隣に来たということは、何かしらの用があるということに違いない。


 そんでもって、その何かしらの用ってのはおそらく神村関連の厄介ごとだろう。……まったく、良い迷惑だぜ。


 厄介ごとは即座に断るのが最善手。だが、とはいえ俺にも立場がある。

 

 とりあえず話だけは聞いてやることにした。


 「実は葛岡君にお願いしたい事があるんだけど」


 「……なんだよ」


 「今週の土日に葛岡君の家で岬の勉強合宿をやりたいんだけど、良いよね?」


 「無理。断る」


 聞いて、やっぱり即座に断った。


 「土日に? 俺の家で? 合宿? 意味が分からん。俺を巻き込むな」


 「いや、でもそんなこと言われても……私、困るなぁ」


 言って、下顎に人差し指を当ててながら上目遣いで見つめてくる神崎。ここぞとばかりにカマトトの発動だ。


 ……あぁ、うざったい。


 「そんな表情でもしとけば了承するとでも思ったか?」


 「……うん」


 「しねぇよ」


 するわけがない。


 だって勉強合宿……もとい、合宿なんてのはラブコメの王道イベントだ。なぜぼっちの俺がそんなイベントを主催&参加しなければいけないのか。


 ……とはいえ、嵯峨山の勉強が絡んだ案件だ。

 主催も参加もするつもりはないが、どう困るかくらいは聞いておいてもいいだろう。代替案くらいは出せるかも知れんからな。


 「ちなみに、どう困るんだよ」


 説明を求めると、神崎は指を立てて説明する。


 「ひとーつ、葛岡君の家が使えないと合宿場所が確保できない点。ふたーつ、勉強合宿をやるとすでに岬と決めた点。そしてみーっつ、葛岡君がいないと、もし神村君が勉強合宿に来てくれた場合に私が死んじゃう点。以上の3点で困ります」


 「めちゃくちゃ過ぎる……、ってかお前、神村のこと誘ったのか?」


 「そ、それも含めて、くく、葛岡君がいないと……こ、困る……」


 言って、人差し指をこねくり回して赤面する神崎。朝っぱらからこのあがり症っぷりである。


 ……もう、百歩譲って神村に振られてもいいから、そのあがり症だけは治ってくんないかな。


 「そ、それに、このまま行くと多分岬、研究同好会に入部できないよ? 葛岡君はそれでも良いわけ?」


 どんな脅しだよ。


 「入部できないってお前、そんなに苦戦してんのか?」


 「苦戦も苦戦だよ……あんまりこういうこと言いたくないんだけど、岬って記憶能力が……」


 「それはまぁ、分からなくもないが……」


 朧げな瞳で訴えてくる神崎に、珍しくも同意する俺。


 勉強を暗記で片付けるのは基本的に間違っているが、そうは言っても勉強に最低限の暗記が必要なのもまた事実だ。

 数学で言えば公式だったり、英語で言えば英単語だったり、あるいは化学で言えば元素記号だったり、どれも覚えてなければ問題と戦うことすらできない。


 その点、最低限の暗記すらままならない嵯峨山の記憶能力は、教える側である俺と神崎にとって最大の障害とも言える。


 だから、ここまでの神崎の訴えには同意。


 ……裏を返すとこの先は不同意だ。


「まだ私が『羅生門本文の最初から最後まで暗唱して』とか言ってできないなら分かるんだけど、羅生門の冒頭1ページ分の暗唱ができないのはさすがに分からないというか」


 「……おいちょっと待て。お前どうやって勉強教えてんだよ」


 「? そりゃ教科書の写経や音読を中心にひたすら暗記させてるけど」


 「…………」


 絶句した。五言絶句でも七言絶句でもない、見事なまでの零言絶句である。


 くっそ、まさか神崎が暗記で勉強を片付ける《暗記教》の信者だったとは……。てっきり俺より頭が良いんだなとか思っていたが、実際は成績が良いだけで頭は弱かった。


 やっぱり他人なんて当てにするもんじゃないな。真に恐れるべきは有能な敵より無能な味方、つまり味方を作るなということだ。改めて肝に銘じておこう。



 図らずも、嵯峨山の赤点回避に黄色信号が灯ってしまった。



 「……はぁ」


 こうなってしまった以上は仕方ない。ラブコメイベントには気乗りしないが、2週間のロスを取り戻すには休日の返上が必要だ。


 「で、どうかな葛岡君……」


 再び上目遣いで哀願してくる神崎に、俺ははっきりと言ってのける。


 「気が変わった。今週の土日、俺の家で勉強合宿な」


 「えっ⁈ 良いの⁉︎ じゃ、じゃあその……できればかか、神村君も……誘って」


 「あたりまえだ。死んでも誘ってやる」




 ……だって、そうでもしないとラブコメの主人公が俺になっちゃうだろ。

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