第19話:勉強会初日

 そういうわけで、翌日。


 俺と神崎、そして嵯峨山は、昨日と同じように研究同好会の部室に集結していた。


 今日集まったのは他でもない、期末考査で嵯峨山が赤点を回避するための勉強会を行うためである。


 「それじゃ、早速始めていこうと思うんだけど」


 パンッと手を鳴らし、神崎が勉強会の開催を宣言する。


 机の上にはバカみたいな量のルーズリーフと付箋とマーカーペン。いつでも掛かって来いと言わんばかりに嵯峨山はスタンバイオッケーだ。勉強できない奴あるあるランキング第1勉強道具めちゃくちゃ充実しているを見事に体現していて軽く絶望するが……やる気があるだけポジティブに捉えよう。

 ちなみに第2位は《英単語帳めちゃくちゃ充実している》だ。これも体現しているとはさすが令和の赤点五冠王。抜かりない。


 「その前に岬」


 とか死ぬほどどうでも良いことを考えていると、神崎は少し困惑した表情を浮かべた。


「とりあえず赤点を取った科目からやって行こうと思うんだけど、その……今さらで申し訳ないんだけど、私たちは何を教えればいいの? 理系の私たちも履修している科目だってことは聞いたんだけど」


 ……確かにそれは大事な情報だ。


 今回の最大にして唯一の目的は嵯峨山が期末考査で全科目赤点を回避すること。それを成し遂げるには、何よりもまず赤点を取った5科目をどうにかしなければならない。


 「科目はですね、えーっと……少しお待ちいただけますか?」


 言って、鞄をガッチャガッチャと漁る嵯峨山。中身こそ見えないが、音だけで汚いのが分かる。ちょっとくらい整理整頓したらどうなんですかね。


 そのゴミ袋……じゃなかった、鞄の中から黒鉛で黒ずんだ成績表を取り出すと、ファミレスのオーダーでもするように、嵯峨山は赤点を取った科目を羅列していく。


 「数学Ⅱ・Bと現代文、化学基礎、あと英語コミュニケーションⅡが赤点ですね」


 「な、なるほど……」


 文系だろうが理系だろうが関係なくウエイトの重い科目で赤点を取った嵯峨山に、学年3位の神崎は再び絶望した。

 ちなみに学年7位の俺はひどく絶望。分かってはいたが改めて赤点5つって聞くともうほんっとうに末恐ろしい。俺の知ってるアニメの世界線含めたってあの赤髪のバスケットボールマンに次いで多い。……なんでお前、うちの高校入れたんだよ。


 これだけの赤点の個数を誇るとなると、他の科目もめちゃくちゃ怪しい。


 もはや期待もしていないが……参考までに、一応聞いておくか。


 「嵯峨山、ちなみに他の科目はどんな感じなんだ?」


 「他は大丈夫です。全部平均点以上なので」


 「……いや、別にここでボケとか求めていないんだが」


 「ま、真面目に答えましたけど⁈ だったら私の成績表見ますか⁈ というか見てください‼︎ さあほらっ‼︎」


 嵯峨山は一気に捲し立てると、机の上に自分の成績表を「バンッ‼︎」と叩きつけた。


 あまり見たくはない成績表だが、聞いた以上見てみるか。えーっと……。


 「……えっ、ほんとじゃん」


 俺の予想に反し、こいつの言う通りどれも平均点以上だった。赤点を取った他5科目とはえらい差がついている。


 「へぇ、古文漢文だけなら葛岡君より上だね」


 横から成績表を覗き込んできた神崎も感心した様子で呟く。お前それは言うなって。


 しかし多少の得意不得意があったとして、こんなにもハッキリと科目間で点数差が生まれるものなんだろうか。


 「岬って、赤点以外の科目は得意なんだ」


 「いや、そういうわけではないんですけど……」


 「? じゃあなんでこんなに点数が良いの?」


 キョトンと小首を傾げる神崎に、嵯峨山はその理由を説明してのける。


 「どういうわけか、私は昔から豪運体質なんです」


 「豪運……体質?」


 「はい。私、生まれてこの方おみくじは大吉しか引いたことありませんし、街の福引も特賞か1等しか出たことがないんです。だからマークシートの問題とか選択式の問題とかはテキトーに書いてもだいたい当たるんですよ」


 なんだよそのキャラ設定。めちゃくちゃ羨ましいんだけど。


 ……最近の俺なんて見てみろ? ここ1ヶ月ずーっと不幸。ソシャゲのガチャですら爆死連発。

 常日頃から感じてはいたが、特にここ最近の俺に対する世界の厳しさったら異常だ。


 もはやこれはいじめ。つまり、世界は許していけない、滅ぼすべき悪なのだ。


 でもまぁ、言われてみれば確かに赤点じゃない科目は選択問題が多いイメージがある。こいつの言う豪運体質という主張も納得がいかないわけでもない。


 「理屈はよく分からないけど……とりあえず他の科目は大丈夫って事だね?」


 「安心してください。私、豪運なので」


 神崎が最終確認を行い、嵯峨山がキメ顔でサムズアップしながらそんなセリフを放つ。


 なんだろうこの既視感……盛大に負ける前振りにしかなってないからやめてもらいたい。


 「なら良いけど。それで、岬はどの科目からやりたいとかある?」


 「そうですね……個人的には特に悪かった英語と化学基礎を片付けておきたいです」


 「英語と化学かぁ……うん。じゃあ葛岡君、後は頼んだね」


 「はぁ」


 そんなこんなであれよあれよと今日やるべきことが決定されていく。どうやら俺は英語と化学を教えれば良いらしい。

 そして神崎は帰るらしい、しれっと荷物をまとめ始める。


 「……っておい神崎。頼んだねってどういうことだよ」


 俺だけ居残りでこいつの面倒を見なきゃいけないのはさすがに理解不能なんだが。


 抗議の意を込めてジト目を向ける。俺の視線に気づいた神崎は、呆れ混じりのため息をつく。


 「頼んだねって、そりゃ岬の勉強のことだよ」


 「んなことは分かっとるわボケ。なんでお前が帰れて俺は帰れねぇんだよ」


 「……えーと、もしかして葛岡君は私にいてほしいの?」


 「あ?」


 なんかムカつくこと言ってきたぞこいつ。


 「あー、でもごめんね葛岡君。君の気持ちには応えられないんだ。だって私にはもう心に決めた人がいるから……」


 よく分からんが謎にフラれた。いやいや、俺の方こそ願い下げなんですけど。自意識過剰にも程があるんですけど。


 「俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだな、お前も協力者なんだから残れって話だよ」


 「え、無理なんだけど」


 「なんでだよ」


 一応お前も嵯峨山の面倒を見る当事者だろうが。責任放棄も甚だしいぞ。


 ……つーかこいつら友達同士じゃないの? きっかけこそ利害に基づいた契約とはいえ、こういう時って普通「友達のためなら!」っつって自らの損も厭わず頑張るもんでしょ。そうやって足を引っ張り合って傷を舐め合ってケツを拭き合うのが友達って奴だろ。


 ……それともなんだ? こいつに友達以上に大切な存在なんていんのか?


 「葛岡君。今日は何曜日?」


 「水曜日だけど」


 「ってことはサッカー部がグラウンドで練習しているでしょ?」


 「……だから何だよ」


 「神村君の練習姿をこの目に焼き付けておかないと」


 友達以上に大切な存在いたー。しかもこいつの将来のフィアンセとは手強い。


 まぁ、だからってこいつの言っていることは到底飲み込めるもんじゃないんだけどな。


 こいつだけ悦に浸って俺だけ労働というのはまさしく勝者が敗者をこき使う社会の縮図であり、その構図の中で俺は敗者側だ。


 そんな境遇をいくら協力関係の立場にあるとはいえ、少数派で将来的に人生の勝ち組になるこの俺が安易と受け入れると思ったら間違いだ。


 そのことをこいつに知らしめてやらねばならない。俺はストライキを決行することにした。


 「お前が帰るなら俺は教えん。残れ」


 「私が数学と現代文教える時は葛岡君帰っていいから。ねっ? いいでしょ?」


 「よし、帰れ。死ぬほど目に焼き付けてこい。ほら早く」


 妥結完了。これだったら少なくとも引き分け……いや勝ちだろう。今この空間が3人から2人に減り、しかも休みがもらえるとかめちゃくちゃ大金星。


 「じゃ、よろしくねー」


 言って、神崎はすぐさま部室を飛び出して行った。その背中を見送りつつ、俺は正面に向き直る。


 ……さて、ここからは俺の腕の見せ所だ。こう見えても俺は10歳までイギリスのインターナショナルスクールに通っていたゴリゴリの帰国子女だし、化学だって満点を取れなかったとはいえ学年1位だ。教え方に関しても時々双葉と光樹に勉強を教えているので自信はある。


 いくらアホの嵯峨山が相手であろうと、俺にかかればどうってことないはずだ。


 「んじゃ、嵯峨山。早速やっていこうと思うんだが──」


 「あっ、ごめんなさい葛岡さん。1つ言うの忘れていたんですけど、今いいですか?」


 「ん、なんだ?」


 「今日学校に教科書持ってくるの忘れました!」


 「………………」


 と思っていたんだが、一瞬にして嵯峨山を教える自信を喪失した。




 ……やっぱ、俺も帰ろっかな。

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