第9話:取引
放課後。
部室で神崎に事情を説明し、了承を得た後、俺と神崎は嵯峨山の待つ物理準備室に向かった。
物理準備室は本校舎東階段を2階まで登ってすぐのところに存在する。研究同好会の部室がある図書館からはさほど時間は掛からない。
部室の前には嵯峨山が既に待ち構えていた。見かけるや否や「どうぞどうぞ!」とすぐに部室の中に通される。
物理準備室の広さはおおよそ教室の半分程度だった。物理準備室ということもあって、横の棚にはニュートンのゆりかごとか音叉とかが棚の中に格納されている。
が、物理の実験なんてそうそうないので、部屋自体は新聞部らしく大小様々な書類で散らかっていた。
書類の1番上、新聞部が月1で発行している新聞《月報 しんがり倶楽部》が目に入る。
「汚い部屋ですみません! 私、新聞部の嵯峨山岬と申します! 8組です!」
部室の窓側の席に案内されると、嵯峨山が改めて自己紹介を行う。特段友達が多そうな嵯峨山とはいえ、神崎とは初対面らしい。
「私は1組の神崎藍、よろしくね。あなたのことはなんて呼べばいいかな?」
「あ、はいっ! 全然、もう好きなように呼んでもらって」
「分かった。じゃあ、岬って呼ぶね」
そしてサラッと下の名前呼びしてみせる神崎。さすがはクラスカースト上位層。コミュ力の高さを見せつけていく。
……しかしそうか。こいつのこと、好きなように呼んで良いのか。
ってことは、こいつのことを《借金乳牛野郎》とか呼んでも何一つ問題ないってことだな。
「借金乳牛野郎とか呼ばないでください、葛岡さん」
とか思っていたら心読まれた。……人の心を読むな、借金乳牛野郎が。
「思っただけで呼んでないだろ。早く借金返せ」
「あー、そういえばそんなこともありましたね。大丈夫です。私、しっかり返す女ですから」
言って、鞄の中をガッチャガッチャし始める嵯峨山。プラスチックのぶつかる音だけで鞄の中が汚いことが察せる。もう少し整理したらどうなんですかね……。
だが、汚いなりにどこに入れていたかは把握していたらしい。わりとすぐに財布を取り出してみせると、嵯峨山は財布と睨めっこを始めた。
その様子を見て、隣に腰掛けていた神崎が耳打ちしてくる。
「ねぇ葛岡君、借金ってどういうこと?」
あぁ、そういやこいつには言ってなかったな。
別に言っても問題ないし、こいつには説明しておくか。
「昼休みにラーメンの大盛り代500円を肩代わりさせられたんだよ」
「500円……ビックリカツを16個買えて20円余る……」
「どんな換算方法だよ……そこは普通ウミャア棒50本換算にしとけって」
ちなみにビックリカツは1個30円のカツみたいな駄菓子、ウミャア棒は言わずもがなだ。
「ウミャア棒はお腹満たされないから嫌い」
「……ビックリカツもお腹満たされないと思うんだが」
「甘いね葛岡君。あれはご飯のおかずにもなるから実質お腹が満たされるんだよ」
甘いのか俺。なら以後気をつけることにしよう。……気をつけるってなんだよ。
つーかどんな会話だよこれ。
「んで、嵯峨山。早く500円」
よく分からない会話を切り上げ、改めて嵯峨山の方を見る。
「………………」
視線の先の嵯峨山は、固まったままジーッと財布の中を見つめていた。
……おい、まさか。
「お前、500円も持ってないのか?」
「す、すみません……そんな下等なお金持ってなくて」
下等なお金って……どんな苦し紛れの言い訳だよ。
いやでもまぁ、こいつ言い訳はさておき、小銭で500円ないことはそれなりにある。食堂で唐揚げカレー頼んだ時の俺がそうだったし。
そういや5限が終わった後に自販機でジュースを買った俺だ。お釣りなら返せる。
「じゃあ千円札でいいよ、お釣り渡せるから」
「いや、諭吉しか持ってないです」
……本当に下等な金持ってねぇのかよ。
「諭吉⁈ ホントに⁉︎」
「……なんでお前が騒いでんだよ」
と、今度はグイッと机から身を乗り出して驚く神崎。
眼前で相反する神崎と嵯峨山。
……どうでもいいが、こうして見比べてみると2人の間に絶望的な差を感じる。何がとは言わないけど。
「岬ってどんなボンボンなの⁈」
「えーっと、私の親が開業医でして……」
「ほんと⁈ めっちゃボンボンじゃん‼︎」
しょうもない思考の傍ら、とんでもなく目を輝かせる神崎。顔がもう『ヾ(¥◁¥;)/』って感じになってやがる。お金でも終わるのかよこいつ……。
「まぁそういうわけで葛岡さん、9500円持っています?」
「そんな持ってるわけねぇだろ。もういい、来週返してくれ」
諦めた。これで帰りに新巻ラノベ買う大作戦は中止だ。ふざけんなよおい。
まぁでも、不幸中の幸いにも4月も終わりに近い。月が変わればお小遣いも入るし、あと3日の我慢だ。
話が逸れたので本筋に戻す。
「んで、嵯峨山、放課後に呼び寄せてまで俺たちに何させる気なんだ? 確かお前、策があるとか言ってたけど」
「あ、そうそう! その件でしたね」
言うと、嵯峨山は机の引き出しをゴソゴソする。そして、1冊のノートを取り出した。
「それは?」
「《体験者名簿》です」
「「《体験者名簿》……?」」
キョトンとする俺と神崎に、嵯峨山は説明する。
「先ほど葛岡さんとお会いした時に伝えそびれたんですけど、これに名前を書いて丸山先生にサインしてもらえれば、私たちの取材を手伝ってくれた証明になるんですよ」
なるほど。イメージ的には部活見学に来た新入生が名前を書いていくやつに近い感じだな。
「私たち新聞部って活動内容のわりには部員が少ないのでよくヘルプしてもらうことがあって。あっ、えーと、ちなみに丸山先生は新聞部の顧問です。融通の効く方なので、名前さえ書いてくれれば取材費用を出してくれると思います」
ふむ。ってことは俺たちがそこに名前を書けば良いってことか。
「そういうことです!」
「……だからなんも言ってないだろ俺」
「まぁまぁ葛岡さん」
「まぁまぁ葛岡君」
なぜ俺は宥められているのか。そしてなぜ神崎はそっち側なんだ。
「そういうわけで葛岡さん、神崎さん。ここに名前書いてもらえますか?」
言って、ノートを差し出す嵯峨山。受け取る俺。
普通に白紙だらけなんじゃないかとか疑いつつもページを繰るが……へぇ、意外とヘルプに実績はあるじゃないか。最新1ページの実績がすべて《板橋》って奴によって築かれていることを除けば、何一つ不審なところはない。
……多分これは気にしたら負けなやつだ。
まぁともかく、特に不審な点はなさそうだ。
が、相手は見るにがさつと伺える嵯峨山だ。
一応念のため最後に確認しておこう。
「これに名前書けば経費は下りるんだな?」
「葛岡さんはどれだけ人間不信なんですか? そんな感じだからいつまで経っても神村さんと友達になれないんですよ」
「ばっか別に神村と友達になんてなりたくもないわ。だいたい誰が好き好んで友達なんて──」
「えっ?」
びっくりする嵯峨山。ぎょろりと訝しむ視線が突き刺さる。
……しまった! そういえば俺、神村と友達になりたい設定だったんだ。
疑われるは負け。なんとか誤魔化せねば……!
「い、今のはなしっ! かかか神村君と、ととととと友達になりたい……なぁー、てへっ♡」
「……えーと、葛岡さんってツンデレなんですか? 正直気持ち悪いんですけど」
「違うよ岬。葛岡君は変態さんなんだよ」
「はぁ、なるほど。いずれにしろとんでもなく気持ち悪いですね」
「だね、葛岡君キモいよ?」
……もうなんとでも言え。
やけくそで、俺は名簿帳の見開き1ページを丸々使って名前を書いてやった。
……俺の勝ちだ、どこぞの板橋君。
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