第8話:山(差+我+1+2π)さん

 「ごめんなさい! 実は財布を忘れてしまってお金がないんです!」


 テキトーに空いている席を見繕ったのち、俺が女を問い詰めると、女は両手を頭の上で合わせ、開口一番に謝罪を飛ばしてきた。


 側から見た構図としては、お金を取り立てるパッとしない男子とお金を取り立てられる巨乳少女。


 近くにいた生徒たちがざわつかないわけがない。


 『おいおい、あいつ女子から金捲り上げようとしてるぜ』

 『男の癖にケチだよな。黙って奢ってやれよ』

 『見るからにクズだよなあの感じ。クズだクズ』

 『ああいう男子見ると虫唾が走るわ。死んだ方がマシね』


 なんで俺が責められる流れになってんだよ……。おいお前ら、悪いのはこいつなんだって。


 そんなボヤきも虚しく、理不尽にも俺を突き刺す冷ややかな視線が2次関数的に増加していく。


 「ま、まぁいいから。とりあえず食えよ」


 ……諦めた。こんな視線の量にはさしもの俺とて耐えきれなかった。


 「えっ? 良いんですか⁈ ではいただきますっ!」


 言われるなり、目の前の巨乳少女はパチンッと手を合わせ、俺から詐欺ったラーメンを凄い勢いでズルズルと啜る。


 よほど腹が減っていたのか……美味そうに食いやがる。


 俺も腹が減っていたので、とりあえず俺も唐揚げカレーにありつくことにした。金属のスプーンでルーとライスを混ぜては掬い上げ、口の中に放り込む。


 ……ん、これは美味い。双葉のヘドロ料理と比べるとマイナス3億倍は美味いぞ。


 ただの食堂飯をここまで引き立てるあたり、ある意味で双葉の飯は最高の調味料だ。是非ともこれはクラスのゴミカス男子どもに味わってもらいたい。


 ……とりあえずあいつらね。


 やさぐれたことを考えつつ、眼前のカレーを黙々と食す俺。嵯峨山も特に話題がないのか、あるいは目の前にあるラーメンのことしか考えられないのか、いずれにしろだんまりしたまま食を進めている。


 食堂の喧騒とは真逆に、沈黙が支配する2人の間。


 こういう間というのは気まずいとか重苦しいとかラノベでは書いてあるが、俺としては現在に至るまで足掛け6年間、ペアワークでみっちり経験しているのでなんともない。


 相手が話しかけてくるまでは黙る。黙っている間は空気と化す。ぼっちの基本的所作だ。


 「さ、さっきはほんと、すみませんでした。そういえば自己紹介がまだでしたね」


 しばらくして、沈黙に耐えかねたのか、眼前の巨乳少女が切り出した。


 「私、8組の嵯峨山岬と申します。しがない新聞部員です。よろしくお願いします」


 「はぁ、よろしく」


 嵯峨山岬……至極当然っちゃ当然だが、やっぱり初めて聞く名前だ。名前を聞いて『山(差+我+1+甲+2π)』で因数分解できるなーと思うくらいに聞き覚えがない。


 ……ちなみに因数分解した時の2πは、立派なおもちをお持ちになられていることを数学的に美しく表現している。我ながら芸術的。ノイマンとか聞いたら発狂するんじゃないかと思う。


 「それで、貴方様は?」


 「え、あぁ、俺は1組の葛岡だ」


 名乗っても恥じのない名前なので普通に受け応える。


 しかし嵯峨山にとっては何か思うところがあるようで、訝しむような目でこちらを見てきた。


 「1組、ということは特進クラス……えっ、葛岡さんってそんな感じで頭良いのですか?」


 「お前サラッと失礼な奴だな」


 遠回しに「パッと見アホ」って酷すぎだろ。早速《絶対に許さないリスト2022》にノミネートだ。


 ……ちなみに説明しておくと、特進クラスってのは1学年12クラスあるうちの高校で文理それぞれ1クラスずつ設置されている、いわゆる勉強のエリートクラスだ。実際、某受験サイトだと普通クラスと特進クラスでは4つくらい偏差値に差があったりする。


 理系の特進クラスに当たるのは1組。つまりは俺もそのエリート集団の一員ってわけだ。


 ……まぁ、もっと言えばエリートの中でもエリートなんだけどな。去年の模試、学年5位だったし俺。


 なのにこいつからいわれのない無礼を働かれるのは気分が良いものではない。


 ちょっぴり、ほんの、いや本当にちょっぴりだけムカついたので、ここは1つこいつを躾けておこう。


 「頭良いも頭良いさ。なんてったって俺は学年5位だからな。崇めろ」


 「……えーっと、なにがです?」


 「定期考査の話だ!」


 「あぁ、定期考査ですか。てっきりハンドボール投げの記録かと思いました」


 「どういう理屈でハンドボールに飛躍した……?」


 ダメだこいつ、アホすぎて話が通用しない。1周回って躾けようとした俺が馬鹿だった。


 ……って、なんで俺こいつのこと躾けようとしてんだよ。こんなことしてる場合じゃないだろ。


 さっさと飯食って神崎の超低予算デートプラン考えねぇと。


 自然、俺の食事ペースは上がる。ライン工場のように胃に輸送されるエネルギーの塊。


 その変化を汲み取ってか、嵯峨山が至極真面目な表情でこちらの様子を心配してきた。


 「どうしました葛岡さん?」


 「なんでもねぇよ。お前もさっさと食って金返せ」


 「もしかして悩み事ですか? 奢ってもらった恩があるので、私で良ければ相談に乗りますけど」


 「別にお前に奢ったつもりなんか……なんで俺に悩み事があるってわかるんだよ」


 「そりゃ見ればわかりますよ」


 「見ればわかるのかよ」


 「だっていかにも残念な雰囲気出ていましたし」


 残念な雰囲気……? 馬鹿な、俺に漂うのは人生勝ち組オーラだろ。視力矯正でもした方が良いと思います。


 「で、悩みっていうのは?」


 「いや、別にお前には関係──」


 嵯峨山のことをあしらおうとして、俺は言葉を止める。同時、嵯峨山の方をそれとなく見る。 


 神崎に負けずとも劣らぬルックス。はだけた制服。張りつめた胸元。そして漂う人生の敗北者感オーラ(=陽キャオーラ)。



 ……いや、待てよ? こいつ、明らかにこなしてきたデートの場数多いよな。



 1日考えても超低予算デートプランを思いつかない俺だ。こいつに相談……って言うと負け組っぽくて嫌だが、こいつを利用してやるのはアリかもしれん。むしろ最善手まである。


 とはいえ、神崎の好きな人を勝手にひけらかすのはさすがに気が引ける。あいつの話的には自分の好きな人を隠している感じだったし、あいにく俺には他人の好きな人を言いふらすような低レベルな趣味はない。


……仕方ない。ここは今後の俺の高校ぼっち生活のためだ。一瞬だけポリシーに背こう。


 「嵯峨山、少し相談いいか?」




 それから俺は、今置かれている状況を思いっきり都合良く(俺は良くない)改ざんして嵯峨山に伝えた。



 ……ちなみにどんな改ざんをしたか。



 ざっくり説明すると、神村と友達になりたい俺が友達になるきっかけ欲しさに同じ部活の知り合いと一緒に神村とゴールデンウィークにどこか出かけたいと思っていたけど、金欠だしどう誘えばいいのか分からないから悩んでいる、的な改ざんを施した。



 もちろん、金欠以外はすべて嘘だ。



 「ほぇー。葛岡さん、あの神村さんと友達になりたいのですか」


 「え……いや、あぁ……うん」


 「なぜそんな嫌そうな顔をするのですか⁈」


 「い、いやぁ⁈ 嫌じゃないぞ⁈ ボ、ボク、カミムラクントトモダチナリタイ……」


 うわっ、びっくりするほどカタコトになったぞ。思ってもない事を言わなきゃいけないってのは大変だな。……アイドルとか芸能人とかマジでどうしてんだろ。


 ゴホンッ。


 「んで、なんか良い案ないのかよ」


 「そうですねぇ」


 言って、グビグビズズズ。ラーメンの汁を飲み干す嵯峨山。

 ぷはぁ、と満足気に息を吐くと、真っ直ぐこちらを見据えて話し始めた。


 「そもそもの話なんですけど、神村さんと言いますか、サッカー部の1軍の方々ってゴールデンウィークにオフなんてないと思いますよ?」


 「え、マジ?」


 「えぇ、本当です。新聞部ゆえにスケジュールは把握しているので、確かな情報です」


 オフがないとか、普通にブラック企業じゃねぇかよ。


 「ちなみにスケジュールはどんな感じになってるんだ?」


 「今日はオフですけど明日は練習で、明後日に軽く調整して日曜日が味スタで公式戦。その後月曜日の学校を挟んで火曜から木曜日が静岡遠征ですね」


 ゴールデンウィークのゴの字もねぇ……一体何の目を出したら全国たらい回しにされるんだよ。


 「とにかく今言った通り、1軍の方々にはちゃんとしたオフがないはずです。加えて神村さんは文武両道を極められている人。近々中間テストがあることを考慮すれば、残念ですが神村さんとどこかに行くというのは少々無理な話だと思います」


 「なるほど……」


 それを言われちゃ打つ手がないな。金銭面をクリアしたとしても日程が空いていないんじゃ無理ゲーだ。


 これじゃあさすがにプランを立てられなくても神崎には責められないだろう。



 ……。


 …………。


 ………………。



 いや、昨日のあの感じだと責められるな。あいつとんでもない殺気放ってたし。


 ……何なのあいつ、悪魔なの?


 天を見上げて軽く絶望する俺。しかしそこに天使が降臨した。


 「ただ、1つだけ。1つだけ方法がありますよ」


 「えっ、マジ?」


 聞き返すと、嵯峨山は不敵な笑みを浮かべる。


 「ちょうど私、来週の木曜日に新聞部の活動で味スタに行くんですよ、サッカー部の取材で。ですがうちの部活はめっきり野球部の甲子園県予選の取材の方に人員が割かれていまして、人手不足なんです」


 「はぁ」


 そういやうちの野球部はサッカー部以上に強豪だったな。夏の甲子園には常連だし、何年かに1回はドラフト候補の生徒もいたりもする。部としての規模と注目度はサッカー部よりも全然上だ。


 必然、野球部に人員が割かれるのも納得がいく。


 「だからもし葛岡さんとお知り合いの方が取材を手伝ってくださるのであれば、お二方の諸費用を部費から賄って差し上げましょう」


 「……舞台と金は用意するから取材を手伝えと」


 「そういう事です。どうです? この提案、魅力的じゃないですか?」


 「まぁ、確かに魅力的ではあるな」


 俺が求めるのは神崎と神村の時間、そしてその時間を生み出すまでに掛かる費用の負担。


 対して嵯峨山が求めるのは取材を手伝ってくれる人材。


 互いに利害が一致しているし、デートという観点で見ても、俺たちがサッカー部の取材を手伝う以上、神崎と神村が触れ合う時間というのは少なからず確保できるだろう。


 だから、こいつの提案は確かに魅力的だ。



 ……が、聞くに1つ、突っ込んでおかなきゃいけないところがある。



 「だけどそれって、部費の横領になるんじゃねぇか?」


 こいつの言葉に惑わされてはいけない。部員でもない生徒が他の部の部費を使う。こいつの言っていることは、捉え方によっては新聞部の部費の横領だ。


 横領、すなわち犯罪、つまり負け。勝ち組たる者がそんなことに手を染めていいはずがない。


 ……まぁ、犯罪は誰もが手に染めちゃいけないことなんだけどな。


 「葛岡さん」


 そんな俺の正鵠を射た指摘に、まんざらでもない表情で嵯峨山は言ってのけた。


 「……犯罪っていうのはバレるから犯罪であって、バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」


 ……なに言ってんだこいつ。犯罪はバレるから犯罪なんだよ。


 こいつを頼ろうとした俺が馬鹿だった。おっぱいおっきい陽キャだからこういうイベントには強いと思ったんだが、やはり友達多い陽キャはどこまで行っても負け組の、使えない人間だった。


 最後の1口を胃の中に放り込み、俺は席を立つ。


 「帰る。じゃあな」


 「ちょ、ちょっと待ってください葛岡さん! 今のは冗談ですって‼」


 「っ⁉︎」


 お盆を手に取ろうとした俺の右手を、嵯峨山ががっちりホールディングしてくる。二の腕辺りがなんとも柔らかい感覚に包まれ、思わず力が抜けてしまう。うぅ、柔らかい……。


 『………………』


 そんな右腕の感触とは対照的に、俺と嵯峨山の近くにいた生徒、特に男子生徒は鋭い視線を飛ばしてくる。


 ……多分、この視線を訳すと「今すぐ死ね。頓死しろ」って感じの意味になる。ラッキースケベにも容赦しないとかお前ら厳しすぎるだろ。悪いが、殺されるくらいなら殺すからな。


 と、今この状況下で言うと間違いなく殺されるので、


 「じょ、冗談なのは分かったからちょっと腕離せ」


 言って、俺は諦めて座ることにした。


 話を本筋に戻す。


 「でもどうすんだよ。横領はさすがにダメだろ」


 「大丈夫です。策があります」


 ポンッと立派なおもちを協調するように胸を叩く嵯峨山。なるほど、策があるのか。


 「……まさか隠蔽工作とか言うんじゃないだろうな?」


 「葛岡さん、いくら初対面だとはいえ、それは失礼ですよ?」


 「いやいや嵯峨山さん、初対面の俺にラーメン代払わせておいてよくそんなこと仰せになられますね」


 「……お戯れを」


 「なにがお戯れだ。つーか早く金返せ金」


 金欠高校生からしたら500円ってものすごく大金なんだぞ。その気になればブックオンでラノベ50冊買えるんだからな。


 内心やさぐれる俺。と、ちょうど5限の予鈴が鳴り響いた。


 ……時間もない。さっさと結論を聞いておこう。


 「で、その策ってのはどういうのなんだ?」


 聞くと、食事を終えた嵯峨山はお盆を手に立ち上がる。


 「葛岡さん、今日の放課後空いてますか?」


 「放課後? まぁ、空いてるけど」


 「そしたら丁度良いです。今日の放課後、本校舎2階の角にある《物理準備室》に来てください。時間も時間なのでそこで話の続きをしましょう。お金もそこで返すので。あっ、あと一応そのお知り合いの方も連れて来てください」


 「はぁ……まぁいいけど」


 「では、また放課後に」


 言って、足早にその場を後にする嵯峨山。


 喧騒が去りつつある食堂で、取り残される俺。


 「……やべっ、次移動教室」


 俺は急いで食器を片付け、教室へ戻った。

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