幕間①:安心してください、はいてますよ!

 その日の晩。時間は午後7時くらい。


 行きつけの書店から帰ってきた俺は、一も二もなく自室のベッドへと飛び込んだ。


 スプリングの反動を背に受けながら、靴下、ついでズボン、ワイシャツと脱ぎ捨てる。


 露出狂だと思われるのは嫌なので一応言っておくと、制服の下には体操着を着ているので大丈夫だ。安心してください、穿いてますよ!


 「……疲れたな」


 純白の天井を眺めながら、俺はここ最近の出来事を振り返る。


 鳴岡先生に奇襲を掛けられ、神崎の生徒手帳を届けさせられ、偶然にも神崎の秘密を知らされてしまった先週の金曜日。


 そんでもって事情が事情とはいえ、週が明けたら今後は神崎の恋愛に協力する羽目になって──。


 「……ダメだ、思い出すだけでさらに疲れる」


 ズシズシと重力を感じてさらに身体の重みを感じる。家に帰ってきて今日発売のラノベ《断罪のエレメント 巻弐》を読み進めるつもりだったが、今日のところは無理そうだ。


 コンコンコン。


 と、唐突に俺の部屋をノックする音が鳴り響いた。


 「……し、失礼します、兄さん」


 「ん」


 だらしなく返事をし、顔だけ声が聞こえた方に向ける。


 そこには可愛らしい人影が1つ。


 部屋の扉からトコトコ入ってきたのは俺の6つ下の弟、光樹だ。


 兄弟の贔屓目なしでかなりの美少年って感じで、学校では人気者だと耳に……した事はないが、プロサッカークラブの下部組織に所属しているから人気者に違いない。可愛いしな。


 そんな可愛い弟が部屋に入るなりベッドの側でちょこんと正座をして、


 「……兄さん、少し深刻なお話が」


 本当に深刻そうな顔で話を切り出した。


 ……どうやら横になりながら聞いちゃいけない話らしい。


 弟が困っていたら助けてやるのが兄貴としての役目だ。降りかかる重力に逆らいながらなんとか身体を起こし、胡座あぐらをかいてどっしりと構える。


 「なんだ、なんでも言ってみろ」


 「……実は姉さんが『明日学校で調理実習あるから、その予行演習も兼ねて私が晩御飯作るね!』って……」


 「なん……だと……?」


 なんでも言ってみろとは言ったがそれは想定外過ぎるぞおい……。


 光樹の言う姉さん──すなわち俺の妹の名は、葛岡双葉。現役バリバリの中学2年生で、なにをやらせても基本的にハイレベルでこなしてしまう俺氏顔負けのスーパーJCなんだが……。


 その……料理だけは致命的にできない。


 どれくらいできないかって言うと、例えばカレーを作ると、よくアニメとかで料理の下手な人が作るとできる、あからさまに毒だよなって感じの色をした粘液が出てくる。


 もちろん味なんか不味すぎて分かったもんじゃない。強いていうならかゆいとか。……味覚じゃねぇっつの。


 しかもタチが悪いことに、双葉は料理を振る舞った者に対して料理を全部食うまで離席を禁じてくる。食品ロスは許さないたちらしい。やだ、なんてエコロジーなの。


 ……ちなみに双葉に逆らって席を離れると、翌月のお小遣いが全額ボッシュートになり、来月の食費に組み込まれる。やだ、なんてエコノミーなの。


 海外転勤で両親が家にいない我が家では双葉が財布を管理することになっているゆえ、少しでも双葉の機嫌を損ねるとやられかねないのだ。……嫌だ、なんてサディスティックなの。せめてドメスティックになれよ。


 まぁ要するに、料理をお見舞いされたくなきゃ双葉を納得させるしかないってことだ。


 「それは早急に対処しないと」


 人間不思議にも、命の危機を感じると疲れなんて吹き飛んでしまう。頭がグンッと冴え渡り、身体に活力が宿る。


 何をするにも情報が命。まずは情報の収集を行う。


 「光樹、双葉は今どこに?」


 「ざ、残念ながらもう実験台キッチン鎮魂曲りょうりを……」


 「マジか……」


 「ちなみに先ほど冷蔵庫を確認したところ……命の調味料マヨネーズも切らしていました……」


 「…………」


 連続して降りかかる災難局面の数々に絶句する俺。なんでもとりあえず美味くする命の調味料マヨネーズもないとかプロ棋士もプロキシに委ねたくなるくらい詰んでる状況じゃないか……とかしょうもない駄洒落でうっかり現実逃避をしてしまう。


 「どうしましょう、兄さん……」


 双葉は既に料理中。そして命綱となるマヨネーズも切らしている。状況は絶望的。


 だが、追い込まれた状況では選択肢が狭められている分、決断にはそう時間は掛からない。


 ……こうなったら俺と光樹に取れる選択肢はもはや1つしかない。


 「こ、こうなったらとんずらだ!」


 言いながら、ベッド横の窓に目をやる。ここは2階。飛び降りても死にやしない高さだ。


 「光樹、覚悟を決めろっ!」


 「は、はいっ!」


 すぐさま扉を開け、庭の芝生の状態を確認。


 窓の額縁に足を掛け、いざ飛ばん──とする、まさにそのタイミングだった。


 「おーにい、みーつき、で〜きたよっ♡」


 そんなルンルンな声とともに俺の部屋に侵入してきたのは、妹の双葉。人でも殺めたんかっつーくらいに赤黒い色で汚したエプロンを纏った双葉が、機嫌良さそうな笑み、しかしこっちとしては不気味としか感じられない笑みを浮かべてこちらを見据えている。


 ……どうやら数秒間に合わなかったらしい。


 「って、なんで窓に足なんてかけちゃってるの2人とも。危ないからこっちき〜て!」


 「い、いやぁ⁉︎ ちょーっと外の空気吸いながら足の筋肉でも伸ばそうかなと思ってな! も、もう少ししたら行くから下で待ってろ!」


 「だーめっ! 冷めたら不味いから早く! ……それとも、お小遣いが惜しくないの?」


 「うっ……」


 「に、兄さん……」


 涙目で互いに見つめ合う俺と光樹。


 もはや逃げる手段まで封じられ、誰がどう見ても絶望的な状況。


 ……しかし最後まで希望は捨ててはいけない。


 自らの運命を受け入れ、意を決した俺は光樹にボソッと言ってのける。


 「……いいか光樹。双葉にバレないように全力で吐き倒せ。兄貴としての命令だ」


 「……分かりました」


 互いの健闘を祈ってから数分後、俺たちはドス黒い液体に麺のようなものが入ったヘドロ(ほうとう)を一心不乱にかき込んだ。




 安心してください……吐いてまゔぇ※%♯●♪☆$◎?¥──

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