第4話:取引の結果と妥協案

 そんな事があって、3日後。週末にゴールデンウィークを控えた月曜日。


 内心ヒヤヒヤしながら今日すべての授業を終えた俺は1人、研究同好会の部室で安堵していた。


 「良かった……バレてなさそうで」


 神崎の家に出向いたことがバレ、クラスメイトの男子に半殺しにされることもなく。


 かと言って神崎が俺に自分の秘密がバレたのではないか、と疑いの目を向けることもなく。


 俺の懸念とは裏腹に、ぼっちを謳歌する高校生活は今日も変わらず訪れていた。


 「いやー、マジで助かったわー」


 部室の窓を眺めつつ、1人ごちる。


 窓の先にはネット越しに燦然さんぜんと輝く人工芝。今日はサッカー部の練習もないので静かだ。


 ……こんな時はあえての胸アツ展開盛りだくさんのハイファンタジーもありだな。


 そう思って本棚に手を伸ばして──急に「バンッ!」と部室の扉が開いた。


 その行動1つで誰が入ってきたのは推測に容易い。気分が急にダークになる。


 ……なんでまたあんたがここに来るんだよ。


 「失礼するぞ」


 とか言いながらまったく失礼に思ってなさそうに侵入してきたのは、俺の予想通り鳴岡先生だった。今日も今日とて相変わらずの横暴。まったく、横暴なのは胸だけにしてほしい。


 当たり前のように部室に侵入してきた鳴岡先生は、矩形に組まれた机の、俺から見て対面にあたる側に置いてあった椅子に腰掛ける。


 1つ息を吐いて、俺に話しかけてきた。


 「なぁ葛岡、少し残念な話ととんでもなく残念な話があるんだが、どっちから聞きたい?」


 ……なんで両方とも残念なんだよ。開口一番から本当に横暴だな。


 鬱陶しいこと極まれりなので、即刻退去を求める。


 「どっちとも聞きたくないですね。用がないなら帰ってもらえますか?」


 「そうかそうか、とんでもなく残念な話から聞きたいか。なるほど……貴様はジャージは下から履く派なんだな」


 「……ちょっとだいぶなに言ってるかよく分かんないです。というかそんなこと一言も言ってないんですけど。とにかくお引き取り願います」


 「ではとんでもなく残念な話からしよう」


 俺の発言などなんのそのらしい。マジで早く帰ってくんねぇかな。


 良い加減聞く耳の1つくらい持ったらどうかと思うが、いかんせんこの人が相手だ。こうなっては聞く以外の選択はないので、一応真面目に聞いておこう。


 「で、なんですか、とんでもなく残念な話って」


 「実は最近知ってしまったことなんだが」


 「はぁ」


 「栃木県ってあるだろう?」


 「ありますね」


 「あそこの県庁所在地って宇都宮だよな」


 「……まぁ、そうですね」


 「なのに栃木市もあるらしいぞ」


 「………………」


 あまりのしょうもなさに思わず絶句してしまった。つーかなにがとんでもなく残念なんだよ。今すぐ栃木市民に謝罪してこい。


 「えっ? 残念だよな? だって栃木市だぞ? 栃木市があるのに栃木の県庁所在地は宇都宮とか、栃木市残念過ぎるだろ!」


 ……前言撤回。謝罪じゃ足りないな。今すぐ土下座してこい。ほら早く。


 「葛岡もそう思うよな? な?」

 「帰らないなら俺が帰ります。では」


 どうやらお引き取り願えないようなので、俺が引き取ることにした。


 席から立ち上がって鞄を手に取り、先ほど手に取ろうとしたラノベを取り出して部室の外へ足を向ける。


 その様子を見て、鳴岡先生は、慌てて俺を呼び止めてくる。


 「ちょ、ちょっと待ちたまえ葛岡! まだ少しだけ残念な話が!」


 「……くだらない話に付き合う暇はないんですけど」


 「あ、案ずるな葛岡。今のは前座でむしろこっちが本題だ。任せたまえ」


 まったく頼りないお言葉を仰せになられる鳴岡先生。


 ……とてもすこぶる案ずるし任せられないんだが。


 とはいえ、不覚にもこの人は担任。本題と言われれば帰るわけにも行かないので、大人しく元の席に座る。


 「で、なんですか。少しだけ残念な話って」


 聞くと、コホンッと1つ咳払い。そして鳴岡先生は先ほどまでとは打って変わって神妙な面持ちをする。


 「少しだけ残念な話というのは、この前言っていた貴様の部活の件だ」

 「部活……あっ」


 言われて、ハッと思い出した。


 ……そういえば俺の部活って廃部になりかけてたんだったな、スペースの無駄だとかスペースの私物化だとか活動がどうとかで。神崎の件があって完璧に忘れてたわ。


 いやでも忘れるのも仕方ない。だってあれは確か鳴岡先生が廃部にならないように力を貸すって言っていたはずだったし……。



 ん、待てよ?



 この人、さっき俺の部活の話題を「残念な話題」って言ったよな?



 ……もしかして。



 一抹どころか八抹くらいの不安を感じながら鳴岡先生の方に視線を向けると、鳴岡先生は珍しく険しい表情を浮かべていた。


 その表情が、言葉を発せずとも結論を明示していた。


 「マジ、ですか……」

 「大マジだ」


 結論──すなわちそれは研究同好会の廃部が決まってしまった──ということである。



 ──なにやってんだよ。



 糾弾の言葉が一瞬喉から出かけて、俺はすぐに飲み込む。



 ……ダメだ、この人を責める理由がねぇ。



 この人が俺に約束したのは、研究同好会が廃部にならないようにする事だ。何も部の存続をしたわけじゃない。


 だからその要求を俺が飲んだ時点で、廃部になろうがならまいが、助力をしたこの人を責めることはできない。契約上はなにも問題ないのだ。


 まぁ、もちろん助力していなければ別の話ではあるが……。



 ………………。



 待てよ? この人、本当に助力したのか?



 少し怪しいな。確認しておこう。


 「えーっと、先生って廃部させないようになんかしたんですか?」


 「失敬な。校長の前でガンジーの如く居座って抗議してやったぞ」


 「……というのは冗談で?」


 「校長に未だかつてないほどの罵詈雑言を浴びせた。ハゲとかワキガとかクソジジイとか」


 「……マジですか」


 「マジだ。私は約束を守る女だからな!」


 ……別に俺、未だかつてないほどの罵詈雑言を浴びせろなんてひとっことも言ってないんだけど。誇らしげに渾身のサムズアップとかしないでほしい。



 うぅむ、しかし廃部とは痛すぎるな……。プライベートスペースを失うなんてさすがに想定外だぞ。


 「落ち込むのはまだ早いぞ葛岡。言っただろ? 少しだけ残念な話って」


 あぁ、そういや確かに少しだけ残念っつってたなこの人。


 つーことは多少の妥協案でも取り付けてくれたのだろうか。黙って続きを促す。


 「廃部は既定路線なのには変わらない。だが、その代わりにが設けられた」


 「猶予と……条件……?」


 「そうだ。簡単な話、猶予期間中に条件を満たせばここは廃部にはならない」


 「え、マジすか。先生めっちゃ優秀じゃないですか」


 「だろう? こう見えても私、とんでもなく優秀なんだよ」


 言って、ドヤ顔で力強く頷く鳴岡先生。ここまで先生のドヤ顔がウザくないのは初めてかもしれない。


 「で、その猶予と条件ってなんですか?」


 聞くと、鳴岡先生は自慢げに説明を始める。


 「まずは猶予だ。廃部のタイミングは即日って話だったが、1学期終了の日にズラさせた……校長がズラだけにな。つまり貴様はどう過ごそうとあと3ヶ月弱はこの部屋を自由に使える」


 「な、なるほど……それで条件は?」


 「1学期終了の日までに部員を4人揃えれば、部活に昇格して存続を認める……と校長に吐かせた。言質げんちも取ってあるから案ずるな」


 「はぁ……」


 なんか校長が不憫でやまないんだが。


 こうして聞いてみると善玉のはずの鳴岡先生がどうやってもヒールにしか見えない。なんだったら徹頭徹尾エブリデイヒールにしか見えない。


 だがまぁ、今回は俺のためにしてくれたから校長の犠牲サクリファイスは黙認しておくとして。


 「まぁ、要するに部員数さえ確保できれば廃部は免れるってことですね」

 「そういうことだ。廃部にしたくなければ、貴様はあと2人部員を集めれば良い」


 なるほど、珍しくも今回は俺に選択肢が与えられているらしい。



 部員を集めて存続を目指すか、残り3ヶ月の時間をいつも通りに過ごすか。


 短期的に見れば後者だが、その後の高校生活をあの大衆の中で過ごすのはどうも気が引ける。人口密度や損得勘定で考えても、後者よりも損失の少ない前者が妥当だ。


 そうなると非常に厄介で危険極まりないが、俺はこの人の言う通り部員をあと2人集めればいいわけ……ん、2人?


 「えーっと、先生。ここ、俺しか部員がいないはずなんですけど」


 先生の発言の違和感に、俺は思わず問いただす俺。



 ──そう。俺が創部した研究同好会には、確かに俺しか部員が存在しない。

 

 なんせ創部目的が学校にプライベートスペースを持つことだ。他の部員なんているわけがない。


 だから本格的に部活への昇格を目指すことになれば、最低3人の部員を引き入れる必要があるはず。


 なのに2人。先生曰く、4−1=2……。


 「……もしかして引き算もできなくなったんですか?」


 半ば本気で心配しながらジト目を向ける俺。


 すると殺意が滾った視線が返ってきた。


 「なんだ貴様、私が旧帝薬学部の末席だからって煽ってるのか」


 「煽ってないです。……えっ、旧帝末席なんすか? あ、いや、その、マジで煽ってないっす。あ、煽ってないから! 拳ゴキゴキするのやめて‼︎」


 先生のモーション1つで死を感じ、慌てて静止に掛かる俺。


 俺としては《旧帝》に重きをおいたはずなんだが、鳴岡先生は《末席》を馬鹿にされたと感じたらしい。まったく、説明力のみならず理解力も難ありか。よく教師になれたなこの人。


 心の中で若干軽蔑しながら、ふぅっと大きく息を吐いて話を戻す。


 「でもじゃあなんで2人なんですか? ……あっ、もしかして」


 戻してすぐ、1つの仮説に思い至る。


 高校の教師になれる人間が算数の引き算ごとき間違えるはずがない。だとするならば、先生の言葉は真であり。


 つまりは、


 「えーっと、もしかしてですけど、そういうことですか?」

 「ふっふっふ。そういうことだ」


 そういうこと──それはつまり、既に研究同好会に1人入部した生徒がいるということだ。


 ……しかしよくうちの同好会に入ろうと思う奴がいるもんだな。


 研究同好会といえば圧倒的に知名度の低い同好会。しかも活動の実態も不明。

そんな同好会に入ってくれる人なんて普通はいないはず。


 ともすれば、おそらくは鳴岡先生が事情を垣間見て部員を1人増やしてくれたのだろう。


 常習的に嫌がらせをしてくるだけあり、よく俺のことを見ている。不覚にも先生の慈愛に感動してしまった。うぅ……先生……っ!


 「でもまぁ、別に私が勧誘したわけではないんだがな」


 なんだよ違うのかよ。俺の感動を返せ。


 「約束以外のことには肩入れしないのが私のモットーだからな。あくまで私は一生徒の意思を尊重したまでだ」

 「さいですか」


 まぁ、よく分からんが部員探しの負担が減ったからなんでもいいや。


 ゴホンッ、と鳴岡先生は咳払いをする。


 「というわけでだ葛岡。早速だが貴様には今から顔合わせをしてもらう」

 「い、今からですか?」

 「なんだ、ビビってるのか?」


 ビビる要素どこにもないだろ。


 「いや、そうじゃなくて。別に俺は名前だけ貸してくれれば十分なんですけど」

 「じゃあ、入りたまえ」


 俺の意見はなんのそのですか。良い加減聞く耳くらい持って欲しいんですけど。



 

 ……が、そんな心のボヤきは次の一瞬ですぐに消し飛ばされた。




 なぜなら、考えられる限り1番来て欲しくない生徒が現れたから。




 部室に現れたのは1人の女子生徒。


 特徴的な藍色の髪をゆるくおさげにし、初夏だというのにスラッとした脚を覆うレギンス。全体的に華奢な体躯をした、圧倒的清楚感&顔面偏差値。




 鳴岡先生の言葉で部室に入って来たのは──神崎藍だった。

 



 まさか、バレたのか……?

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