すばらしい真人間

がしゃむくろ

すばらしい真人間

 人間の身体を分解し続けて、脳だけ残ったとする。その脂肪の塊さえあれば、自分は自分でいられるのだろうか。

 たとえ手が、足が、胴体がすり替わっても、意志の源である脳が残っていれば、それは“私”たるのだろうか。

 こうして全く見ず知らずの身体に繋がってみても、答えを出すのは難しい。

 隣に横たわっている頭が空っぽの肉体は、紛れもなく私のものである。が、もはやその手足を自分の意思で動かすことはできない。

 いま、自由に操ることができるのは、金属フレームと無数の管を人工皮膚で包み込んだこの腕と足の方だ。

「気分はどうだね」

 煙草を吹かしていた医者が、こちらを見ずに尋ねた。

「吐きそう……な気がする」

「そうだな。という言い方は正しい。その身体に消化器官はないから、吐くものもない。だが、君の脳はありもしない胃袋から何かを吐き出したくて仕方ないようだ。元の身体との矛盾に脳が慣れるまで、しばらくはかかるだろう」

 イソギンチャクのような薄気味悪い医療アームを腕から外すと、医者は部屋の隅に置かれていた姿見を転がしてきた。

「随分と男前になったじゃないか」

 そこには、裸の男が映っていた。ダビデ像のような肉体美は、煮干しのように貧弱だった元の身体とは正反対である。

 顔の血色も良い。自分の顔が健康的に見えるのは、生まれて初めてだった。

 肉体のほとんどが人工物である今の方が、生き生きと見える。性器のない、去勢されたこの身体の方が遥かに男らしいのだ。とんだ皮肉だと、思わず苦笑した。

「チップの埋め込みは上手くいったのか?」

「ああ、問題ない。あんたは正真正銘、人間だよ。あちらの世界の人間だ。こっちでのあんたは、抜け殻になった」

 開頭されたまま横たわるヒトの身体を顎で示しながら、医者が言った。

 しばらく安静にした後、約束した謝礼を彼に残し、軽く礼を言い、部屋を出て暗い階段を昇った。

 地上へ出ると、仮設トイレのような刺激臭が鼻孔に流れ込む。意識のコントロールによって嗅覚を遮断できるはずだが、まだ上手く扱えない。

 曇りでもないのに、空はいつも塵と灰でどんよりとしていた。そのせいで、腐って黒ずんだ小汚い住宅の数々はより一層貧相に見えた。

 道行くヒト達が私を見て警戒している。無理もない。真人間が塀の外の世界にひょっこり現れるということは、彼らにとって凶兆でしかない。

 恐れと怒りとがない交ぜになった視線を浴びながら、足早に駅を目指す。

 そこから列車で中央ゲートに向かうのだ。この身体と頭のチップさえあれば、ゲートをくぐり、あちら側に入ることができる。ヒトである限り、特例を除いて真人間の都市に入ることは許されない。真人間だけが、あちら側に渡ることができる。

 ゲートの先──かつて山手線と呼ばれた路線に沿って築かれた巨大な塀の中には、ブレーンシティと呼ばれる真人間達の社会が広がっている。

 深刻な食料問題と環境汚染を乗り越えるために、一部の人間たちは自分の肉体を脱ぎ捨て、脳だけで生きることに決めた。一部の人間というのは、富裕層、権力者、特権階級などと言い換えても良い。

 彼らは食べて排泄するというプロセスを要しない、半機械の肉体に自身の脳を移植した。人工物ゆえに、彼らの身体はつま先から髪の毛にいたるまで、好きな要素を継ぎ接ぎすることができる。ところが、自由に容姿を選択できるにもかかわらず、彼らは一様に似たような顔立ちと体つきをしていた。ただ、容姿が瓜二つでも、脳に組み込まれたチップによって誰なのかを判別できる。逆に言えば、チップだけが自分という存在を担保するものであった。

 彼らは自分達を真人間と呼び、私たちヒトと差別化した。

 資源を食い潰すだけの存在から脱却した自分達こそ、人間の新しい形であり、真の人間であると言い放った。そして人工の身体を買う金のなかった我々ヒトは、下等な動物へと貶められ、彼らが占有した都市部から閉め出された。

 それ以来、ヒトは下水道に暮らすネズミとそう変わらない生活を送っている。荒れ果てた土地で、ゴミを漁り、奪い合う。大して食うものもないのに、排泄物は垂れ流され続けた。

 ヒトとして地べたを這いずり回るようになってから、二十年ほど経つ。

 人口比で言えば、ヒトの方が真人間を圧倒している。だが、あらゆる意味での力は、真人間に集中していた。惨めな日常に疲弊したヒトがどれだけ大挙して真人間に挑もうとも、強大な軍事力と科学力の前にはひれ伏すしかないのだ。

 私がこうして真人間の身体を奪い、ブレーンシティを目指すのは、そうした無謀な挑戦ではない。強いて言えば好奇心である。

 十六になったばかりのひとり息子が、忽然と消えた。妻が病死してから、この世でたった一人となった肉親が。

 この世界でヒトがいなくなるのは、何も珍しいことではない。生存手段として共食いを選択したヒトは、決して少なくない。

 家族も消えて、働き続ける意味も見出せず、掃き溜めの成れの果てのようなこの世界に生き続ける意志が失せた。

 そして──すべてがどうでも良いと感じていた時、それを見つけた。

 私はトラックに積んだ、汚染された危険物を廃棄しようとしていた。クレーターのような巨大な穴へ落とし込もうと荷台を傾けるスイッチを押し、外に出て廃棄物が穴に吸い込まれていくのを見つめた。

 ふと荷台に視線をやると、ゴミの中に人の手が見えた。

 慌てて荷台の角度を戻し、手を引っ張った。

 それは、真人間の男だった。

 これほど間近で見たことはなかった。皮膚の感触はヒトそのものであり、中身が電池で動く機械であるというのは驚くほかない。

 真の人間の形。力の象徴。支配者の姿がそこにあった。

 そこで閃いた。

 一度で良いから、味わってみたいと思った。彼らの世界をこの目で見てみたい。一握りの人間だけが享受できるものを、この手にしたい。

 死ぬのはそれからでも遅くない。

 それが問答無用で極刑となる真人間への加害を犯し、ブレーンシティに向かう理由だった。


 中央ゲートで乗り込んだ特殊列車が、首都内部に通じる長いトンネルを進んでいく。車内には数人の真人間がいた。彼らをヒトと見分けるのは容易だ。やつらはみんな同じような顔をしているだけでなく、動作にも無駄がない。

 私もその一員であるように見えているだろうか? 感覚のコントロールはずっと上手くなってきたが、動けばボロが出そうで、彼らの中に混じって歩くことが恐ろしかった。

 この潜入が長く続かないことはわかっている。ともすれば、列車から降りたその場で不正が発覚し、処理されてしまうかもしれない。せめて一日、この日だけは何事も起きないことを祈った。

 やがてトンネルを抜けると、巨大なコンクリートの塊が連綿と続く景色が広がった。それらは超高層の建造物であるようだが、いずれも窓がついていない。恐ろしく無機質な立体が、ひたすらに並んでいるだけだった。

 それらの間を縫うようにして、何本もの巨大な半透明のチューブが、縦横無尽に張り巡らされている。中には細長い卵のような形の車両が、規則正しく連なっていた。

 ここは本当に、私達が住んでいた場所と地続きの世界なのだろうか。にわかには信じ難い光景だった。

 ただひとつ、常にどんよりとしたネズミ色の空だけが、どちらの世界も同じ星にあることを示していた。

 医者の話では、ブレーンシティの中で直接金銭のやり取りをすることはないという。何かのサービスを消費すれば、チップと連動した口座から自動的に料金が引かれるのだ。

 だから、身体とチップを頂戴したこの真人間が一文無しでもない限り、私は金に困ることはない。

 この話を教えてくれた医者は真人間だ。いや、真人間だった。今頃は、移植手術の対価として提供した私の身体に移り、お望みのヒトになっているはずだ。彼からは他にもブレーンシティの話を色々と仕入れることができた。

 中央ステーションに着いたら、エントランスを出てタクシーを探せばいい。タクシーが捕まったら、AIドライバーに「自宅」とだけ告げる。そうすれば、私のチップをスキャンして、行動履歴に残された自宅の位置情報を読み取り、最短距離で目的に着く。

 そうして私は、この身体の主の住処にやって来た。

 高さ十メートルほどのピラミッド状の建物は、コンクリートで固められ、やはり窓がなかった。家というより、何かのオブジェだ。

 正面に立つと、壁の一部が上にスライドして入り口が開いた。中に踏み入ると、一斉に照明が点灯した。

 部屋という区切りはなく、そこにはだだっ広い空間だけがあった。喉が渇いた気がして水道を探したが、見つからない。冷蔵庫の類いもない。少し経って、生きるのにもはや水を飲む必要すらないことを思い出した。当然、トイレもない。

 この空間は、空っぽと言って差し支えない。

 置かれているのはロッキングチェアくらいで、とりあえずそこに腰掛けた。

 目の前の壁には幅二メートルほどのモニターが掛けられている。主人の帰りを察知したのか、モニターが起動し、画面の中央に青い球体が浮かび上がった。それは声を発した。

「お帰りなさい」

「……ただいま」

「あなたのバッテリー残量は十七パーセントです。チャージしますか?」

「ああ、頼む」

 するとチェアの背もたれから何かが飛び出し、背骨の真ん中あたりに突き刺さった。

 言うなれば、これが真人間にとっての食事である。彼らは食料を貪る代わりに、電気を食べる。当然、電力を生み出すプラントが必要で、それは原子力発電所が担っていた。

 真人間にとっての生命線である原発は、しかし、ブレーンシティの中には置かれていない。すべてが塀の外の海岸沿いに建てられている。数年前の大震災では、この島国の南方沿岸部一体を巨大な津波が襲った。それにより二基の原発がメルトダウンを起こし、大量の放射性物質が漏れ出した。正確な被害はわからないが、少なくとも当該地域は生物が住める環境ではなくなった。

 そんな有事でも、ブレーンシティは止まることはなかった。

「他に御用はございますか?」

 モニターが青い目で私を見つめながら訊いた。

 しばらく黙ってから、私は答えた。

「君の知っていることを教えてくれないか」

「私の権限で答えられる範囲であれば、何なりと」

「この家の主人の名は」

「トウドウキョウヘイです」

「年齢は」

「脳年齢は四十五、肉体年齢は二です」

「職業は」

「公務員です。国家事業体の平和推進課に属します」

「それは何をする仕事だ」

「ブレーンシティの内外で発生した犯罪を調査し、要因となったヒトを摘発するのが主たる業務です」

「真人間の犯罪は摘発はしないのか?」

「犯罪はヒトだけの所業です。犯罪の定義が“ヒトの犯す罪”ですので、真人間の犯罪ということ自体が矛盾であり、成り立ちません」

「……真人間が罪を犯さないという根拠は? その、言葉の定義上ということではなく、犯罪行為を働かないという根拠は」

「真人間の脳は、事前に検閲を受けています。すなわち、犯罪因子となる遺伝子や疾患を持った脳は、真人間となることができません。そうした問題のある脳の持ち主は、ヒトとして暮らすか、安楽死を選ぶかの二択しかないのです。また、犯罪行為を引き起こす過剰な感情──怒り、悲しみ、恐れ、絶望といった感情は、発生とともに減衰し、無害なレベルまで抑制されます。チップによる制御で、過剰な神経信号や分泌物を抑制できるためです」

「過去に、例外的に真人間が摘発された事例は」

「ありません」

 無機質な声との会話をしながら、ブレーンシティの開発が始まった頃を思い出していた。たしかにあの頃、政治家は「犯罪のない都市」を標榜していた気がする。安全でクリーン、快適でストレスレス、夢の未来都市。当時は特権階級の戯言だとばかり思っていたが……。

「他にお聞きになりたいことは?」

 青い目を見つめながら、何を訊くべきか考えた。彼の話によれば、私が乗っ取った真人間はヒトを摘発していた。普通に考えれば、真人間が罪を犯さないということ以上に、ヒトがブレーンシティで罪を犯すということの方があり得ない。そもそも、ヒトがここに入ること事態が不可能に近いからだ。

 シティへの入り口は中央ゲートのみ。そこは幾層ものセキュリティが完備されていて、真人間以外の生き物が入り込む余地はない。無理に侵入しようとすれば、一瞬で灰にされてしまう。

 空から侵入を試みても、シティが承認していない飛行物体は容赦なく撃墜される。他に知られざる経路があったのだとしても、シティの内部ではどこにいても脳のスキャナーを搭載した監視カメラの目から逃れることはできない。チップを埋め込まれていないヒトがカメラの圏内に入れば、たちまち不法侵入が発覚してしまう。

 ヒトは真人間の暮らしぶりや社会の仕組みは何一つ知らないが、ヒトを排斥するためのシステムの充足ぶりは、必要以上に刷り込まれていた。

「ブレーンシティに入ることなんて、ヒトには無理な芸当だ。どうやって入っているんだ」

「それに関する情報は、データベースに残されておりません」

「であれば、私が摘発したヒトの事例を見せてくれないか」

「平和推進課のデータベースは外部からのアクセスを受け付けていませんので、お答えできません」

 詳細を知るには、このトウドウという男の職場に行かなければならないらしい。行動履歴を使えばそこにたどり着くのは容易だろうが、そんなリスクを犯す気にはならなかった。

 その後も、このチップの持ち主についての詮索を続けたが、どれもこれも履歴書に並べられた建前のような味気ない情報しか出てこない。

 パーソナルな面が何も見えてこないのだ。

 ふと思った。この真人間は、いったい何が楽しくて生きているのだろう? 私生活に生きる糧のようなものは感じられない。この屋内と同じく、空虚である。仕事に生き甲斐を感じているのだろうか。

 ヒトの生活は、みすぼらしく惨めだ。本気で抜け出したいと何度願ったかわからない。人間の底辺である。

 だが、トウドウの生活は、はたして私を幸福で満たしてくれるようなものなのだろうか。この空っぽで、スカスカの日常が、幸福と呼べるものなのだろうか。

「教えてほしい。私は普段何をしている」

「あなたは 国家事業体の平和推進課の職員ですので、ブレーンシティの内外で発生した犯罪を調査し──」

「いや、そうじゃないんだ。仕事ではない時、この家で、私は何を楽しみに生きている?」

「あなたの楽しみ」

「そう、私のお楽しみだ」

「お楽しみですね。かしこまりました」

 その瞬間、目の前の床が動きだし、ぱっくりと口を開けた。中をのぞくと、階段が下へと続いていた。

「これがお楽しみか」

「左様でございます」

 階段は螺旋状に、地下へと伸びていた。中は真っ暗だった。

 ゆっくり慎重に降りていく。すると、段差がなくなり、明かりが点いた。

 そこはわずか数メートル四方の、狭い小部屋だった。

 奥の台の上には、ドリルと、黒い塊が転がっている。あれは確か……ビデオカメラではなかったか。子どもの頃、昔のヒット商品を紹介するようなテレビ番組で見た憶えがある。旧世代の記憶媒体である。

 こんな遺物のようなものが、なぜここにあるのか。

 手に取ってみた。適当にいじっていると、側面が開き、それがモニターになっていることがわかった。

 ということは、何か映像を再生できるということだ。

 ボタンと思しきものを手当たり次第押しまくると、カシカシと何か擦れるような音がして、モニターが点灯した。

 どこかの床の上に、裸の女性が横たわっている。カメラはそれを頭頂部側から、俯瞰するようにとらえていた。妙に整った顔立ち、マネキンのように滑らかな曲線美は真人間のそれである。彼女は眠っているようだった。

 傍らに男が現れた。片手には電動ドリルを握っている。男は女性が横を向くように頭部を回し、その先端を後頭部にあてがった。ちょうどチップの埋め込み位置の真裏に。

 躊躇う様子も見せず、スイッチを入れた。ドリルが頑強な頭蓋プレートにめり込んでいき、激しく火花を散らす。

 しばらくして、ドリルがプレートを貫いた。一旦画面から消えた男は、ドリルの代わりに細長い半透明の筒と、水筒のような容器を手にしていた。

 容器の蓋を外し、そこに筒を取り付ける。

 彼女の上半身を起こし、先ほど開けた後頭部の穴に筒を差し込んだ。ドロッとした液体が容器から頭蓋へと流れていく。

 やがて容器の中身がなくなると、突き刺したものが抜かれ、穴から微かに煙が漏れ出た。

 そこで男は固定していたカメラを手に取り、彼女の正面に回り、その表情にレンズを向けた。

 まるで人形のように静かだった。だが、瞬きをしている。彼女は生きている。チップの力で、あらゆる感覚を遮断しているのだ。だから、後頭部にドリルで穴を開けられても平気でいられた。

 しかし、徐々に変化が起きた。瞼や鼻の先、唇がピクピクと痙攣し始め、その動きが早くなっていく。顎ががくがくと上下した。

 あ、あー。

 あー、あー、あああ。

 あああ、あ、あっあっ。

 あー、あー。

 あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨あ¨っ──。

 凄まじい絶叫が続き、しばらくして彼女は果てた。


「これは一体何だ」

 青い目に向かってビデオカメラを突きつけた。

「あなたのお楽しみです」

「トウドウのか」

「左様でございます」

「真人間の犯罪はあり得ないんじゃなかったのか」

「どういう意味でしょう」

「このビデオには、トウドウが真人間を殺す映像が映っている。これは、真人間も罪を犯すという証拠だ」

「お楽しみの内容を、私は存じ上げておりません。したがって、あなたのお楽しみが“真人間に犯罪は不可能”ということへの反証になるのか答えることはできません」

「だったら、これを見ろ」

 私は再生ボタンを押し、モニターを青い目に向けた。

「これは立派な反証だろ」

「……確定はできません。この加害者が真人間であるという証明ができません」

「どこからどう見ても、真人間じゃないか。こんな顔をしたヒトがいるはずがない」

「それはあなたの主観に過ぎません。ヒトでもこういった容姿を持つ個体は存在します。あるいは、真人間の身体を乗っ取ったヒトであるという推察も、可能性としては成り立ちます」

 そこで言葉に窮してしまった。青い目が指摘する、真人間の身体を乗っ取ったヒトがここにいる。私自身が、青い目の主張を裏付けている。

「トウドウの中身が真人間だろうがヒトだろうが、いずれにせよ犯罪者に変わりないだろう。このビデオが公表されれば、トウドウは犯罪者として裁かれる」

「いえ、その事件の犯人は既に裁かれており、事件は解決済みにカテゴライズされています」

「……どういうことだ」

「数週間前に公表されたニュースです。頭蓋プレート内に強酸性の液体を流し込み、計三十三名の真人間の脳を溶解させた罪で、国家事業体平和推進課は実行犯であるヒトを特定し、捕獲したことを発表した。罪人I九八四番は、何らかの方法でブレーンシティに潜入し、女性宅を狙って押し入り、凶行に及んだと──」

「ちょっと待て!」

 青い目の言葉を遮り、私はモニターに映し出された男のヒトの写真に釘付けになった。

「この男が、犯人なのか」

「左様でございます」

「この男が、三十三人の真人間の脳を溶かしたと?」

「その通りです」

 なぜだ……どうして。どういうことだ。

 あり得ない。

 私には断言できる。彼は生まれながらに障害を持っていた。足を動かせないのだ。

 十六年間ずっと車いすに乗っていた男が、三十三人もの真人間を訪ね、殺して回れるはずがない。

 呆然としている私を尻目に、青い目は喋り続けた。

「あなたがI九八四番を捕えたのです。あなたがブレーンシティから逃亡したI九八四番を捕え、裁きを与えるために連れ戻したのです。即刻、I九八四番は極刑に処されることが決まりました。I九八四番はセントラル広場にて──」


 外は雨が降っていた。黒い雨が。

 天を突くようにそびえ立つコンクリートの塊の間を抜けながら、その雨に打たれた。

 私はどこを目指して歩いているのだろう。

 なぜ、こんなところに来てしまったのか。

 青い目が告げたI九八四番の末路など、知りたくはなかった。

 トウドウは自分の罪を、ヒトに着せたのだ。

 それはきっと、トウドウだけではない。真人間の犯罪はあり得ない。すべてはヒトがやったこと。すべてをヒトの所業にするのが、平和推進課の仕事であり、トウドウの仕事だった。

 私の家族はその犠牲となった。

 絶え間なく涌き上ってくる憤怒と悲しみは、チップによって何度もかき消された。

 むしろ、それで良かったと思う。

 まともに感情が機能していれば、私は壊れていただろう。

 降り注ぐ雨が、頬をつたって何度も何度も流れ落ちていく。

 私はどこへ向かえば良いのだろうか。

 ヒトでも真人間でもない私は、どこへ──。

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