第3部 大八洲、酒と女と西の動乱編

1話

「それでは、我が甥……クラウスよ。気を付けて行って来るのだぞ?」


 大きな商船へのタラップを前にヘイムス王は、心からの慈しみを込めた声をかける。

 王の周囲には数百の親衛隊が防備を固めていた。


 そして王の視線の先に居るのは――赤混じりの黒髪。左右の腰に剣を帯びた目付きの悪い男。


 その男は――。


「――この愚王が。帰って来る迄にちゃんと報酬用意しておけよ? ドラゴン退治の報酬、俺は忘れねぇからな?」


 一介の傭兵団の団長らしからぬ、一国の王をも怖れぬクズ発言。

 それもそのはず。


 通称クズ事、クラウス・ヴィンセントは『失落の飛燕団』と言う傭兵団の長としての顔以外にも、他の顔があると発覚している。


 それが――。


「――大八洲おおやしまへの親書と義妹へ繋がる手がかりを渡した優しき叔父に対して容赦が無いのう……」


 ヘイムス王家の血縁者であると言う事実だ。

 亡き母がヘイムス王家に連なる者で、現国王とは叔父と甥と言う間柄である。


 そうでなければ如何にヘイムス王国興亡の危機を救った英雄とは言え――流石に批難されている。


 先の鉱山に巣くう邪龍の眷属討伐は国内外に広く知れ渡った勇名だが、そんなものは一ゼニーにもならない。

 感謝は金額で示せと実の父にも容赦が無い。


 未曾有の財政難を打開する兆しが見えたばかりのヘイムス王国では、報酬である大金の要望には応えられないが――その代わりに差しだしたものがある。


「クラウス、言いたい事もあるだろう。それに叔父と言う間柄とは言え衆目があるのだ。ワシが言うのも難だが、敬う素振りぐらいみせよ」


「アウグストよ。大八洲の統治者への親書、そなたに任せたぞ。それとクラウスをくれぐれもよろしく頼んだぞ」


 国の英雄であり、元将軍。

 クズにとっては師匠でもある――アウグストを大八洲へ同行させると言うのだ。


 クズの大願でもある、行方知れずの家族――義妹のエロディア・ヴィンセントが一部の経済特区を除き鎖国状態にある謎の島国――大八洲に居る可能性が高い。


 そこで老いたとは言え身分も肩書きも申し分ないアウグストが親書を持ち訪れる事は、大八洲本土への入国を迫る大きな理由になる。


「全く……。病が治ったにせよ、寿命が近いジジイに長い船旅とか要らねぇって何度も言っただろうによ。唯でさえ船内には野郎比率が高いのに、加齢臭まで追加しやがってよ。俺まで船酔いするから、今からでも舟を降りろっつの」


「まぁそう言うな、クラウス。それでもワシは戦力になるぞ」


 船乗りたちを指揮するのは、実質アウグストだ。

 そうでなくとも、アウグストには武勇も兼ね備えていて戦力になる。

 アウグスト無しに、唯の傭兵団である失落の飛燕団が大八洲へ正当に辿り着く術が無いのも事実。


 クズとてそれは理解しているが――。


「――義兄様はお師匠を失うのを怖れてる。憎まれ口は、恥ずかしさの裏返し」


「そんな所だろうね、マタちゃん。全く、クズ君らしいよね。本当~に素直じゃない。僕の目を見てご覧よ? これが澄んだ目ってやつさ。ほら、僕を真似してご覧よ? 出来るなら、ね」


「いやぁ~……ナルシストさん? 顔と口調は気障でも良いんですけど、筋肉とミスマッチ! 残念、流石にぼくでもキツイかなって!」


「ふふ、チチちゃん。キツイって事は、今は下に居るという事。即ち――そこからは伸び代の塊だ。愛の狩人たる僕の肉体美、何れ分かるよ。上で待ってるからね」


 クズの照れ隠しの憎まれ口にクールな分析をするのは、クズの義妹であり団の経理を担う魔法使いにして赤髪スレンダーの薬師――マルターヴィンセント。

 通称、マタ。


 キラキラした小顔に、バチバチに膨らんだ筋肉を持つ長身男――愛の狩人を自称し、『狩人』のギフトを持つ男、ナルシス・ジュエット。

 通称、ナルシスト。


 小柄な細身の体躯に小動物のように快活で愛らしい黒髪ポニーテール少女。

 『怪力』のギフトを持つアケチ・チサ。

 通称、チチ。


 この幹部3名が輪になって談笑する。


「……クラウス。私、船に乗って旅するの初めてなの。楽しみだなぁ」


「アナ……。マジで付いてくんのか?」


 タラップに立つクラウスの斜め後ろから袖を引き、表情の乏しい顔で目を輝かせるのはアレクサンドラ・ベルティーナ・アナント。

 肉付き良くも均整の取れたプロポーションに、白絹のような白い肌。幻想的な迄に美しい銀髪が潮風に靡く姿は、まるで女神のようですらある。


「私はクラウスのもの。何処まででも付いて行くし、剥がせない」


 そう主張するのは――クラウスと再会し、同行するようになった経緯からだろう。


 かつてクラウス・ヴィンセントとしてクズが仕えていたアナント王国がクレイベルグ帝国に侵略された際、姫君だったアナは帝国側に囚われていた。


 それを――感動の再会を果たしたクズが、帝国の伯爵から買ったと言う流れ。

 それはもう、見事に帝国に嵌められたとも言える大金で、だ。


 その時に結ばれた契約、そしてそれ以前に抱き続けた淡い想いから――アナはクズの隣を譲る気はない。


「いや剥がせるだろ。……行き先は得体の知れねぇ大八洲だ。正直、ギルドにあったら絶対に引き受けねぇリスクを孕んでる」


「孕む? ゴメンね。私、まだクラウスの子供は……」


 自らのお腹を手で抑え、アナは頬を赤らめる。 

 違う違う、そうじゃないと、クズは涙目になった。


「童貞をイジメないでくれるかな? 童貞のまま子持ちとか嫌なんだけど?……いや、だからそうじゃなくて! 義妹――エロが居るって情報がなければ、絶対に引き受けねぇ危険な案件なの! 治癒能力がスゲぇ精霊魔法を使えるのは知ってるが、アナに武力はねぇ。だからヘイムス王国に残っててくんないかな~って――」


「――うん、絶対にイヤ」


 即答である。

 契約上の主はクズの筈なのだが、有無を言わせぬ断固拒否だ。


「うん、マジで俺の言う事を聞かない。こんなん、俺のもんな訳がねぇって……。自由意志を主張しまくりじゃん。それで良いんだけどさぁ?」


 ポリポリと頭を掻きながら、クズはこう思う。


 俺は――何時になれば童貞を捨てられるんだろう、と。


(初めての体験で失敗したら、アナとの間に気まずい空気になる。陣地を訪れるプロのお姉さんにお願いしようにも、マタとアナの監視がキツイ。ああ、もう! 大金を楽に稼いでパパッと、プロのお姉さん……出来れば美人で優しくて、ちょっと強引でエッチに導くけど、何処か初々しさも感じられる方に教えを請いたい!)


 澄ました顔で思い人の隣に立ちながら、内心は煩悩の塊である。


「クラウス。――出航の時間だそうだ。ほら、さっさと乗れ」


「……本当についてくんのかよ、アウグストの爺。仕方ねぇな。クララにも爺さんの無事を祈って大人しく婿でも見つけてくれと伝えてくれ、じゃあな」


 ヘイムス王国に残っているアウグストの孫にもよろしくと、畏れ多くも国王にクズは伝言を頼み、タラップは収納される。


 すると船乗りたちが威勢の良い声を上げ、船を沖へと漕ぎ出した。


(男臭ぇえええ! これだから船ってのは……)


 勇ましい海の男たちの声に、クズは表情を苦々しく歪める。


 そうして脳内では必至に船乗り全員を美女に置き換える妄想をして――なんとか表情が幾分か和らぐ。


「うむ。――何度でも言うが大八洲には傭兵ギルドがないからのう! ギルドが納得する現地人の証明付き報告書を持って来るのじゃぞ! でないと傭兵団ランクが据え置きじゃからな! 我が愛しき甥よ、気を付け――……」


「――最後までおぞましい事を抜かしてたな。あの愚王は」


 そうして最初は手で櫂を漕いでいた船は、大海原へ出るとマストを広げ風に乗り始める。

 他国と交流の少ない未知が多い国家、大八洲へ向けて――。

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