6話

「……昔のことですね。忘れましたよ、そんな過去の名前。――俺は国も護るべき人も裏切った。かと思えば報酬欲しさに仇に頭を下げる。そんな風見鶏にして渡り鳥のクズですよ」


「君はそう思っているのか。私は三年前、戦で荒れたこの地を治めるために移封されたに過ぎない。直接戦には参加していないのだが……クラウス君は何を護るために帝国と戦ったのかね?」


 ――この人は、俺を馬鹿にしてんのか?


 そう思い鋭い眼光を飛ばすクズであったが、伯爵は相も変わらず馬鹿にしているような表情ではない。


 ライヒハート伯爵はアナント王国侵略戦には参加していなかった。


 それどころか、この国の安定した治政の為に身を裂いてくれたようだ。


 戦乱後、侵略された国家の治政を安定させるのは非常に難しい。


 そんなことは国に仕える騎士として、多数の国々を滅ぼしてきたクズは重々承知していた。

 そう考えると、ライヒハート伯爵に子供じみた敵愾心を抱いているのがアホらしくなった。

 そうやって帝国民全員を恨むつもりなのか、と自虐的にもなった。


「エドガー・べーレンドルフ騎士爵も、当初は決して私に心を開いてはくれなかった。当然だな。私の母国が君たちの大切な国を滅ぼしたのだ。――だが、私はこの地の民心を安定させるために、どうしてもこの地に詳しく優秀な人間の力が欲しかった」


「……成る程ね、母国への忠誠心が厚かったエドは、そうやって口説き落とされたわけですか」


「その通りだ。私は国の安定のために彼の極めて高い忠誠心を利用した。そして辺境の乱れた治安を安定させるため、君の力を利用しようとしている」


「……随分、簡単に認めるんだな。人をいいように利用するって意味では、あんたも充分『クズ』の称号が似合うぜ」


「はっはっは! 目的を達成するためなら、クズと言われようと何だろうとかまわんよ」


 やはりこの貴族は変わっている。


 その姿からは、アナント領を治める為政者としての任務を全うするためならば手段を選ばない崇高な精神が窺えた。


 クズは今の自分が恥ずかしくなった。

 比べるのも烏滸がましいが、ライヒハート伯爵は自分の上位互換に当たる『クズ』だと感じた。

 同じクズでも、根本が違う。


「あんたが知りたいのは、俺が何を護るために戦ったのか、だったな……」


「ああ、是非聞かせて欲しい」


「……俺は、あんたほど立派な『クズ』じゃあなかった。あんたは与えられた領地を守ろうとした。俺は自分の大切な人と、その人との思い出――自分にとっての『楽園』を護りたかっただけだ」


「ほう、大切な人……か。それは女性かね?」


「――ああ。家族と、そして想い人。自分の所に帰ってきてくれという願いも叶えられず、一人で死なせた。……俺は、一人でこの城に帰ってきちまった。とんだ道化ですねぇ」


「……そうか。クラウス君は、領地よりよほど価値のある何かを、自分で持っていたのだね。それは私より立派なことだ。皇帝陛下より賜ったこの地を、ただ良い地にしたい――その一心で生きた。今の立場は出世、処世術――全て皇帝陛下に気に入られようと生きた結果だ。――言うなれば、私こそ帝国社会の操り人形のようなものだろう。……私は、君のように私欲が強い人間が眩しいよ」


「――はっ。あんたは本当に変わってますね。俺が告げ口したら、あなたは不敬罪でしょうに?」


「危ういのはお互い様だろう。元『最優の騎士』クラウス・ヴィンセント卿」


 今クラウスを捕らえて王都に晒せば、当時の恨みを覚えている人から私刑を受けるだろう。


 ――成る程。お互いここで話したことは口外できない訳だな。


 互いに弱みを曝け出した上での会話というのは、つい言わなくても良い事まで口にしてしまう。


 普段は自分の中に封じ込めている事まで喋ってしまう傾向がある。


 そう考えると、クズにはライヒハート伯爵が随分な人垂らしに思えた。


「差し支えなければ君の想い人や過去について私に聞かせてはくれないだろうか。――何、私は酒に弱くてね。明日にはここで自分が話したことも、君が話してくれた事も忘れているだろう」


 ワイングラスを揺らしながら語る伯爵は、一切口外しないし蒸し返すこともないと言外に約束していた。


 話す必要はない。


 だが、ライヒハート伯爵の弱みを握っており――懐かしい光景にすっかりセンチメンタルな気分になっていたクズの口は、気が付けば自身の意思と関係なく動いていた。


「……アレクサンドラ・ベルティーナ・アナント王女。俺がクレイベルグ帝国に敗れたせいで、護れなかった従兄妹ですよ」


「従兄妹か……特別な関係だったのかね?」

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