第13話

「――ご報告致します! 前方の砦が落とされました……! 敵は、兵を結集させてこの城砦都市を目指して進軍中です!」


 城塞都市に移封してしばらくが経過した。

 戦況は最悪だった。


 城塞都市よりクレイベルグ帝国に近い砦は、精強なクレイベルグ帝国の大軍を前に次々降伏している。

 街や村も蹂躙されたらしい。


 城塞都市の周囲に何倍、何十倍という見たこともない量の兵が集うのは、既に時間の問題であった。

 全長三キロメートルもの城壁に囲まれる大きな円形の城塞都市でも、防衛に限界はある。


「そうか……」


 軍議の場は静まりかえっている。


 総指揮官であるランドルフ・ヴィンセント公爵も、沈痛な面持ちを浮かべている。


「諸卿ら、いつ敵が来ても良いよう備えてくれ。ヘイムス王国からの援軍が到着するまでの辛抱だ」


 ランドルフ公爵の指示を受け、居合わせた将兵は一人、また一人と退室していった。


 最後に残ったクラウスが、悔しそうな顔で退室しようとした時――。


「――クラウス。……覚悟を、決めておけ」


 クラウスには、俯いた父が重々しく発した言葉の意味が、理解できなかった。


 それから間もなくして、城塞都市の周囲にクレイベルグの大軍勢が姿を現した。


 その数、約五万。

 城塞都市に入っているアナント王国軍の――軽く十倍に及びそうな兵数であった。


 如何に帝国がこの戦に対して本気か、動員する兵の数から窺えた。


 アナント王国軍は城塞都市で籠城戦を開始した。


 籠城戦は、後方から援軍が来るのを期待して行う。


 ヘイムス王国軍から援軍が来てくれることを祈る。


 それだけが頼みの綱であった。


 クラウスは城からクレイベルグの軍勢を眺め、無力感に苛んでいた。


 城塞都市を包囲する軍とは別働隊が、次々とアナント王国領の奥深くへ侵入していく。


 その光景を、ただただ眺めているしかできないのだ。


 城塞都市から打って出て進軍を止めようにも、打って出た瞬間に包囲殲滅されることは目に見えていた。


 後方には――王都には、自分の護りたい人達が沢山いる。


 護りたい人を、このままでは護れない。

 苦渋を受け入れ無ければならない。


 握り込んだ拳からは、ポタポタと鮮血が流れ落ちていた。


 一日千秋の思いでヘイムス王国からの援軍を待っていたが、一向に援軍は来ない。


 来るのは、クレイベルグ帝国軍からの降伏勧告の使者だけであった。


「――既に後方の砦も落ちております。降伏なされよ」


「……我が軍はまだ戦える。降伏するつもりはない」


 使者が来る度に、父は使者が持ってきた手紙を突き返していた。


 既にこのやりとりを何度もしている。


 使者は何度断られようと足繁く相手指揮官からの書状を携えて降伏勧告に来ていた。


 クレイベルグ帝国軍としては、多くの兵を抱える城塞都市は無視できない。


 城塞都市を自軍を損耗することなく降伏させ、包囲に回している全軍も王都攻めに進めたいのだろう。


 この日も、使者はあっさりと帰った。


 夜な夜な静かに脱走する兵士や住民は増え続けている。

 内部から兵士が脱走するようでは、堅牢な城壁も意味がない。


 持ち込んだ兵糧にも限りがあり、元々城壁内に住んでいた住民も、飢えと不満からいつ反乱を起こしても不思議ではない。

 もはやこの城塞都市は、いつ爆発するかもわからない爆弾のようなものだ。


 会議に出席する将校も日に日に痩せこけていた。

 使者にバレないように髭を伸ばす将校達の姿は入城した時とは別人のように見えた。


 そんな日々が続いたときであった。


「……我が軍は、降伏する」


 ランドルフ公爵は軍議の場にて諸卿にそう告げた。

 もはや、誰も反対意見を言う者はなかった。

 自軍の士気は極めて低く、兵糧も尽きようとしている。

 ヘイムス王国からの援軍が万が一来るとしても、それまで自軍が持たない。

 そんなことは、もはや明白であった。


「――父さんっ! 俺は反対です! 陛下からお借りした大切な将兵、僅かでも本軍と合流できる可能性があるなら、撤退戦に移行するべきです!」


「敵の包囲を突き破るだけの力は、もう我が軍にはない」


「一戦も交えないうちからっ! 『敵に捕縛されるのは死よりも重い屈辱』じゃなかったのですか!?」


 クラウスだけは納得できずに異議を唱えた。


 父は軍議を中断させ、息子のみと話会う場を作った。


「クラウス、俺はクレイベルグ帝国の指揮官と内通した。――今降伏すれば、私達の爵位と領地は安堵。家族の安全も保証するとのことだ」


「なっ……!? 祖国を売り渡すつもりですか!?」


「受け入れろ、これが戦だ……っ!」


「納得できるはずがありません! 敵軍の使者と何度も文通していたのは、敵と通じていたからですね!?」


「――ヘイムス王国軍が来ない以上、やむを得ないのだッ! 目を覚ませクラウスっ! このままでは国も家族も自らの命も、全て失うのだ!」


 ランドルフ公爵は、クラウスの――息子の胸ぐらを掴み、全力で殴った。

 地を滑っていくクラウスはすぐに身を起こし、猛りながら言い放つ。


「――俺は、最初から眼が覚めているっ! 解っているのか! エロディアは、王宮にいるんだぞッ!?」


「そんな事は解っているッ! だからこそ、内通者とやりとりをした! 内通者は王宮にもいる。エロディアも保護してくれるそうだ!」


「そんな確証もない敵の言葉を信じて、祖国と家族を売り渡すつもりかッ!?」


「ではどうしろというのだ! 兵糧もなく兵站も断たれている。脱走兵だらけの下がりきった士気の中、十倍以上の兵を相手に戦えるか! 如何に貴様が天才であろうと、無理であろう! 単騎で十万を越す兵に突撃したいなら、好き勝手に行って死んでこい!」


「言い訳ばかりして、結局は我が身可愛さに祖国を売り渡すだけだろう! 父さんだって、敗戦国の民がどんな仕打ちを受けるかは知っている筈だ! ましてや、使者の首を取るような乱暴な国にアナント王国の民を思いやる気持ちがあるとは思えない! 主と民を護るのが騎士だろうが!?」


「知ったような口を聞くなクラウスッ!」


「ぐ……ッ!」


 実の子に馬乗りになって、ランドルフ公爵はその横顔を二度、三度と殴る。


「はぁ……はぁ……ッ。いい気になるなよッ! 貴様はまだ何もしらない子供だッ! 子供は黙って大人の言うことを聞いていればいいッ!」


 息を切らしながら、ランドルフ公爵は怒りでズカズカと足音を鳴らしながら去って行った。


 血気盛んな十五歳のクラウスにとって、一戦も交えず敗北を認めること。

 そして実の父親が敵国と通じていたなどと言う恥は、到底納得出来るものではなかった。

 クラウスは口の中に溜まった血を飲み込むと、ズカズカと司令室を去って行った――。


 ――その夜のことであった。

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