第12話

 出兵する朝、クラウスは王からの突然の呼び出しに応じて王宮へ向かっていた。


 玉座の間へと続く重厚で真っ赤な絨毯を踏みしめながら進んでいると――アナント王国の騎士鎧に身を包んだエドが立っていた。


「……先ほど、俺も騎士として叙勲を受けた。俺は城を護ることになる」


「……そうか。おめでとう」


「お前は、最前線の城塞都市行きか」


「そう、だな」


「……負けるなよ」


 本当は国家の存亡を賭けたこの戦で、自分も最前線で剣を振るいたかったのだろう。


 エドは寂しそうに告げ去って行った――。


「……そなたは、十五歳になったか。年若いそなたを死地に追いやる私を、恨むか?」


「滅相もございません。この国には私が護りたいものが……沢山あります」


「そうか……。エロディアのことは、誠に申し訳ないと思っている。……あれを」


 クラウスの言葉に、玉座に座るルーカス王は神妙な面持ちで頷くと、近衛兵に目配せをして――瀟洒な装飾が施された見事な作りの剣を受け取った。


「これまで我が国に多大な貢献をしてくれたそなたに、私から恩賜の剣を授ける」


「――はっ。有り難く拝領致します!」


「……我が国随一の刀工が拵えた一級品の一振りだ。この剣がそなたを勝利に導くことを祈っている」


 ルーカス王から恩賜の剣を受け取り、クラウスは玉座を後にした。


 玉座の間は、開戦前から敗戦が決まったかのような静けさに包まれていた。


 国力に差がありすぎるクレイベルグ帝国との戦の趨勢は、誰もが察するものなのだろう。


 頼みの綱であるヘイムス王国へ送った大臣の顔も、明るくない。


 きっと、快い返事を貰えていないのだろう。


 ルーカス王も状況を正しく理解しているからこそ、このタイミングで恩賜の剣を下賜したのだ。


 クラウスは賜ったばかりの恩賜の剣を空いている左腰に帯び、アナ王女の私室へ足を運んだ。


「クラウス……」


「アレクサンドラ王女。既にお聞き及びかとは思いますが――また、行ってきます」


「絶対、帰ってきてね。私の剣、盾である騎士なんだから、死んじゃダメなんだよ」


「…………」


 是とも非とも返せない。


 クラウスとて、当然『楽園へ』帰ってきたい。


 願わくば、責任を放棄して『自由』に彼女と生きたい。


 大好きな――いや、立場を考えず言えば愛している。

 そんなアナと生きていきたい。


「エロディアが、今日から王宮で暮らすそうです。強がっていますが、本当は寂しいはずです。仲良くしてやってください」


「それは、知ってる。優しくするのは、当然。今は――クラウス自身が無事に帰ってくるお話をしてる」


「……無事に」


「約束、だよ。自由に――幸せに、なろうね」


 反応しないクラウスに、王女は背伸びしながら首に手を回して抱きついた。

 クラウスの鼻をさらさらの銀髪がくすぐる。

 彼女独特の気品ある香りが鼻から全身をいやしてくれる。

 クラウスの胸に、疼くような愛しさが溢れた。


 本当は、華奢で美しい身体を強く抱きしめたかった。


 壊れそうな程に細く、小動物のように小柄で愛くるしい主を抱き返したかった。


 だが、もし今アナを抱きしめたら――自分はここから最前線に行くことが……戦場で死ぬことが怖くなってしまう気がした。


「……なんか、最優の騎士って呼ばれてるみたいだね」


「そのように呼ばれる事も、多くなりました。最優の名に恥じない働きを――」


「――私はクラウスには最優の騎士よりも、自由の騎士でいて欲しいな。なんか、窮屈そう」


「アナ……。いえ失礼、アレクサンドラ王女……」


「小さい頃はずっと一緒に居られたのに、もう何年もクラウスは行ってきますとただいまばっかりだよね」


「それは……すいません。任務で――」


「人の期待に応えようと頑張ってるね。でも、クラウスの心は、どこ?」


「俺の……心は」


 答えるまでもない。

 クラウスの心は常にアナの傍に居るためにあった。

 その為に頑張ってきた。

 そのはずだった。


 それなのに、頑張って結果を出して。

 気が付けば、頑張れば頑張るほどアナと一緒に居る時間が減っている事に今更ながら気が付いた。


 頭の中を、王都の民がクラウスに期待――依存する声が木霊する。


 忙しすぎて、任務を果たさねばと思うばかりでアナと過ごす時間が激減している事に気が付く事も無かった。

 だから、『心はアナの傍にある』とは言えなかった。

 言えるはずもなかった。


「なんで……こんな事になってしまったんですかね。俺は、私は……貴女と居るために戦い続けた筈だったのに。気が付けばドンドン距離が離れて、自由に貴女の元に来られなくなっていました」


「……一杯、一杯頑張ってたもんね。もう一杯頑張ってるクラウスに頑張ってなんて言いたくないし、言えない。一杯、一杯悩んで勇気出して『行ってきます』って絞り出したんだよね。なら、行かないでなんて言わないし言うべきじゃ無い。言っちゃダメだなと思う。――だから、行ってらっしゃい。自由をとり戻す為に戦おうね」


「自由……。そう、ですね。常に生活を脅かす脅威であったクレイベルグ帝国さえ打倒すれば……。打倒、できれば……」


 言っていて、クラウスは言葉を繋げなかった。

 敵が強大だと知っている。

 どれほど足掻こうと、少し傷跡をつけるぐらい。

 根本から断ち切れないと知っている。


 不可能な事を口にする不誠実はできなかった。


「クラウス。奔放な私を許してくれて、一緒に遊んでくれる。――嬉しかった」


「…………ッ」


「あんな嬉しい過去がまた来る未来を、一緒に過ごしたいね。過ごせたら、いいね」


「アナ王女……。俺は、俺は貴女と家族が大切で……」


 ――だから、一緒に逃げましょう。


 そうは言えなかった。

 それは、彼女に家族を捨ててくれ。

 母国も責任も何もかも捨てる価値が俺にはある。

 そう言う事と同義であるから。


 そんな自信過剰なまでの心の強さを、クラウスは持っていなかった。


「――クラウスには、翼があるよ。私には見えるの。繊細だけど、何処にでも飛んでいける力強い翼。自由に空を飛ぶ事が出来る翼。……私にはない翼。巣立ちって、凄く勇気が要るみたいだけど……自由に空を飛ぶために翼を広げてね」


 アナは優しくクラウスを引き剥がすと、挨拶代わりに額にキスをする。


「――これは、私の我が儘だから。だから、囚われないでね」


 呆気にとられるクラウスを残し、アナは足早に何処かへ向かって退室していった――。

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