死骸が喋る

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

第1話

 コップが横に倒れた。中身のオレンジジュースがテーブルの縁まで伸びていき、そのまま床に垂らす。

 勇は彼女の代わりに机へ戻した。その際にこぼれた中身が指につく。


「ありがとう」

「何だ? 疲れてるのか」


 勇は店員に目がつき追ってみる。すると2人の席まで接近した。手には布巾が握られている。

 先程の音を聞いたらしく、怪我はないかと心配してきた。彼は手をかざしただけで意識から離す。


「それで話が続くんだけど、その時上司が俺に話してきたわけ」

「うん」

「結婚は悪いものじゃないよって諭してくるんだ。別に俺は結婚を悪いものだって思ってないよ。でも、そう定義してきたら結婚を嫌っている事になるじゃん。恋人が居ないからって結婚に繋がるのも訳分からなくない? どうして、俺が思ってることって見えないのかな」

「……人から見て欲しいところを見てもらえるなんて贅沢だね」


 勇が話しかける彼女の名は沙織。勇とは、高校の頃から付き合いがある。当時は挨拶を交わすぐらいの友達の友達。その距離感が3年も続き、卒業。互いの進路も知らないまま年月がすぎた。


「沙織はあれから結婚したの?」

「え?」

「卒業してから久しぶりに会うじゃん」


 枝豆を手にすると、指に塩がつく。彼は口に運びふたつ放り込んだ。沙織は一口も枝豆に手をつけていない。


「別にしてない」

「彼氏は?」

「……いないけど」


 店員が代わりの飲み物を持ってきた。彼女はありがとうと目を見てお礼を言う。受け取った飲み物はオレンジジュース。時間が経てどお酒には進まない。


「あれ、別れたの?」

「真人のこと?」


 勇と目線が交差する。居酒屋に入って初めてだった。彼は進めるべきではないかもと話題に戸惑う。


「うん」


 彼女の素っ気なさに嫌気がさしていた。勇は仕返しのつもりでわざと掘り進めることにする。景気づけにコークハイを一気に飲む。


「別にすきで付き合ってないから」

「じゃあなんで付き合ったんだよ」


 ポテトに手を伸ばす。ケチャップに付けて咀嚼している沙織。彼女が食べ終わるまでに静かな時が流れた。飲み込んだら、また話題を続ける。


「タイミングかな。顔も悪くないし丁度いい。お陰でクリぼっちとかにならないで済んだ」

「あーそういうね」

「なんで不服そうなの?」


 彼女がテーブルに肘を置いた。スーツの袖が水滴で濡れないだろうかと、勇はそちらに注意してしまう。


「真人はマジだった」

「私はマジじゃないって決めないで欲しいんだけど」


 勇たちは3人で行動することが多かった。真人を中心に挟んだら3人で会話が進んだ。だから、彼がいないから言葉が少なくなる。歳をとっても変わらない部分があった。その部分が残っていることは、社会性を得ていないのと裏返しだと、勇は納得のいかない様子だった。

 彼は真人が真剣に彼女の事で悩んでいたのも知っている。その不満が時を超えて、今の彼を口走らせた。


「お前とはよく喧嘩をしてたけど落ち込んでた。仲直り出来るかなとか不安そうにしてたよ。お前がどれだけわがままだったとか知ってるんだからな。それに、慰める俺の身にもなれよ」


 そういえば真人は元気にしているだろうかと、彼は帰り道に連絡することにした。久しぶりの会話としては切り口にふさわしいだろうと、勇。


「なんでそれがマジじゃないになるの? みんなそうじゃん。彼氏がいないと立場がない。それは結婚と同じでしょ。みんな同じなのにあなたは違うね。その土俵に上がるためなら適当に見繕うでしょ。告白されたから付き合って、好き以上にはならなかった。それは貴方もそうでしょ?」

「なんで俺なんだよ」


 ジョッキを持つ彼は、中身が空だと忘れている、残った氷がグラスの中で滑った。


「私がどういう気持ちで付き合ったとか、その領域まで他人が入ってきて欲しくないんだけど」

「真人の肩代わりしてるだけ」

「なんであいつの気持ちがわかるの?」

「それは沙織もだろ」


 彼女は店員を呼んだ。人が来てからメニュー表を乱暴にとった。爪楊枝入れが厚紙にあたって横になる。


「これお湯割り」


 メニュー表は勇の席から近いのに、自分から手に取っていた。彼はその距離も不快に感じ始める。偶然の再会で声をかけたことを後悔した。彼女がいっぱいあおったら帰ろう。勇は勘定することを念頭に置いた。


「だいたい勇だって人のこと言えないでしょ」

「俺の話してないだろ」

「とにかく良いなと思ったら告白して、必ず2ヶ月で別れる。すぐに手を出すから嫌われてたよ。そういうところ治ってなさそうだね」


 彼女の口ぶりから当時を察する。勇は自分が陰口叩かれていることを薄々気づいていた。しかし、目の当たりにしなければ無いのと同じ。その理屈で傷つかないようにしていた。


「自分もマジで付き合ってないのに、私の1つの関係だと憤る。ほんと棚に上げてると思わない?」

「棚に上げてるのは沙織だ。真人は友達だから言ってんの」

「なら今も友達なの?」

「友達だけど」

「あいつが今何をしてるのかわかってる?」


 彼女の注文したお酒が届く。コップに浸されたお湯割りを掴んでも、顔色ひとつゆがめない。上澄みを唇ですする。


「しらない」

「アイツ結婚したよ」


 それは気づいていた。LINEのアイコンが子供に変わっていたからだ。昔の好きなバンドは二の次になっている。彼の好きが更新されてしまった。


「結婚式にいなかったよね」

「帰る」


 荷物入れに手を伸ばす。屈んだら上半身に影ができた。


「そんなに真人が欲しかった?」


 彼は動きを硬直させる。彼女の放った真実に射抜かれてしまった。まるで首を切られた直後の鶏のように彼の体が震えだす。


「……」

「私とは比べられないほど辛い道のりだったと思う。とっかえひっかえは腹いせだったでしょ?」


 荷物から手を離した。席に戻って喧騒を聞く。サラリーマンの下世話な世間話。女性たちがマッチングアプリで知り合った男の悪い癖で盛り上がる。倦怠期のカップルがスマホを弄っていた。


「私になら話してもいいよ。こんなに時間が経っても信じられない?」


 彼女はコップを半分まで飲んでいた。その残りを口に含むため、顔の高さまで持っていく。半透明越しに目が合って、理解する。

 勇は昔を思い出した。


『ありがとう』


 当時の彼女もお礼した。3人でファミレスに行った時のことだ。話しているうちに、コップを横倒ししてしまった。勇は通路側にいて、自身に液体が届きつつある。なので、おしぼりを上になぞった。

 その時も今の話題と似ていた。


『友達ってなんだと思う? 真人』

『信頼をおける人かな。その人のために怒れたら親友だ』

『真人はロマンチックだね』

『沙織は友達の定義は何?』

『孤独を感じなくさせるもの。学校を都合よく回すための関係の名前』

『沙織は寂しいな。それだとずっと独りじゃないか』

『勇はうるさい。お前はどうなんだよ』

『喧嘩しても、離れても、俺は本音を話せる仲かな』


 彼は少しずつ回想した。彼女が動揺すると手元が見えなくなる。友達という定義になにか思うところがあった。だが、勇はずっと聞けずにいた。そのことを思い出す。


「結婚式は行けなかったんだ」


 そうして、氷を噛んだ。

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死骸が喋る 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou

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