エピローグ
「ねぇアメ」
「ど、どうしたマキ」
部屋に入ろうとしたところで声をかけられた。そっちを見てみるとバスタオルを羽織った裸のマキが、いつものごとく無表情でこっちをじっと見ている。動物に例えるのならばそれはハシビロコウのようだ。
「あの、わたしの……茶封筒、知らない?」
覚えがある。後で読もうとしていたあの茶封筒のことだろう。身に覚えがありすぎるが俄然興味が湧いて仕方がない。
「アメ?」
「えっと……」
読みたいと言えば読みたいのだが、今マキにその存在を知られるとそれは捨てられること間違いないだろう。知らないふりをするか、嘘をついてこの場を回避と言う手段を使うか。どちらにせよ私の心が締め付けられるのは確実だろう。
ここはマキの為に……
「分からないのなら大丈夫。もしかしたら風で……」
飛んだのかも。そう呟きながら風呂場に入っていくマキを見つめ、罪悪感に浸りながらポケットの中を漁る。
「これか……」
何処から仕入れたのか、中には正確に三つ折りにされた紙が入っていた。やはりマキは機械なのだなと、感傷に浸りながら自分の部屋へと入っていく。
罪悪に心を痛めつつその紙を開くと、内容は純粋な遺書のようだ。
私への感謝の念や自分の思いが綴られているが、なんだか感情を感じられない。それに随分と悲観的であり、他人事のように述べられる事実は人間を目の敵にしているようなひどい慟哭。読んだものを不幸にするような、知的であり的確なその文は我々の心がいくつあっても足りないような、そんな言葉の羅列。ノスタルジーというには言葉が柔らかすぎるその冷酷な文書は、心臓を窮屈にさせる薬物のように感じられる。
「アメ」
「……っ」
時間を忘れてしまっていた。どうやらマキが風呂に入ってから随分と時間が経っていたらしい。後ろを振り向くとそこには湯気を立たせたマキがこっちをじっと見つめていた。
声を出そうにも体が緊張して出せない。
「別に怒ってない。読んでほしくなかっただけ」
「す、すまない」
「その文章はほとんど嘘。さっき話したことが本当。それにその遺書は私がアメに助けられずに死んだときのためだから」
「ほんとに申し訳――」
「そんなことより、かみ、といてほしい」
そういうとマキは小さな歩幅でベッドまで歩くと、いつもの女王様のようにベッドに座り私が動くのを待った。こっちに櫛を持つ手を伸ばして。
「……分かった」
私は櫛を受け取るとマキの後ろに回って丁寧にといていく。どうやらマキの髪は長すぎるようだし、普段はねじを付けており、髪への負担が大きい。定期的にとかねばならないようだ。
オレンジの匂いを感じつつ私は時計を直すかの如くゆっくりと櫛を動かしていく。
「ねぇアメ」
「なんだ?」
随分とのんびりとした口調で話だすマキにつられて、私もゆっくりと応答をする。
「私にはまだアメに言ってないことがいくつもある」
「そうだな」
「なんでここにいたのか、どうして記憶がないのか、何故私には名前がないのか」
「……」
「なんで、人間にはねじがつかないのか」
私の櫛を動かす手が止まる。
マキは振り向かずただ一点を見つめているようだ。オレンジの臭いが鼻の奥を刺激する。
「何故、それを知っている」
「私の為に動いてくれるアメのことだから、試したに決まってる。なのにいざ見てみるとアメは人間だった」
「……」
「この中のいくつかはすでに私は答えが出てる。だけどアメには言えない」
「そうか……」
「言いたくないとかじゃないし、アメのことを信用してないわけじゃない。ただ」
「ただ?」
「間違えると、私が生きていられなくなるかもしれない」
マキはそう呟くと私の手を気にせずに立ち上がった。そしてこっちへ振り向くとじっと目を合わせてきた。
不思議と吸い込まれそうな純粋な目。そんな瞳からは幾度となくマキの気持ちを理解してきた。
「私はしにたくない。けど、いつか言わなければならない。」
「そうか」
「そう。だから、その時まで待ってくれない?」
「安心しろ」
私は小さく笑うとマキは不思議そうに首をかしげた。
「マキの髪をとくことができるのは、私しかいないだろ?」
「……」
マキの口角が上がった気がする。とはいえ無表情の顔つきから感じる微々たる変化だ。気のせいかもしれない。
だがきっと少女のことだ。私のことを信用してくれているのだろう。
はじめて会った人間の、知りもしない機械から付けた名前をこんなにも大事にしてくれる。
死を拒み、生にしがみつく純粋で健気な機械。
「ありがとう、アメ」
無機質の体を持ち、人の気持ちを理解するマキと言う名の少女なのだから。
寿命伍時間の撥条仕掛け 和翔/kazuto @kazuto777
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