機械の少女による大団円
うすぐらい闇の世界。
月明かりすらない今の時間は聴覚を頼りにするほかない。
そんな研ぎ澄まされた聴覚は今はただ一つの音に集中して使い物にはなっていなかった。
右の方を見るといわゆる体育座りをした少女の影がかすかに見える。少女はただ下の方を向いており、表情を読み取ろうにも髪が長く判断することは難しそうだ。
私も同じように座りなおし下の方をじっと見る。湿気でズボンに砂がつくのが分かる。気にする程でもないだろう。
ボーっと眺めてもただ時間が過ぎていく。それを理解しているが私は口を開くことができなかった。それは必然と言える理由。
「ねぇ」
途端に聞こえる鳥のさえずりのような小さな声。
私は咄嗟にその声を捉え次に並ぶ言葉を待つ。
「どうして……間に合ったの?」
随分と長く待った。だが想像外の質問に小さな笑みがこぼれた。
私は声の方を見て話しだす。
「知らないな。おおよそマキの計算ミス、もしくは火事場の馬鹿力だろう」
「理由になってない」
「理由なんて必要ない。助かったという事実があれば、それで良いと思わないか?」
そう優しく聞く。言い方が強かっただろうか?
少女を強く刺激しないように話したい。そう思ってはいるがやはり厳しいだろうか。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
少女のその言葉を聞き安心する。
「目の前で人が死ぬってなったら誰だって――」
「人じゃない」
「……」
言葉の途中で強く遮られてしまった。少女の方を見るが変わらずじっと下の方を見ている。
動けるようになったとはいえやはり心に大きな傷を負っているのだろう。そっちを癒すのが最優先。だが私に可能だろうか。
とにかく少女を怒らせたことを強く後悔し黙り込む。
じっと空を眺める。暗い町のおかげか星空がぽつぽつと見える。潮の臭いを感じつつ私は考えに耽る。
少女は死なずに、来るか分からない私を待っていてくれた。話したいことが山々あることだろう。たとえ機械だとしても心は少女。言葉をまとめるのに時間がかかるだろう、そう考え私はじっと黙っていた。
そんなことを考えていると途端に「あ」と、声が聞こえる。
私も変化に気付き顔をあげると海の奥がオレンジ色に染まってくるのが分かる。
「……」
少女の方を見ると顔をあげじっと海の向こう側を見つめているようだ。目はやはり髪に隠れて見えない。
薄暗い世界がゆっくりと塗り替えられるのを眺めていると、視界の端で髪が小さく揺れるのが分かった。そっちの方を見ると少女の目線が私の足元に行っていた。
「私、ここまでの記憶がない」
「そうだな」
そうちいさく発した少女の声に応える。
少女は関係なく言葉を続ける。
「あの時、私が知っていたことは『ねじ』のこと。そして『自分には名前がない』こと。それと……」
「それと?」
「いや、それだけ」
マキは何かを隠しているのだろうか。そういうとまた目線を真下に向けた。
私はそんな少女の顔をただじっと見つめる。
「その時の私には自分が機械か人間か、それすらも分からなかった」
「そうだったんだな」
「あとから自分が人間である可能性がないってことに気が付いた時、私おかしくなった」
「……」
「だって普通の人間が記憶失って路地裏にいるなんてことない」
「マキは生まれながらの機械なんだな」
「たぶん……絶対にそう。おかしくなって、そして辛くなった」
「どうしてだ」
「私捨てられたんだと思う」
「……」
マキのその言葉に息が詰まる。
ずっと胸の奥の方では思っていたこと。気が付いていたことを現実として突き付けてくる。そんな恐怖感に私の心は耐える術を知らない。
「名前も付けてもらえず、記憶が無くて、気がついたら路地裏。私の生きている意味は」
「やめろ」
「ない」
「やめろと言っている」
小さな体が揺れる。そしておもむろに上がった少女の顔に無数の雫が流れているのが分かる。どうして私は少女にこんな顔をさせてしまうのだろうか。
「私たち人間は生まれることに意味をなさない。生きていくことに意味があるからだ」
「うん」
「だが機械は違う。生きる意味があるから作られる。生まれるのだ」
「そんなこと言ったって」
「……」
「捨てられたら生も死も関係ない。そうでしょ?」
悔しいが何も言えない。言い返せない。
事実そうと確定したわけでもないのに、悪魔の証明は私たちの心を強く締め付ける。
頷きたくない。だが間違いとも言えないそんな非情に胸が痛くなる。
「そういうことはあまり言うもんではない」
「……ごめん」
「そう安っぽく謝るでない」
「……」
空気が張り詰めている。
そうさせたのは自分だということに嫌気がさす。喉の奥が気持ち悪い。今すぐにここから逃げ出したい。
「私には、生きる意味がない」
「……」
「生きる資格も持ってない」
そう告げた少女の声は小さく震えている。
泣いている顔を見られたくないのだろう。少女の目線はすでに下がっていた。
「残念だが、そんなことは無い」
「……?」
「私は、お前に助けられた」
「……どういうこと?」
これだけは言いたくなかったがマキの気持ちを少しでも癒すには言うべきだろう。
私の口がこんなにも軽かったとは自分自身に驚いた。
「私はあの日、死ぬはずだった」
「え?」
「死のうとしていたんだ。あの日、ここで」
「……」
開いた口がふさがらない様子だろう。
少女は顔をあげることも声を出すこともない。私はそれに甘え言葉を続ける。
「私は大きな過ちを犯した。人間の禁忌でもあるような行動を」
「……」
「後悔はしていない。だがその罪を抱えて生きていく程私の心には余裕がなかった。だから死のうとしたんだ。この場所でな」
「でも」
「でも?」
「死ねなかったんでしょ?どうして」
「マキは高性能な機械ではなかったのか」
「え……」
「君に会ってしまったんだ。昨日そこの路地で死にかけてたマキにな」
少女は急に顔をあげ口をパクパクと動かしている。
そんなマキを落ち着かせようとマキの頭に手を乗せる。
「マキの嗅覚が冴えてればこの話をせざるを得なかったが、やはり高性能な技術を持ってしても人間に勝つことは不可能だったようだ」
「大きな過ち……人間の禁忌って――」
「マキ、私にはマキが必要だ」
「あ、え……?」
「君の命は私の命よりも重い。家に帰ったら『マキに親切な理由』を教える。だからもうこんなことをしないでくれ」
「……」
マキは口を開けたまま充電切れのロボットのように動こうとしない。
潮の臭いと混じってオレンジのほのかに甘い匂いが少女の髪から漂っていた。
「私の」
「なんだ?」
「生きる意味は……?」
そんな少女のか細い声には不安と心配の念が強く感じられた。
「それは後から探すとしよう」
「でも」
「何か手がかりがあるのだろう?」
「手がかり?」
「マキの目が覚めた時。ねじのこと、名前がないこと」
「あ……」
「もう一つはなんだ?」
「それは……」
少女は困ったように目を泳がせると口をまたパクパクとさせた。
「今は言わなくてもいい」
「でも……」
「二日たらずじゃお互いのこと、何も知らないも同然だ。だからマキが話すことになったら、私も話すとしよう」
「なにを話してくれるの……?」
「大きな過ちを。だ」
太陽はオレンジ色の光をこれでもかと言わんばかりに海へと解き放っている。
少女のシルエットは、その不思議なねじと共にしっかりと映っていた。
「アメ……?」
「なんだそう急に改まって」
「おかしいね」
「……何がおかしいというのだ」
「全部」
「そうか」
朝の日光が頬の涙をじりじりと焼いていく。
儚い少女のかすかな笑顔と共に、私は家へと踵を返した。
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