儚い少女は魔法のようで

 電気をつけているにも関わず薄暗い部屋。一応リビングだが私が憩いの場として使ったことはほとんどなかった。

 家族団らん、仲間と食事。そんな言葉と対局な位置にいる私だが、今日はそんなリビングで人に飯を差し出している。


「そろそろいいだろう」

「うん。ありがとう」


 そう言いながら私はマキのカップラーメンの上に割り箸を置く。

 私はマキの反対側の席に座ると、蓋を取り外し割り箸を割った。マキも私の方をちらちらと見ながら同じ様に手を動かしていく。


「「いただきます」」


 そう互いが同じタイミングで手を合わせると、私はその箸を進めだした。マキも負けじとラーメンを口に運んでいく。

 だがその手つきはまるで「麺」と言う食べ物に初めて触れた子供のようだ。

 唇でラーメンを手繰り寄せ一口分の量を取ったらラーメンを噛み切り、口をあからさまにもごもごと動かす。

 子供のようでどこか愛着のある食べ方に興味をそそられじっと見ているとマキが明らかにキョロキョロとしだした。


「すまない」

「別にいい」

「ラーメンを食べるのは初めてか?」


 そう聞くとマキは顔をあげ私の目をじっと見る。

 私も返すようにマキの目に写る私を覗いた。


「そもそも、もの食べるのが……久しぶり」

「そうだったのか」


 そういうとマキはおもむろに箸を動かし始めた。

 じっと見ていてはまともに食事ができないだろう。空気が読めていなかったと一人で反省会を開きそして閉じる。

 目の前で人が食事をしている。そんな事実がなぜか愛おしいような汚らわしいようなそんな気がしていた。私の心はランダムな感情に毒されていた。

 時計の針が時を刻むのが分かる。

 そもそもマキには食事は必要なのだろうか。答えは否だろう。断定はできないがそれなりの確証を得る事柄が起きたのだ。

 三十分ほど前。マキは部屋の前で私に抱きつき号泣していた。やはり見た目通り心も子供なのだろう。私が頭を撫でていることに気付くとマキは私から身を引き何もせずに椅子に座り込んでいた。

 どこを見るでもない。ただずっと座っているマキを見ているとマキが剥製のように思えてきたのだ。

 マキに今、食事をやっているのはそのため。彼女は生きている。生に縋っていると自分、そしてマキの心にとどめておきたいのだ。

 にしてもやはり疑問に残るものがある。

 感情が高まっていた時に大切なことを聞いた。だからこそなのか、その言葉に確証を感じえなかった。

 もう一度聞こうにもその言葉はどうも彼女にとっては駄目なような気もする。

 そう考えているとマキが箸を止めカップラーメンの上に置いた。時は今しかないだろう。


「「あの」」


 その時、ちょうどマキと私の目が合った。

 私は思わず口を開け目を逸らせてしまう。私があたふたとしていると、


「どうしたの」


 そうマキが言ってくれた。大人である私がこんなにも幼気な少女に気を遣わせてしまっている。その事実に心が小さくダメージを感じた。


「何でもない。ただ……」

「……」

「マキは本当に機械、ロボットなのか?」

「うん」


 マキはためらうことなくそう言った。互いの目は合ったまま。

 カップラーメンの冷えていく感覚が分かる。


「私は機械、マシン、ロボット、メカ」

「……」


 マキは自分の腕を目の前に出すと物珍しそうにそれを見だした。

 まるで自分のものではないかのようにじろじろと眺めながら淡々と話を続ける。


「私の心臓はエネルギーを送るためのポンプだし、私の腕は歯車でできてる。五感だって所詮は最先端技術の選りすぐり」

「そうか」

「そう。無論私はただのスクラップ」


 そこまで言ってマキは話していた口を急に閉じる。

 私は驚いたように目を瞬かせる。


「あの……」

「どうした」

「ラーメンは」

「……」

「おいしい」


 そういってマキは目線を落とした。

 五感も機械の一部ということを言ったことに少し罪悪感を感じたのだろう。マキなりの言葉の使い方に私は関心を示していた。

 やはりマキは機械なのだ。

 つまりは食事も排便も風呂も睡眠も。生き物が行う本能的な行動なんてマキからすればただの時間の無駄遣いにしかならない。それどころか機械はエネルギーの供給が 途切れるまで生き続ける。つまりは時間すらもどうでも良いのかもしれない。

 そこまで考え私ははっとする。

 互いの目線は再度ぶつかり合っていた。


「ところで、マキは何を言おうとしたんだ」


 そういうとマキは口を小さく開ける。

 なんだか分かった気がする。マキの癖だろう。彼女は言葉が簡単に出てこないとき口をパクパクとさせる。初めて会ったときからずっとそうしていた気がした。なんだ か急に自分が誇らしく感じる。


「私……ここに来るまでの記憶がない」

「……そうか」


 感情の赴くままに言葉を選んだ自分に反省をしている。

 彼女と一緒にいると謎めいたことが次々と起こっていく。

 記憶がない。ここに来るまでと言うのは私がマキを見つける以前の話だろう。マキに対する一番の問題であった部分が結局のところ未解決問題となってしまった。

 マキが悲しんでいるのは無論分かるが、生憎記憶を無くした人に贈る言葉なんて私の語彙をいくら探したところで見つかることは無い。

 「大丈夫か?」、「悲しいか?」、「何か思いだせることは?」とか確かにとりあえず言葉をかけることはできるだろうがそんな言葉をかけたところでそれが正解なことは無いだろう。

 そう考えながら目を泳がせていると何かが鼻腔をくすぐった。

 これは、柑橘系の臭いだ。瞬時にマキの髪の臭いだと思う。あの時はいい匂いなんて感じていただろうが今思うと匂いが強すぎると思う。鼻腔をくすぐるというよりも鼻奥を針で突いているような感覚だ。

 そんな匂いに嫌気がさす。


「アメ、あのね」


 その言葉にふと我に返るとマキは、私とマキの間の空間をただボーっと見つめていた。

 そこに何かがあるわけでもないがマキはそれが興味深いと言わんばかりの表情で見つめている。


「いや……なんでもない」

「そうか。残念だがお前には私しかいない。何かあれば」

「分かった」


 そういうとマキは私の目をじっと見つめた。なんだか急に胸が痛くなる。

 ただマキは懲りずに私の目を見つめ続ける。まだ言いたいことでもあるのだろうか。


「どうした」

「私は機械。食事なんて要らない」

「そ、そうか」

「けどそれくらいアメ知ってるよね」


 そういうと同時に私はこの世界が止まったかのような感覚を覚えた。

 これまでに覚えた違和感はマキについて知っていくから。そして少しずつ大人びていくマキをその目と耳で感じていたから。

 だからこそのその表情に私は言葉どころか思考が追い付かなくなる。


「だから、ラーメン。おいしかった」

「ありがと」


 そう区切って言う。マキは冷たい笑顔を作っていた。

 それが偽りの笑顔だということは人見知りの私でも分かる。だがそれでも嬉しかったのだ。

 偽善だと分かっていても、嘘だと分かっても。やはりマキの笑顔にはラーメン以上の価値があったのだった。

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