息をする少女は機械。あるいは人間。
「やはり私の食事の量を減らさねば……」
そういって考え込むと同時に目のマッサージをする。
PCに集中を向けどのくらい時間が経ったのか分からない。あるのは空調の低い音とPCの唸る声、それに低く不気味な私の声だ。
カーテンは閉め切っており真っ暗な部屋。エナジードリンクの甘い匂いが少しする部屋。依然として、そして当然私のいる部屋には変化がなかった。
『なかった』のだ。あの少女が来るまでは。
コンコンっと木の軽い音が鳴ると同時に部屋のドアがおもむろに開かれた。
それに気づき私は片方のイヤフォンを外しそちらへと椅子を回す。
「……アメ?」
「その呼び方にはなれないな」
そう言い私は頭を掻く。
マキはどういうわけか言葉を発する能力が乏しい。舌がうまく回っていないのか、言葉がうまくまとまらないのか。無論理由は分からない。
そういった状況で長々と「お兄さん」と呼ばせるのも申し訳ない。だが「彩芽」の名は家族以来ほとんど呼ばれたことがなく、あっても嫌がらせくらいだった。それもあり自分の名前であるにもかかわらず「彩芽」という名前には嫌気がさす。
仕方なくマキに「別の呼び方はないか」と聞いたところ二文字でしかも呼びやすい『アメ』という名前が返って来た。
「ところでどうした?」
「……」
「……?」
「まだおきてるの?」
「まだ起きてたら悪いのか」
そういってマキを軽くにらむ。
アメさんはこれからの生活とお金の為にたくさん計算をしなきゃダメなんです。なんて言えないので適当にあしらおうとする。
私が口を開くと同時にマキはこちらへと歩いてきた。無表情でこちらに向かってくるマキに若干の身構えをしてしまい口から息が漏れる。
部屋は思ったよりも狭くすぐにこちらに着いてしまいマキの目を見つめているとマキはそのまま椅子の後ろを通ってそして窓のある方へ……
「おぉ!マキ!!」
「なに」
冷酷な少女の背中から放たれた光は闇に慣れた私の目を貫き刺激した。それは薄い瞼だけでは守りきれずすぐさま顔を手で覆った。そうして目を強く瞑るとようやく闇が訪れた。
だがその名の通り光速で飛び回る紫外線に私の目は痛みを感じた。そのせいで手が若干濡れてしまっていた。
「ないてるの?」
「と、とりあえずカーテンを閉めてくれ!」
「……」
何も見えないがシャっとカーテンも締まる音が聞こえ腕を離す。
そこにはやはり無表情のマキが私を蔑むかのように見ていた。そう感じてしまうのは私の目がダメージを受け正常に機能していないからなのだろうか。
とにもかくにもマキが伝えたいのはもう朝だということなのだろう。
にしても昨日は空を見ることすら不可能だったのに朝になった途端こんなにも晴れてしまうなんて自然の力は偉大だと考えた矢先「朝」ということに違和感を抱いた。
「マキ、今何時だ」
「いまはしちじじゅうにふん。そともたぶんあかるい」
「そうだな……もうそんなにも時間が経ってたのか」
私はどうやら集中しすぎていたらしい。
マキが来てからこの時間まで、風呂に入れてからマキには私が持っている本を読ませていた。
文豪たちが書いた詩や小説だ。だがそれでマキの口調が変わってしまっては一大事だと考えラノベも渡し交互に音読や黙読をさせた。
これによってマキの活舌が良いものになれば私の思惑通りなのだがどうやらその作戦は上手くいったらしい。マキはさっきよりも話しやすそうにしていた。
「それで、何しに来たんだ?私をいじめて嘲笑いに来たわけじゃないだろ?」
「うん、じゅうでんしてほしい」
そういうとマキはまたしてもおもむろに歩き出しベッドへと腰掛けた。この状態のマキを見るのもこれで三度目だ。
一度目は風呂の後髪をとかしたとき。二度目は三時位にマキのぜんまいを回した時だ。
そして三度目の今。マキは充電と言っているが要するにぜんまいを回し活力を得ることを言っている。私たちがご飯を食べることを「充電」と比喩するのと同じ感覚なのだろう。
私はマキの背中まで回るとずっとつけてあったぜんまいをまた回し始めた。これで三度目となるがやはり初めは重いと感じてしまう。慣れることは無いのだろうか。
「髪、巻き込まないように持っとけ」
「うん、ありがとう」
マキはそういうと右手で長く透き通った髪を器用に束ね上へと上げた。
それによりぜんまいがより一層見えやすくなった。が、やはり不思議に感じてしまう。
このぜんまいだ。マキの服を貫通しているのかぜんまいと体の間には隙間一つなく服の上からしっかりとくっついていた。
無論、それがおかしいのだ。私は別に穴が開いた服を貸した訳でもなければぜんまいをつける際に開けたわけでもない。
風呂に入れた際に着替えの邪魔になるからとぜんまいを外してやったがその時でさえ服に穴は見当たらなかった。しかし今、ぜんまいは体と一体化している。
それどころかマキの胴くらいの大きさもあるこれは単体で持つとものすごく重いのだがマキの体につけた瞬間その存在がないかのように重さが無くなる。
マキを見ていると動きづらそうにしていることも、重心がずれてこけそうになっているところも見たこともない。
この現実感の全くない物体は何なのか。どうして服に穴は開いていないのか。果たして本当にマキはこれから活力を得て動いているのか。考えれば考える程謎が深まっていく。
「アメ」
「ん?どうした」
「アメ、ボーっとしてる」
「あぁ、すまない。考え事をしていてな」
マキは後ろにいる私を見にくそうに片眼で見ていると途端に頭を下に向けた。何か考え事だろうか。
マキ自体は普通の女の子だ。話してみると分かるが年齢は中学生くらい。身長も私の首あたりまであり幼いにしろ幼すぎるわけでもない。
考えていることも一般的な人のようだし話し方も今となってはほぼ違和感はない。
少女が機械だと結論付けるのはやはり間違っているだろうが唯一。時間を聞いた時や言葉を聞いた時にだけ少し違和感を感じる。
それは正確に言い当てることができる事だ。さっきも時間を聞いたが少女は分単位で当ててきた。だが私の部屋には時計がない。それどころか時間を示すものはこのPCとスマホくらいだろう。
それともう一つ。これは小説を読ませているときだが言葉の意味を聞いた時、もちろん全く同じわけではないがその説明は辞書のようだ。
少女が単語しか話せなかった時なのでそのように聞こえただけかもしれないが。
少女は機械なのか?マキは人間なのか?
機械だとするならばどうしてあの時泣き出したのか。人間だとするならばなぜ時刻や言葉の意味を正確に当てるのか。
人間は正体の分からない者に恐怖心を覚える。
「アメ」
「おぉ……な、なんだ?」
それがたとえ、少女だとしても。
「アメがきになってるのって、このねじ?」
「ねじ?」
ねじ……というのはこのぜんまいのことだろうか?
マキはまた後ろを向くと不思議そうにそう述べた。
「アメがぜんまいっていってるのはねじ。ぜんまいはわたし」
「私……」
マキが初めて一人称を口にした。
マキは自分のことを「私」と言うのか。私の一人称に影響を受けたのだろうか。だがそれならばよかった。急に本に影響を受け「俺」なんていわれた日にはたまったものではないなと想像をし頭を振って消す。
今はそうじゃない。確かぜんまいと言うのは……。
「あれ、これはぜんまいじゃないのか」
「うん、ねじ。アメずっとまちがえてる」
「それは先に言うやつだ」
なんだこの敗北感は。こんな少女を前にして私は重大なことを間違えていたのかと頬を赤く染める。
だがしかし、先ほど調べた時は「ぜんまい」と打ってもねじが出てきた。これは罠か?又はぜんまいでもあっているというのか。
とにかくこの間違いをないものとしたい。さっきマキは私の気になっているのはねじかと聞いたな?
「すまない取り乱して。そうだ、私はずっとそのねじについて知りたいと」
「いいよ。とってみて」
言葉を遮るようにそう言われた。と同時にねじは五週、回し終えた。
マキはそれでも動かずに首だけで私を見ている。本当にいいのかと目で訴えるがマキの表情はやはり変わらない。
「とってみて」
またしてもそう言われねじの持ち手あたりを持ち思いっきり引っ張る。
どれだけ力を込めてもマキの動く気配はしない。冷たい表情のまま私を片目で見つめている。
ねじが少しずつ抜けていってるのが分かった。そして、一定まで引っ張ると急に重さがやって来た。
「うおぉ!」
「だいじょうぶ」
マキはいつもよりも早く動き私の方へと振り返る。そして倒れこんだ私の手を掴み起こしてくれた。
少女の手は機械のように冷たくそして真っ白。人間味が足りない。そんな少女を見てもやはり表情は変わらない様子だ。
ねじはベッドに落ちるとその重さを再確認した。ベッドが沈み込んでいる。
マキは本当にこれを付けたまま動いているのか。質量保存の法則を疑いたくなった。
「ありがたい。ところでこれ外してどうするのだ?」
「それ、きになったんでしょ」
「それはそうだが」
ねじを外して見たところで私の疑問は解決しない。
一応見てみてもやはり初め会ったときと同じくねじの入れる部分には穴が開いてあるだけで異世界へ通じる空間などは見当たらない。
それどころか外して見て分かったがこのねじは見た目こそ古いがどこも欠けている部分もなく何より中に何か入っている気がした。
これ自体が機械なのだろうか?と考え急に疑問が湧く。
「なぁマキ」
「ん」
「これって初めマキに付いたみたいに他のものにも付くのか?」
ベッドに腰掛けたマキは目線を下の方に向けると目を瞑った。何か考えているのか。
私の質問の中にタブーでもあったのか、と余計なことを考えてしまう。どこに考える要素があったのかは謎だがマキはやはり表情を変えずにこっちを見た。
「うん、つくにはつく」
「つけていいか」
「……うん」
これは驚いた。
やはり穴の見当たらないマキにも付くこのねじはどんなものにでもつくということなのだろう。
原理は全く持って理解不能だがこのねじには私には考え付かない力があるのだろう。
「何につけるのがいいと思う」
「どあとか」
「そうか」
マキの言う通りに重たいねじを両手で持ちドアのある方へと歩む。
マキは一歩も動かずにそれを終始眺めていた。目線だけ動かしところどころ瞬きをする。遠目で見ると呼吸すら行っているのか怪しい少女はやはり機械のようだ。
なんて考えているとあっという間にドアの前。
私は躊躇なくねじをドアの方へ向け差し込んだ。そしてやはり感じる感触。
想像通りで嬉しさのあまりマキを見るがやはり無表情。
「どのくらい回したらいい」
「ごかい、たぶんかるい」
少女の言う通り回してみるとマキにつけた時よりも随分軽く感じた。一瞬にして一周してしまう。五周なんてあっという間だろう。
何故こんなことをしているのか、はたから見ればすごく気味の悪い変人に見えてしまう。ここにいるのが感情を全く見せない少女だけでよかったと考える。
だがこのねじを回してどうなるのだろうか?
少女にねじを付け回したときは少女が活力を得ることになった。
だが今つけて回しているのは植物でも生き物でもないドアだ。生きていない。つまり得る活力が無いだろうが。
そう考えながら回しているとあっという間に五周した。やはり終始黙っていた少女を背中に若干の悪寒を感じながらもねじを取る。
すると、
「おぉ……」
「……」
ドアがゆっくりと、何もしていないのにもかかわらず勝手に開いた。
そして壁に付く瞬間にピタッと止まった。まるで自動ドアだ。
ねじを回すことで活力を得るのはたとえ生き物でなくても同じなのだろうか。
「すごいなこれ、他にも付かないのか」
「……」
「どうした」
「かーてんならつくとおもう」
「カーテンだな」
そういいドアを後にしカーテンへと足を運ぶ。
やはり指一本動かさずにこちらを見ている少女は不気味だ。それを無視し今度はカーテンに向かってねじを押し込んだ。
ねじの口は少し長いがカーテンに厚さはない。光を完全に遮断するほどの厚さはあるが所詮はそれくらいだ。
だが、一定まで差し込むとねじはカチッと音がしはまった。やはりどんなものにも付くようだ。
ねじが貫通している様子もなくドアの時と同じように回しだした。
さっきよりも軽い。まるでおもちゃのねじを回しているようだった。ねじの重さはどうやらその物質の質量に依存するようだ。
ドアやカーテンなど動くものばかりにつけているが動かない物に付けたらどうなるのだろうかと疑問が湧く。
そう考えているうちにあっという間に五周。
重さに耐えれるよう慎重にゆっくりとねじを外した瞬間、
「おぉ!うそ」
「っ!」
カーテンが急に開き私はとっさにねじを手放してしまった。
常闇だった私の部屋にまたしても光速で飛び回る日光。急激な攻撃に目はまたしてもダメージを受け私の五感は怯んでしまう。
被害者は今回私だけではなかったようだ。目が開きずらいが何とか手で日傘を作り窓の反対側を見るとマキが立ち上がってこっちを見ていた。細かい表情は見えないが急な光にマキでさえも反応を示さないわけにはいかなかったのだろう。
「これ、閉まらないのか」
「かーてんはふつうあさあくもの。だからよるまでしまらない」
「そうなのか」
急な光に動揺してしまったが慣れてしまうとどうってことない。多少の時間が経つと目は光に慣れ始めていった。マキを見てみてもやはり表情は変わらずただ人形のように突っ立っていた。
だがカーテンが閉まらないと問題だ。私は常にカーテンに守られ外に出るときも基本夜の時にしか出ない。とどのつまりは夜行性なのだ。
マキはこの状態でも動けるだろうが私になれば話は別。私はPCがないと生きられないのだ。そしてそのPCがあるのはこの部屋のみ。
「……」
「アメ、かーてんにねろっていわれてる」
「そうだな。私は隣の部屋で寝ることにする」
「どんまい」
「いい迷惑だ」
そういって私はねじをベッドまで運ぶと手で日傘を作り部屋のドア近くまで歩く。
勝手に開いてくれたドアになんとなくありがとうとつぶやくとマキの方を見た。
無表情のままこちらに手を振る彼女は機械なのか人間なのか。正体の分からない彼女に私は安心感を抱いた。
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