生気のない少女の希望

「あーあ……」


 雨が止み始める外の景色、私の考えていた計画は見事に狂うこととなり思わず声が漏れる。

 湿度も高く微妙に暑く感じる部屋の空気に微妙な嫌悪感を感じ窓を閉めると同時に部屋のドアがおもむろに開いた。

 その刹那オレンジの良い匂いが鼻腔をくすぐった。


「お?どうだ?洗えたか?」

「うん」


 そこには質素なデザインのバスタオルを首に巻き、可愛らしい寝間着を着た少女がぽつんと立っていた。

 少女から漂うオレンジの香りはきっとシャンプーのものだろう。私が普段愛用しているものを使わせたはずだがやはり他人が使うと感じ方が違うのだろうか、いつもより強い香りを感じた。

 柑橘系のきつい匂いを感じようとしたところで少女が首をバスタオルで拭いた。よくよく考えれば少女は今さっき風呂に入って汗を流してきたというのにこの部屋に入ってさらに湿気や熱を感じるなんて生き地獄だろう。早く気づけなかったことを早々と後悔しながら私はクーラーのリモコンを手に取り「冷房」と書かれたボタンを押した。


「ありが、とう」

「どういたしまして」

「おにぃ、さん」

「ん?どうした?」

「このふく……だれの?」


 そういうと彼女は不思議そうに服をつまんでいた。

 少女が言いたいことはつまり「どうして青年と言える年齢のお兄さんが子供の、しかも女の子用の服を持っているのか」ということだろう。

 舌が上手く回らないのか、そもそも言葉を知らないのか、詳しくは分からないがともかく少女には国語を教えたいと強く感じる。


「それは私の妹の服だよ」

「いも、うと?どこ?」

「もう遠いところに行って会いたくても会えないかな」

「……?」


 少女は首を傾げて何かを聞きたそうにしているが生憎話すのが苦手なのだろう、口をパクパクさせるだけでうまく言葉になっていなかった。

 身長からして小学校高学年、それか中学生くらいの年齢なのだろう。そんな人生経験の乏しい少女に本当のことは伝えられない。今はこうやってごまかしておこう。

 なんて考えていると少女はゆっくりとこちらへと歩いてきた。


「……」

「どうした?」

「かみ、とどかない」


 そういうと少女は洗面所に置いてあったであろう櫛を私に渡すとそばのベッドに腰掛けた。

 少女漫画に世界にいるお嬢様のように偉そうだ。私はベッドに乗ると少女の背中へと膝立ちでのそのそと進んだ。

 服や首に引っ付いていた髪を手ですくいそして櫛でとかしていく。こんだけの長さがあると苦労するだろう。そんな苦労は私にもわかる。

 この少女と会ったときにも間違えられた通り私は髪が長い。決しておしゃれの為とかではないが切る気にはなれない。だが特にと言った理由はない。

 そしてこれと一人称、それにもう一つの要因で私はよく女と間違えられる。学生のころまでは幾度となく間違えられ不服で嫌悪感を抱く程だったが最近はもはや当然のようになってきた。

 ただ大人になるにつれ関わる人間が少なくなっただけだが。



「そういや名前聞いてなかったな、私は『宮本』と言う」

「……なまえ」

「え?」

「したの、なまえ」


 髪をとかしているので顔が見えないのが幾分怖さを増している。名前を聞くときは自分からというのは当然だがあまり名乗りたくない。それならばせめてと思い苗字を言ったのだがまさか下の名前に探りを入れてくるなど思わなかった。

 少女の考え、思想の根底に何を隠しているのだろうか。

 そんな変な考えをしてしまうのも無理はない、自分の急所をいきなり突かれ戸惑ってしまった。


「えと……苗字じゃ不服か?」

「なまえ」

「……私の名前は『彩芽』だ」

「……」

「なんだ?」

「おんな?」


 ほらな?言っただろう。やはり初めはこう思われてしまうのだ。

 私の女と間違えられるもう一つの要因、名前がやはり女なのだ。

 そもそも名前という分野において極論を言えば女も男も関係はない。どれだけ可愛い名前でもどれだけかっこいい名前でもそれが女である理由も男である理由もない。

 この世はジェンダーレスなのだ、そういった考えの世界。名前ごときで性別などと結びつけるのは間違っている。

 だが欲を言うのであらば、親に一生のお願いを使うのであれば、せめてもう少しかっこいい名前にしてほしかった。

 髪の長さや一人称はどうにかできるだろう。何より目上の人間には『僕』と言っている。だが名前は一生で一つ、たった一つの宝物なのだ。

 どうして名前を自分で変えられないのかと常々考える。


「さっきも言っただろ?私は男だ」

「おにぃさん、だね」

「お?スムーズに言えるようになったか?それより私は名乗っただろ?」


 そういうと頭が横へ揺れた。櫛からぱらぱらと髪が落ちていく。

 そして感情の感じない声色が聞こえる。


「じぶん、なまえ、ない」

「ん?どういうことだ」

「なまえ、つけてくれな、かった」


 その言葉を聞き無意識に櫛を動かす手が止まってしまった。

 人間はあえて遠回しな言い方をする。だがそれを無意識に理解している人間は隠された意味を読み取ろうとする力に優れていた。

 それは私も同じようで少女の言葉に隠された意図を読み取ろうとした。だが考えれば考える程残虐で冷たい光景が目に浮かぶ。

 それと同時に少女の舌が回らない理由も……

 そこまで考え首を振った。これ以上考えるのは自分の為にも、そして少女の為にもしない方が良いだろう。

 それに名前を付けなかった理由が他にもあるのかもしれない、私の考える限りでは思いつかないが。


「帰る家、あるか?」

「ない」


 当然のように発せられたその言葉がどれだけ重たく苦しい言葉なのか少女は知らないのだろう。

 だが私はその否定的な言葉が出ることを初めの内から理解していた。


「良ければでいい、当分の間は私の家にいないか?外にいても衣食住は確保できないだろ」

「それは……」

「それに、私がせっかく仕上げた髪が台無しだ」


 私は少女の頭を優しく叩きそういうと、立ち上がってデスク用のチェアに座った。

 そしてPCに電源を入れると椅子ごと少女の方へ向いた。

 やはり少女の表情は読み取れない。だが少女のあるべき姿、本来の姿をみるとやはりどことなく守らなければという意欲が湧いた。


「……いいの?」

「家主の私が言っているんだ、男に二言はないのだよ」

「そう、だね」

「安心しろ、私は危害を加えるようなことはしない。何よりそのぜんまいは私以外に回すやつがいないだろうな」


 そういってぜんまいを指差す。

 やはり始め会ったとき、少女はそれを回した瞬間に動いた。

 とどのつまりは少女はぜんまい仕掛けのおもちゃのように回しことで活力を得るのだろう。

 ただそうとするなら少女は機械と言っているようなものだ。そこにずっと引っかかっている。そんなことがあり得るのだろうか?だがいかんせん少女から感情を感じる動作や言動は見当たらない。

「おにぃさん」という言葉が滑らかに発音できた以上、機械と違い成長することはできるのだろう。少し時間がかかるが少女の成長を見守るとしよう。


「よし、そうと決まればまずは名前を決めよう」

「なまえ?」

「そうだ、私みたいな人間が名前を付けていいかは甚だ疑問だがなにせこれからこの家に住むことになる。その時不便になるだろう」

「そう?」

「なるのだ。だから一緒に名前を決めないか?」


 そういうと私はいつの間にかついていたPCに早々とパスワードを打ち込むとそのまま検索ツールのサイトを開いた。

 とにかくアイデアが欲しいのでとりあえず「女の子 名前」と打ち込む。


「名前って時間をかけてつけるもんだよな……」

「……」


 少女の方を見るとゆっくりと立ち上がり椅子の隣まで来てじっとPCの画面を眺めていた。

 時々瞬きをするので安心するがそれがなければ置物と勘違いするだろう。そのくらい少女から生気を感じられなかった。


「やっぱりこういうありふれた名前はなんか違うよな」

「なまえ……」


 アイデアを得るためとはいえ「よく付けられる名前一覧!!」などのサイトを見ても何一つアイデアを得られない。

 このままの調子では物事が順調に進むことは無いだろうと検索ボックスに今度は「機械 名前」と入れ検索する。

 だがやはり機械と言うとモーターやエンジンなどいかにもな機械が多く人っぽい名前など出てこない。

 そもそも機械の欄で人の名前を考えている時点でおかしいのだろう。そう思いながら懸命にマウスのホイールを下側に回していく。


「やっぱりここまで来ると調べたいものから離れていくよな」

「ん」


 そう考えていると少女がPCに向けて指を差した。

 こんなところでよいものが見つかったのだろうか?


「どれだ……こ、これか?」


 考えもしなかった案に少女は頷き若干の失望をする。

 そこには「機械仕掛けの神 デウス・エクス・マキナ」と書かれていた。

 流石にダメだ。当人の意見を一番にしたいのはもっともな考えだがこういう場合は否定することも彼女の為であろう。


「さすがに……」

「……」

「じゃ、じゃあ最後の『マキナ』の字を変えて『マキ』ってのはどうだ?」

「……うん、いい」


 少女の反応はやはり分からない。これまでに少女の感情を読み取れたことは、初めの泣いて抱き着いてきた時以来だろう。

 あの時はぜんまいを付けるというときに泣き出した。一体どうしてだったのだろうか、ぜんまいは活力の発生源ではないのではないか。

 それはともかく少女の名前はあっけなく決まってしまいそうだ。


「本当に『マキ』でいいんだな?」

「うん」

「後悔ないな?」

「うん」

「こんな安易に決まるとは」


 そういうと私はタスクを消しPCの電源を落とした。

 と、その時少女は静かに言った。


「なまえ、つけて、くれる……それだけで、うれしい」


 そうゆっくりと告げた言葉はほかの言葉よりも重みが違った。

 だが『マキ』はまっすぐ私の目を見てやはりいつのも如く感情を含まない口調でそう言った。そんな『マキ』の言葉に私は不気味さを感じてしまった。

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