寿命伍時間の撥条仕掛け

和翔/kazuto

プロローグ

 藍色の空、流れる雲が一つも見当たらない。

 そんな中織りなす煌びやかな羽衣は、空しい我々の心を埋めるかのようにただ必死に光っている。

 正直知識なんてものはない。星々の形に名をつける程洒落てはいないし理解しようとも思わない。

 ただ空がきれいと、それでいいのだと思う。無知の知はこういうところで役に立つのだ。

 本来はそう比喩できたのだろう。だが、現実はそんなに美しいものではない。

 私の視界に写るものは?

 綺麗な夜空ではない。では一面雲に覆われた薄暗い世界だろうか?そうでもない。

 私の視界は今、雨でぬれた眼鏡の曇りだ。


「これも風物詩ということか」


 ずぶ濡れで機能を果たしていない眼鏡を外してポケットの中に入れる。

 空を見上げても目が悪く何も理解できない。それどころか雨粒が目に入ってきて辛い。

 「二回から目薬」というのは思い通りにいかないことのたとえだが、「天から目薬」など食らっては天の思い通りではないのではないか?

 これからは非常に辛くて忌々しいという意味で「天から目薬」ということわざを広めようと考える。今、私が考えた。

 そんなことよりもう少しで目的の場所だ、ここら辺は道が入り組んでいる。

 適当な裏路地に入れば簡単に着くことができる。そう考えていたのだが。


「ん、あれは……」


 一メートルにも満たない細い通路。そこには目の悪い私でさえもが理解できる。

 だが現実を理解できないのはやはりそれがありえてはいけないことだからだろうか?

 又はこれは夢現な私が見ている幻想なのだろうか?だとすればなんて冷酷なのだろう。

 だがいくら目を擦ってもその者は現実味を増していく。

 茶色の髪にファンタジーな服装、極めつけはやはりその声。


「だ、れ?」


 そこに少女が一人座っている。


「おねぇ、さん?」

「待て、何を勘違いしている? 私は男だ」

「え?」


 少女は開ききっていない目でこっちを見ている、困惑しているようだ。

 が、首が後ろに傾いている、まるで力が無いようだ。

 壁にもたれ腕も力なく地面を擦っているずぶ濡れの少女。

 とにかく放置するわけにもいかない、小走りで少女のもとへと向かう。

 ポケットから眼鏡を取り出すと腕で必死に水を払い、手で傘を作りそれを掛けた。

 本物の傘を持ってくればよかったのだが今は雨にかまってる暇ではない。


「大丈夫……じゃなさそうだな」

「お、おにぃ、さん?」

「なんだ、どうした?」


 こういう時こそ冷静に立ち回らなければならない。

 ただの家出なら良いが生憎そういう雰囲気ではなさそうだ。

 見た感じでは満身創痍、何か大きな事でも起こしてない限りはこうはならないだろう。

 なんて考えていると少女の表情が曇りだした。

 そして、


「っ……、ぅ……」

「お、おい、なんだ!?」

「……おにいっ、さん……」

「どうした!」


 少女が泣き出してしまった。

 そして私を呼ぶと腕を重そうに上げおもむろに指を差した。

 そこには、


「これ……ぜんまいか!?」

「それ……せな、か」

「は!? お前は人形にでもなるつもりか?」


 そこには『ぜんまい』が置いてあった。

 植物の『ゼンマイ』が生えているわけではない。

 大きさ的には少女の胴と同じくらいだろう。

 古いおもちゃについているような、茶色い蝶の形をし、根元は穴が開いてある『ぜんまい』がそこに存在していた。

 それを私に巻けと言っているのか?こいつの言ってる意味が分からない。

 なにかの比喩だろうか?そうだとしたら指を差したまま動かない少女にも頷けるが。


「え、本当か……?」

「う、ん」


 冗談じゃないらしい。

 だとすればどうして動かないのだろうか?

 いや、今は考えている暇じゃないのだろう。

 少女の考えていることなど理解できないがやれと言われているのだからやるしかないのだろう。

 そう思い『ぜんまい』を手に取るが予想以上の重さに思わず体が引き寄せられる。

 五キロはあるだろう、そんなぜんまいを無理やり持ち上げ少女の隣に置く。


「動くことはできないな?触るぞ」

「え、あ……う、ん」


 傘にしていた手を自由にすると目の前が一瞬にして薄暗くなった。邪魔だと思い眼鏡を外す。

 泣いた後だからか嗚咽が止まらないのだろう。そんな少女の横腹を両手で持つと、意外に軽い。ひょいと持ち上げられた。

 そうして少女をひっくり返すとゆっくりとそこに座らせる。

 都合のいいことに深夜の裏路地なので人が来る心配はないだろう。

 だがそう楽観していてはだめだ。こんなところに少女とお兄さんがいるとなると問題になりかねない。

 速くことを進めよう。


「ほんとに、これを……」

「おにぃ、さ?」

「悪い、あの……入れるぞ」


 何かドッキリにはめられているようだがそんなことはどうでも良い。

 そうであったとすれば私のとっさの行動には称賛の念は間違いないだろう。

 だが生憎そんなことをする友人を私は知らない。

 『ぜんまい』を少女の背中に押し付けると驚くほど感触がない。

 だが少しずつ入れていると次はかちっとはまる感触がした。


「うそ、だよな?」

「5回、まわして」

「……分かった」


 身体に異物を入れている不気味な感触に私の脳はついていけてないが、今私のしていることは正しい事だ。間違いない。

 そう思い『ぜんまい』に両手をかけ力を加える。

 その『ぜんまい』は相当固い、大人の私からしても一苦労だ。だが一心不乱に巻いていく。

 不思議なことに少女自体全く動いていない、こんなにも目一杯力を加えているのだから多少なりとは動いてもおかしくないだろうになぜか微動だにしない。


「その、何か感触はないか」

「……」


 背中を向けられそのうえ目が悪く、少女がどう感じているのか分からないがとにかく返事はなかった。

 続けて『ぜんまい』を回していく。

 固いと言ってもそれは初めだけだったのだろう、ずっと回していると割とスムーズに回すことができた。

 そして5回目。


「これで大丈夫か?」

「あり、が……」


 口下手なのだろうかそう思い少女から離れた瞬間。


「うぉっ!」


 腹から息が漏れる程急に、ギュッと抱きしめられた。

 それも『ぜんまい』の重さなど感じないほどの速さで。


「おにぃ、さん」

「なんだ?」

「……」


 この場所は多少離れるものの家から遠いわけではない。

 今日は不服だがこの少女を一度風呂に入れさせてやろう。

 そう考えながら少女の頭を撫でた。

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