母の愛は深く過去から現在へ

 ドアが開き、現れたのは品の良さそうな老婦人だった。誰なのかハリムにはひと目でわかったようだった。


「は、母上………どうしてここに?」


「ハリムとは長い間会っていませんでしたね」


 静かな水面のような落ち着いた声音で話しかけられ、ハリムは眉を潜める。


「あなたにどうしても話しておきたいと思い、いてもたってもいられなくなって、来てしまいました」 


「なにを話すことがあるんだ?」


「ハリムを避けていたわけではありません。もちろん、この母は贅沢したくて離宮にいたわけでもありません。あなたが偉大な王となられて本当に嬉しいのです。わたしは前王の不興を買ってしまったのです。あなたの父である前王はどこか冷たいところのある方でした。わたしが産んだ子を違う自分の気に入った女性に育てさせようとし、わたしが抵抗し続けると、ハリムが7歳になった時に、離宮へ行けと命じられたのです」


 昔話は母の辛い愛情のある話だった。複数の女性を自分のそばに置いていた前王の話は、ハリムの母の心を深く傷つけていた。


「わたしへの嫌がらせは日を追うごとに激しくなり、ある日、オアシスへ景色を楽しみに行った時、馬車が襲われました。そこで戦ってくれた従者のおかげで命は助かりましたが、その首謀者は前王だったのです。そこまで疎まれていたのかと思い、わたしは幼いあなたを置いていくしかなかったのてす。前王はハリムに王となる教育をきちんと施すと言い、わたしを見送る時に約束してくれました」


 ハリムの目は母親から目が話せない。ハリムの母、前王の夫人はポロリと涙を零す。


「この王宮を去る日に追いかけてきたあなたの姿は今も忘れていません。育てず捨てていったようなわたしが、ハリムが王となったからといって、どうして……どうして……母の義務も果たさなかったのに、今更、図々しく共に過ごせましょうか?一言だけあなたに会って告げたかったのです『ハリム、変わらず愛しています。許してください』と」


 わたしの願いは叶いました。そうにっこりと涙を浮かべて話す老婦人は愛情に溢れた母親だった。


「母上……母上………どうか謝らないでください」


 ハリムの声が弱々しい。そこに、いつもの悠々とした自信に満ち溢れた砂漠の王はおらず、少し弱気な小さな男の子の顔になっていた。


 リアン……と小さな声が横からした。ウィルだった。


「これも策の内か?」


「そうよ。でもハイロン王……ハリムのお母様の真意はわからなかったから、賭けみたいなものだったの」


「リアンは人の心を掴むのがうまいな。……オレの母も愛情深い人だったよ。思い出してしまうな」


「私、ウィルのお母様に会ってみたかったわ」


 ハリムは自分の母に歩み寄る。そして手を取った。


「わたしの話すことを信じてくれるんですか?」


「もっと早く言ってくれれば良かった」


「なんて自分にとって都合の良いことだろうと思ったのですよ。王になってから会ったところで、わたしが役立つことなどありませんからね」


「そんなことはありません。母上が傍にいてくれるならば、心がやすらぐ。なぜ会う気になった………まさか!?」


 バッと私の方を振り返った。


「リアンにボードゲームをしていたときに気まぐれに話をしたことがあったが!?それか!?」


「ハリム、そちらのお嬢さんから手紙を頂いたのです」


「やはりかそうか!」


 私は微笑ましい親子に微笑む。


「砂漠の国と友好関係を結びたいわ。ハリム。これはあなたの後宮にいるリアンではなく、エイルシアの王妃としてお願いしたいの。もちろんウィルとあなたがよければの話だけどね」


「……おまえには恐れ入った。良いだろう。自国へ帰れ。エイルシア王にやるのは惜しいが手に余る」


「そうだね。リアンはオレじゃないと無理だと思うよ」


 ウィルがすかさずそう答える。ハリムは苦笑する。


「奴隷として売られたが、最終的にその国に入り込み、友好関係を結ぶなど、転んでもタダじゃ起きない女が存在するなんてな。恐れ入った。ゲームも一度も勝てなかった」


「ハイロン王、安心しろ。オレもゲームで一度も勝たせてもらったことはないよ」


「簡単に勝たせないわよ!特にウィルには!」


「え!?なんで!?」


 なんででもよ!と私はいいきった。


 ……だって、ゲームに勝てたら私から興味が失せちゃうかもしれないでしょう?そう心のなかで呟いた。


 アハハと笑い声が響いた。ハリムの顔が清々しい。


 どうやら、砂漠の王国から私は自由になれたようだった。バササッと窓の外では羽音をたてて、白い鳥が飛んでいったのだった。

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