月夜の砂漠

 私の部屋の窓からは砂漠が見える。延々と続く砂紋が描かれた山は月夜に照らされて金色に光って見えた。


 眼下には用水路から水をひき、水を使った贅沢な庭。この国においては庭に水を使うなんて最上の贅沢なのではないだろうか。


 緑が生い茂り、色の濃い花が咲いている。白畳を歩く人影が見えた。あれはハリムのようだ。


 頬杖をついて、何をしているのかと気まぐれに眺めてみる。隣に付き添いの侍女を連れてやってきたのは豊かな長い黒髪のウェーブの頭に豪華な布を被り、手にはいくつもの金でできた腕輪をはめている女性。


 月の光の中、二人が歩く姿は絵画のように美しい。


「あれは第一夫人です」


 アイシャが夜に飲むための白湯を持ってきてくれ、寝台の傍に置きながら、教えてくれる。


「へぇ、遠くからだけど美人なのが、わかるわ」


「あら?リアン様も負けていないと思いますよ」


 そう励ますように力強く言ってくれる。アイシャは特に縁もないのに、来たばかりの私に優しい。その優しさがアナベルを思い出してしまう。ここは私の場所じゃないのだと余計に実感してしまう。


 突然、ハリムが上を見上げた。パチッと私と目が合う。フッと笑った気がした。その表情は自信に満ちていて、魅力的なもので、惹きつけられる。


 なんでいきなり上を向いたの?私の方を見たのかしら!?


 バッと私は思わず窓辺から離れた。危険だわ。……なんだか理由はわからないけど危険な気がするわ。


 その次の晩のことだった。昨晩、第一夫人とハリムが歩いていた庭園に私が招かれる。間近で見るとさらに美しい砂漠の中の庭園だった。月の光は今日も変わらず砂丘を金色にし、キラキラと用水路の水を輝かせる。


「昨日、覗いていただろ?」


 砂漠の王は私の目を見つめて、そう尋ねる。


「偶然なのよ。別に覗こうと思ったわけじゃないわ」


「俺が見上げたのは偶然じゃない。リアンが見てくれているかと思った」


 ……ほんとに偶然なのよ!と言いたかったが、言葉を失う。ハリムがこれを見ろと庭園の先を見せたからだ。


「これ……」


 花のない砂漠で一面に咲く白い花。埋め尽くす花畑をどうやって作ったのだろうか!?白い色が砂漠の月夜に合う。甘い香りが風によって流れてくる。


「どうだ?すごいだろ。リアンのために用意させた」


「ええっ!?まさか一日で!?」


「そうだ!驚いたか?こんなこと、エイルシア王にできるか?」


 スケールが違う。ウィルはしないでしょうね。私は財政と労力を無駄遣いするな!と言ってしまいそう。


「……なんだ?もっと喜べよ」


「えっと……綺麗なんだけど、つい、いくらかかったのかしら?とか、この分をこの国の井戸を掘るお金にできないの?とか思っちゃって」

  

「井戸?」


「そうよ。共同の井戸を作ったり、水を濾過する装置を置いてあげると……あ、ごめんなさい。余計なことだったわよね」


 人の国の内政に首を突っ込んでる場合ではない。そしてハリムは険しい顔をしていた。


「いや、続けてくれ。なせ、こんな状況でそんなことを考えてるんだ?と思うがな」


「以前、ハイロン王国の状況を調べたことがあって、雨があまり降らず、水を手に入れるのが難しいと書かれてあったから、民が少しでも楽になれば国も潤うし、余裕も生まれるわ。宝石や鉱石で栄えているけれど、資源はいつか尽きる有限なものよ。だから、その時までに国を豊かにしておきたいじゃない?始めの一歩として、足りない水から補うことから始めたらいいと思うの」


「なるほどな。ロマンチックな状況が消え失せたが、勉強になった」


「あなた、悪い王ではないわね。こうして人の話を聞こうとする度量がある王の周りには、自然と良い人材が集まるものよ」


 私の言葉に目を見開くハリム。


「俺の周りには良い人材などいない。信用できるのは己だけだ」


 突然、冷たい声音になった。


「生意気な女は嫌いではないが、おまえは口がすぎるぞ。この国では女は内政に口出しはできない。そのような身分も資格も持っていないからだ。舌を抜かれたくないならば黙ってろ」


 確かに、余計なことだったわねと私も思う。キャー!ハリム様ー!素敵なお花の庭園ありがとうございます!なんて言えば満足だったのだろうか?


「それを貴方が望めば、そうします。黙ってるわ」


 静かに怠惰に過ごすことが正解ねと私がひくと、ハリムは顎に手をやって、考える。


「……いや、待て。それもつまらんな」


「ええっ!?どうしろって言うのよ!?」


 私が困る様子に、ふいに優しい眼差しになるハリム。


「俺を愛せばいい」


「何を言ってるのよ。あなたには愛してくれる人がたくさんいるじゃない?気づいてないだけよ」


「他の部族からきた者たちなど信用できない。俺を掛け値なしで愛してくれてるわけじゃない。利益があるから愛そうとしているんだ。後宮に一人くらい、利害が絡まない女が俺を愛してくれてもいいだろう?王ではない、本当の俺を愛してほしいんだ」


 この王は本当は寂しいのかもしれない……人など信用できないと言いながら、その口で愛してほしいと願う。


「心から愛さない人は愛に気づくことなどないんじゃないかしら。私のことも本気ではないでしょう。私が落ちるか落ちないかを楽しんでるだけね。ゲームの一環として………っ!?」


 ガッと腕を掴まれ、ハリムの体に引き寄せられる。離れようとしたが、力強く、動けなかった。


「出てこい!出てこなければ、この女がどうなるかわかるな!?」


 グッと私の首を絞める。私の呼吸ができなくなる。もがくが、そんなものどうでもいいとばかりに無視し、手に力がこもっていく。


 草むらが動く。ハリムがその草をめがけて服からシュッと短剣を抜いて投げた。グッ!とくぐもった声。そして逃げる足音。


「『キツネ』を追え!」


 その声に周囲から警備兵が集まってきた。そして私の首をパッと離した。地面に膝をつく。ゲホッゲホッと喉が息が苦しくて何度も咳き込む私を見下ろして楽しげに……しかし冷たい目で笑う。


「今のはおまえを探していたエイルシア王国の者だろうか?手荒にしてしまったが、確認したくてリアンを利用してしまった。捕まえて吐かせてやる。まぁ、無断で王宮に入ったんだ。見つけ次第首をはねてやろう」


 私は苦しくて涙目になった目を拭う。震える手をグッと抑え込む。この砂漠の王は無邪気で危険だ。私を気に入ったと言いつつも新しく手に入れた玩具のようにしか見えてないのだろう。


 この彼と私のゲームが終わる時は必ず来る。終わりのないゲームなどない。


 しかしハリムの孤独はウィルと似ている気がした。立ち上がるように、差し伸べられた手を私は拒否して一人で立ち上がる。白い花畑を背にハリムの黒い目が、気のせいかもしれないが、どこか寂しげになる。私にはハリムの手を握ってあげることはできなかった。

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