第八幕

 翌朝、部屋から出ようとする颯の背中を起きて直ぐに呼び止める。


「一緒に登校しよう」


 黒い髪になった颯が振り向いて、黒い目と目が合う。


「また襲われるかもしれないし、人前に出られないなら俺がいたら大丈夫なんじゃないか」


 颯は何も返事をしなかったけど、掴んでいたドアノブから手を離してくれて、俺は急いで朝の支度に取り掛かる。


 登校中俺達は、外に出てからずっときょろきょろと落ち着きない俺を颯が窘める様に肘で小突いたぐらいで特に何事も会話もなく歩いていた。一緒に教室に入ると、流石に驚いたのか、普段なら直ぐに流していた人達が目で追ってくる。席に着いてからは隣の女子に凄い勢いで心配された。

 でも、そんな朝も、ある程度時間が経てばいつもの空気に戻っていって、二時間目が終わる頃には何ら変わりない日常になっていた。これもきっと颯が消えてもいい仕組みなんだろう。まるで、世界が彼を否定しているみたいに見えた。

 気持ちが晴れないまま昼を迎えてしまう。真っ先に教室を去ろうとする颯をまた引き留めて、今度は昼食に誘った。少し悩む素振りをしてから、颯は分かったと言ってついてきてくれる。


「こんなことをしても記憶には残らないの?」


 中庭で隣に座ってパンを食べながら聞くと、颯は呆れた様に溜息を吐いた。


「やっぱりそれ狙いか。その目で見た通り、それは無理だ」


 言い放つ颯の言葉は、さも当然のことだと伝えてくる。その態度に、俺は納得いかず勝手に拗ねた気持ちになっていた。


「……噂流したのって颯だろ」


 食べる手を止めて話す俺に、颯は何も言わない。


「人を近付かせないために噂を流して、怪我をしても誤魔化して、人に見付からないために山に行ったんだ。俺にもバレないようにして」

「……」

「そんなの、まるで死のうとしてるみたいだ」


 颯は自分の命どころか存在自体なくなっていいように扱う。それが、俺は怖いんだ。隣にいる人が、同室で過ごす人が、明日消えているかもしれないなんて。俺が一通り言いたいことを言い終えると、颯は食べ終えたパンの袋をくしゃりと潰して答える。


「別に死にたがっているわけじゃねぇよ。死んでも仕方ないと思っているだけだ」

「生きたいとは思ってないってこと?」


 颯の方を向くと意地悪に笑い返されるだけで、肯定も否定もしてくれなかった。


「にしても、まさかお前にそんなこと言われるなんて思ってもみなかった」


 明るい口調で話題を変えるが、横目にどこか責めるみたいな冷たい視線を向けてくるのに不思議に思っていると、また颯が口を開いた。


「だってお前、昨日より前に山に入ったことあるだろ、それも一人で」

「えっ何で知ってるの」


 反射的に出た疑問に、颯は俺の首から掛けた石がある場所を指差す。


「そいつは昔、親父、社の主が山に食われそうになった子供に渡したやつなんだよ。子供には特に脅かされている筈なのにそんなことするって、それこそ死にに行ってるだろ」


 食われそうという言葉にあの苦しい思い出が蘇る。社の主ってことは神様か。あの日、意識失う前に聞こえた声は神様だったんだ。


「違うよ。死にたいなんて思ったことはない。本当に死ぬと思ったのはあの時だけだし、これでも命を大事にしてるつもりなんだ。山に行った理由は、ただ神様に会ってみたかっただけだよ」


 山に行けば神様に攫われる。つまり、山には神様が住んでいて、行ったら会えるということ。そう思った俺は、親からの強い心配を見ずに人目を盗んでは山に入ったんだ。


「……発想可笑しいだろ」


 怪訝そうな表情を向けてくる颯に、俺は首の紐を手繰って石を取り出して掲げて見せる。


「でも、会えたってことでしょ。颯欲しがってたけど、これって結局どういう物なの?」


 どう見たってただの綺麗な石にしか見えないけれど、元は神様が持っていたものなんだ。神様に近い颯が欲しがっているなら、俺が持っているよりあげた方がいいんじゃないかと思い始めて颯に聞いてみた。


「主が俺から奪い封印して具現化したもの、俺の力の大本となる部分だ」


 その答えを聞いたときの俺の顔は、随分と間抜けたものだっただろう。

 一瞬理解が追い付かなかったけれど理解してからの行動は早く、首からその石を外し押し付けるみたく颯に渡そうとする。


「いきなり何だ!」

「これがあればあんな大怪我でも治せて抵抗する術にもなって、颯が生きれるんでしょ!」


 俺があげようとすると何故か颯はそれを押し返す。


「いらん!」

「何で!」


 傍から見れば押し付けあうようなやり取りは、昼を終わらせるチャイムの音で終わった。

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