第四幕

 風の音、頬を撫でる感触に自然と意識が浮上する。寝ぼけ眼で窓の方を確認すると確かに閉めた筈の窓が開かれ、カーテンが風に翻されていた。ベッドから飛ぶ勢いで下りる。


「いない」


 乱雑に放られた掛け布団は使用者の焦り具合を物語っていた。山木が寮を抜け出すのは別に初めてのことじゃない。でも、こんなに荒れている状態は初めてのことで、嫌な予感にじんわりと背に汗が滲む。

 力んだ手の中、納まる石が食い込む。


――また、この違和感だ。誤魔化されているような感覚。


 取り敢えず調べるため山木のベッドに手をかけると、感じたのは布団の柔らかな質感ではなく冷えた液体。


「……血だ」


 白いベッドが赤く染まっていて、ふと気が付けば床にもさっきまでは無かった血の跡が点々と垂れており、窓の方まで続いていた。自分の右手には触れた血がちゃんと付いていて、溢れている血の多さと新しさが漠然と理解できてしまう。


 直ぐに開きっぱなしの窓から辺りを見回した。山木の姿は見えなかったけど、血の跡が残っている。持っていた石を首に掛け靴を履いて、ベッドからシーツを剥ぎ取り、机の脚に結び付けて余った部分を窓から垂らす。幸いここは二階でそれ程高くない、ある程度下りたら跳んでも良さそうだ。考えたことはあるけれど、実践するのは初めてなため上手くいくかは分からないが、悩んでいる暇なんて無いと感じ垂らしたシーツを強く握る。


    △▼△


 感覚が遠のく。もうどこが痛いのか分からなくなってきた。腹を抑える右手の指の間から血が溢れて土や葉を赤く染めていく。


「身を隠そうと思ったのかもしれないけど、山に行ったのは間違いだったな。山は僕等の家だと、そう言ったのは兄さんだろ」


 前からよく知る声が聞こえ、俯いた顔を上げれば、長い白髪を靡かせて、白狐の尾と耳を生やした和服の男が立っていた。


「凪……」


 真面目でいつも社や主のことを誰よりも考えている弟の凪。凪は何故か苦しそうな顔で俺を見下ろし、拳を強く握り締めていた。


「今朝、僕からの奇襲に簡単に引っ掛かっていたし、随分と鈍っているみたいだな」


 言いながら、凪は懐から札を取り出しそれをこっちに向けてくる。その手も声も少し震えていた。こんな状況で、痛ましく可哀想だなんて想いが湧いてしまう。


「……僕はあんたを超えなきゃ、いけないんだ」


 凪はそう言い聞かすよう呟くと、今度は強い決意を宿した瞳で俺を見据える。その手は一切の震えを無くし、俺を標的にしているのがよく分かる。

 

 突然、後ろから誰かの隠す気の無い足音が真っ直ぐここに向かって走ってくるのが俺達に届いた。


「くっ」


 凪は悔し気に声を漏らして手を下げ颯爽とその場を去っていった。


「山木!」


 後ろから俺のとって付けた名前が叫ばれる。その方向を見ようとしたと同時に、全身の力が抜けてその場に崩れる様に倒れた。意識が薄れてくる。あいつはとどめを刺そうとしたんだろうけど、そんなの必要なかったみたいだ。だって、本当に“力”が無いのだから。

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