エピローグ 涙はようやく流される
目が覚めるとAは自分の部屋にいました。
見知った部屋、いつも通りの部屋。
時計を見るともう家を出る時間なのでAは急いで支度をして家を出ました。
その日も夜遅くまで工場で働きました。
クタクタに疲れたのですが、その脳裏にはいつもと違う何かが引っかかっていました。
それは昨日の夢のことだと確信しました。しかし、どんな夢を見たのかさっぱり思い出せません。
でも、何かとても大事なことだったような気がするのです。
仕事が終わり、オイルと炭に塗れ、疲れた顔で工場の外に出ました。
ふと、夜空を見上げると星々がAに語りかけてきました。
リトルスター、リトルスター、やっと私を見てくれた。私はずっとあなたを見てきた。
リトルスター、リトルスター、思い出して、あなたが誰なのかを。
その時、Aは自分がAではなく、名前を持っている一人の人間であり、決して木偶人形などではないことを思い出しました。
彼はその日、真っ直ぐに家に帰らず、夜の街を散歩しました。しんとした静かな街、アスファルトの冷えた匂い、草木の寝息を胸いっぱい吸い込み歩くと、自分の中で萎んでいた何かがハッキリと膨らんでいくことを感じました。
彼は気がつくと川辺にいました。ずいぶん歩いたみたいです。拳ほどの大きさの石が所狭しと並び、堤防に囲まれた小さな川の前に彼はいました。
川に反射した月を見ていると、それに触れたいと思い、彼は川に手を浸しました。
刺すような冷たさを手に感じましたが、決して居心地の悪いものではありませんでした。それはとてもフェアで美しい痛みでした。
彼は思いました。今、川に手を浸してみた。この川はきっと海に繋がっている。海の向こうには僕の知らない世界がある。
そこではきっと想像もできないような悪意が渦巻いているかもしれない、もしくは楽園のような世界があるかもしれない。何があるかは分からない、でも、それを見てみたいと彼は心の底から思いました。
この街を出ようと思う。嘘をついて生きるのは辞めよう。今の生活に僕はどうにも誇りが持てない。生きているだけの日々が辛くて仕方ない。そう、本当は深く傷ついていたのだ。これまでの人生に。脚本通り生きる日々に。
それでも、そんな日々が僕をこれまで生かしたのだ。ありがとう。好きになれなくてごめんよ。僕はここを出て行くよ。
ミスターキャタピラーは答えました。
生まれてきてくれてありがとう。本当は君を幸せにしたかった。嘘じゃない。でも、君を縛りつけ、傷つけてしまった。ごめんよ。なあ、正直に言うと少し寂しいし、心配だ。僕なしでやっていけるかい?
ああ、なんとか生きるよ。約束する。
彼の瞳から涙が溢れました。
そうか、僕は泣きたかったのだ。長い間迷子になっていた涙はようやくあるべき場所にたどり着けました。
彼は何かに祈りたくなりました。
何に祈ろうか。そうだ、殺されたオタマジャクシの女の子の為に祈ろう。
彼は涙を流れるままにし、深く目を瞑り、両手を胸の前で握りしめ、片膝をつき、彼女の為に祈りました。
世界中の人間があなたを忘れても、僕はあなたを忘れはしない。
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