4.蝶にはなれない芋虫
またAがしばらく森の中を歩いていると、スーツを着た豚が目の前を走ってました。
豚はAを見るや否や大慌てでこう言いました。
「どこに行ってたんだ?この木偶人形!早くミスターキャタピラーから脚本をもらってこい」
どうやら豚はAの事をデッサン人形と勘違いしているようです。
Aは不思議に思いました。と言うのも、木でできた人形と生身の人間である自分と見た目は全然違うからです。なぜ、勘違いされたのか皆目検討もつきません。
私は人形とは違います。とAが言う間も与えず、豚は続けてこう言いました。
「この道をまっすぐ行けばミスターキャタピラーの家だ。わかったらさっさと行け」
荒々しくそう言うと、豚は森の中に消えていきました。
呆気に取られていたAですが、渋々道を歩き、ミスターキャタピラーの元へと向かいました。
森を歩いて行くと、そこには小さな木製の家があり、煙突からはもうもうと煙が出ています。
Aは恐る恐る家のドアをノックしました。すると、「勝手にどうぞー」と言う間の抜けた声が聞こえたので、Aは中に入ることにしました。
部屋の中では一匹の大きな大きな芋虫がその沢山ある手でタイプライターを殴るように叩いて、何やら書いていました。
その目は充血しきっており、背は丸まっていて、とても疲れているように見えました。
「あー、君か、よく来てくれた。いやー、ずっと待っていた。どうぞ、かけてくれたまえ」
芋虫に言われるがままにAは近くの椅子に腰掛けました。
「この世界のあらゆる事象を何年も何年も決めてきたが、この世界はもう限界だ。非常に危ういバランスを保っている。君はクジラを見たかね?」
芋虫はAの事をチラリとも見ずに言いました。
「ええ、見ました。大きくて汚かったです」
「その通り、クジラはデカくて汚くて年老いていて、その上、海を支配している。つまり、最低だ。私は長年、彼に忖度をしてきたが、それも限界なのだ。彼のせいで海は穢れ、オタマジャクシは少しずつ死に絶え、トカゲは手足を切られる。誰かがクジラを殺さねばならない。それを暗黒の王も望んでいる。無論、大きな声では言わないがね。と言うのも、長年クジラは暗黒の王のパトロンだったからね」
「つまり、諸悪の根源はクジラにあると」
「少し違う。暗黒の王国が繁栄したのは彼の長年の功績の賜であり、世界が変わらなければ、彼もまた狂うこともなかっただろう。人形作りのあの男が世界を変えてしまったのだ。そのせいでクジラは英雄から単なるボトルネックに変わったのさ。つまり、今までの脚本では通用しなくなった」
「だから、あなたはそんなに大忙しで脚本を書いているのですか?」
「その通りである。新しい世界には新しい脚本が必要であり、また新しい脚本家が必要なのだ。私の跡を引き継いでくれるね」
「それは誰ですか」
「それは今は言えない。さて、君に重要な役目を与えるぞ。君に騎士の称号を授ける」
「騎士!?」
Aはあまり感情を表に出さないよう、無表情を装いましたが、しかし、心の底では感動して打ち震えていました。
彼は生まれた時から確固たる自己というものを確立することができず、自分と言う存在に自信が持てずにいました。いつも透明人間のようで、家でも学校でも会社でも自分の役割と言うものが見つけられずにいたのです。
しかし、ミスターキャタピラーに役割を与えられ、Aはとても誇らしい気持ちになりました。
「それで、騎士は何をすれば良いのですか?」
「それを決めるのは私ではなく、暗黒の王さ。さあ、勇敢なる騎士よ、やっと脚本が書き上がった。これを持って宮殿に行くがいい。宮殿は家を出て、森の熊三丁目を左と右に行って、瓦河原真原をまっすぐ行った後、胡麻団子流星群に乗って、三番目の駅で降りたらすぐだ」
ミスターキャタピラーはAに紙封筒を渡しました。どうやら、この中に脚本が入っているようです。
「いいかい、絶対に中を見ちゃだめだよ。小さな人形くん」
はい、と嬉しそうに返事をすると、勢いよくAは立ち上がりました。
家を出ようとした時、ふとAは振り返りミスターキャタピラーの方を見ました。
「最後にひとつ聞いてもいいですか?」
「もちろん」
「なぜ、あなたはお年を召しているのに幼虫の姿なんですか?」
すると、ふっとため息をミスターキャタピラーは吐きました。
「大人とは須く、大きな子供なのだよ」
それを聞いてから、Aは歩き出しました。自分のアイデンティティが確立された彼はとても気分が良く、軽い足取りで歩を進めるのでした。
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