3.トカゲの手足は切り落とさなくては

 森の中には土を固められた道があり、そこを歩いていると、やあやあと足元から声が聞こえてきました。

 見ると、小さなトカゲがニッコリと微笑みながらこちらを見ています。

「随分と大きな生き物だね、君は名前を何と言うのだい?」

トカゲにそう聞かれて言葉が出てきませんでした。と言うのも、自分が誰なのかAは咄嗟に思い出せなかったからです。



 おかしいぞ、一体何故だろう。すっかり、自分が何者なのか忘れてしまっている。いつ忘れたのか、この不思議な世界に来てからか、それともずっと前から忘れているのか、皆目検討がつきませんし、それはどうでもいいことの様にも思えました。

「忘れちゃったな。ここに来たばかりで身体が馴染んでいないのかも」

Aがそう言うとトカゲはククッと笑い、忘れん坊なのだなと呑気そうに言いました。

 「私のお話を少し聞いておくれよ」

トカゲは少し興奮気味に鼻息荒くそう言いました。

 「僕は隣の山の学校にイモリとヤモリと一緒に通ってたんだけど、卒業を機にクジラのところで働こうと思っているんだ。みんなやめとけって言ってたけど、どうせ働くなら大きな人と一緒に働きたいじゃないか。君もそうは思わないかい」

 「誰と働くかよりも、何をしたいかが重要だと思うけれども」

Aがやんわりとトカゲに対してそう言っても、トカゲはそうかそうかと言っただけで全く話を聞いていません。

 「イモリもヤモリもとてもいい奴なんだ。君に会わせてあげたいよ。そうだ、イモリの故郷はこの辺なんだよ。確か、オタマジャクシの湖の隣と言っていた気がする。もう、そこは見たかい?」

「どうだろう、オタマジャクシは皆殺しにしてしまったし、よくわからないな」

「え、オタマジャクシを殺してしまったの?」

「気がついた時には全員潰して殺しちゃったよ」

「おいおい、俺のことは殺さないでくれよ」

そう言って、トカゲは笑ってまたお話をするのでした。

「学校は楽しかったな。あんた学校には行ったことあるかい?」

「遠い昔に行っていた気がするよ」

「あそこはいいところだよな。何しても怒られないんだ。数学の亀先生が教壇に立って言うんだ『いちた〜すいちは〜〜』でも誰も聞いちゃいない、俺達はみんな死にそうになったら尻尾が切れるかどうかの話で夢中だったからね」

 「随分と楽しかったんだね、学校を卒業して寂しいんじゃない?」

「たしかに寂しいさ、でも、今から俺は働き始めるんだ。新しい生活が待ってる。ワクワクするよ」

Aはトカゲの事を好きになりかけていました。

 と言うのも、トカゲはとても明るいし、なによりも希望に満ち溢れている。この狂った世界において、それは何よりも重要な事ではないでしょうか。

 ただ、その分、きっと労働と社会によって彼の純粋さが必ず失われるであろうことはAをどうしようもなく虚しくさせました。

二人が森の中を歩いていると、遠くからえっさほっさと言う掛け声が聞こえてきました。

 見ると、木で出来たデッサン人形達が隊列を組み走ってくるではありませんか。彼らは二人の前で立ち止まると、高らかに言いました。

「貴公はトカゲであられられられるか?」

その声の音程も調子もとても狂っていて、Aは思わず耳を塞ぎたくなるほどでした。

 「はい、そうですが・・・」

不安そうにトカゲは答えました。

「貴公はクジラの元での労働を希望とのことだが、その際は手足を切り落として蛇となる必要がある」

人形はまた狂った調子でそう言いました。すると、トカゲはふるふると震え「そんなの聞いていません」とか細い声で言いました。

「知らない方が悪い。この世であるがままの姿で生きようなどとは傲慢そのものである」



 言うや否や、人形達はがっちりとトカゲの両手足を押さえ込むと、せーのの掛け声で力いっぱい引っ張り始めました。痛い痛いとトカゲは叫びましたが一向にやめてくれる気配はありません。

「トカゲは尻尾を自分で切るのだろう。手足も同じように切ることが出来るはずだ。何、その痛みにもすぐ慣れる」

人形は興味なさそうに冷たくそう言います。しばらく引っ張られた末に、ぶちりぶちりとトカゲの手足は引きちぎれ、断面から血がたらたらと流れ出しました。確かに手足がないトカゲは蛇にそっくりでした。

「よし、貴公は今から蛇である。トカゲではなく、蛇と名乗るが良い」

人形は満足げにそう言うと、また隊列を組んで、来た道を戻って行くのでありました。

 蛇はぐすんぐすんと泣きながら、身を捩り、海の方へと這っていきました。

 かわいそうな蛇。でも、仕方ありませんね。あるがままの自分が世界に受け入れられるとは限りませんもの。


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