2.オタマジャクシは殺される
Aが目を覚ますと、そこは川辺でした。どうやらAは海を漂ったあと、川まで流され、ゴツゴツとした拳ほどの石が所狭しと並ぶ浅瀬に打ち上げられていたようです。
起き上がり、左右を見るとそこは木々が生い茂る森の中でした。
困ったことになった。豚を追いかけていたら、こんな所に迷い込んでしまうとは。とても不条理でナンセンスだ。Aはため息をつきました。しかし、この世は常に不条理でナンセンスと彼は知っていた為、必要以上に落胆する事もありませんでした。
そもそも期待するから落胆するのです。最初からこの世界が最低だと知っていたならば落胆などしよう筈もありません。
もちろん、Aはこの世が最低だと理解していました。
Aは小説や音楽を心の底から楽しみ、草や花の名前を覚えて歩くのが大好きな少年でした。この世界は希望に満ち溢れていると信じて疑いませんでした。
しかし、成長するにつれて、彼の豊かな感性は、人を好んで傷つける者達により、踏み躙られ、凌辱されてしまいました。
そうして彼は世界に裏切られ、深く誰かを信用することはなくなり、立派な大人になる事ができました。
彼は小さな工場で働いています。彼は何かを感じる事もありません。何かに興味を持つ事もありません。貝の様に固く心を閉ざしています。それは電球の切れた小さな部屋の中で顔を伏せて座っているようなものです。
それが正解なのです。未来はどう足掻こうと絶望的なのですから。
Aはとりあえず、森に向かって歩こうと立ち上がり、歩を進めました。
すると、数歩も歩かない内に奇妙な声が足元から聞こえてくるのに気が付きました。
見ると、石が円形に並んでおり、その中には川の水が流れ込み、小さな小さな湖を作っていました。
そして、その小さな湖の中にはオタマジャクシ達が泳いでいたのです。
オタマジャクシ達はみんな元気いっぱいに泳いでいて、とても楽しそうでした。
彼らは声を合わせて歌います。
オタマジャクシの歌「未来は最高」
"チョパンチョピンチョパン
チョパンチョピンチョパン
みーんな集まる不思議な王国
僕らは立派な大人になろうね
僕は総理で
あたしはお嫁さん
あらあらみんな楽しそう
チョパンチョピンチョパン
チョパンチョピンチョパン
みーんな楽しい不思議な王国
だけど変だよ最近子らが
一人一人と消えていく
だけどここはみーんな幸せ
チョパンチョピンチョパン
チョパンチョピンチョパン"
その明るい歌声とは裏腹、その歌には悲しみがこもっている事にAは気がつきました。子供と言うものはもしかすると大人が思うよりもずっと賢いのかも知れません。
Aはオタマジャクシの子供達から目が離せなくなってしまいました。身を屈めて、じっと彼らを観察していると、全員個性があって一人として同じ個体がいないものだなと思いました。
皆、一様に楽しそうで、無邪気に泳ぎまわっています。あるものは歌い、あるものは空を見上げて雲の流れを見つめ、あるものは若い詩人の様に水草を愛でているのでした。
しばらく見ていると、オタマジャクシの女の子を数人のオタマジャクシ達が取り囲んでいるのを見つけました。
囲んでいる数人のオタマジャクシは何やら口汚く女の子を罵っていました。
その声は高く、とても捻れていてよくは聞こえなかったので、耳を澄ませました。
すると、女の子に対して、オタマジャクシ達が「このアバズレ」や「オナニーしてるところ見せてみろ」や「死んでみてよ。ほら目の前で」など酷い言葉を投げかけている事に気がつきました。
女の子は顔を引き攣らせて笑っていました。もう、どんな顔をしていいのか分からないのでしょう。その顔は口元だけが笑っており、目は死んでいるのでとても不気味でした。
しばらく見ていると、一匹のオタマジャクシが女の子の上に飛び乗り、腰を強く彼女に打ちつけ始めました。
周りのオタマジャクシはそれを見て笑っていました。すると、女の子は、やめて、やめて、と言って泣き出してしまいましたが、誰も止める様子はありません。
それどころか周りのオタマジャクシ達は『やめてやめて』と彼女の言った事を高い音程で繰り返してバカにします。
すると、何を思ったのか、オタマジャクシの一匹が彼女の尾ひれに噛みつきました。それが合図だったかの様に、さっきまで周りで囃し立てていたオタマジャクシ達が一斉に彼女に噛みつき始め、ぼりぼりと食べてしまい、後には何も残りませんでした。
「あー、楽しかった。あの子の名前なんだったっけ」
一匹のオタマジャクシが言いましたが、他のオタマジャクシ達は一匹として彼女の名前を思い出せませんでした。
まあ、どうでもいいかー、もう少し遊んでから帰ろうよ。
そう言って、キャッキャとオタマジャクシ達は追いかけっこをして遊び始めました。
きっと、彼らは自分が誰かを傷つけて殺したなどと言う自覚は一切ないのでしょう。事実、彼らはすっかり女の子の事は忘れてしまった様で、楽しそうに追いかけっこをしています。
彼らはどんなオタマジャクシよりも立派に成長して、大きくて強いカエルになる事でしょう。そして、自分に子供が産まれたとき、「いいかい、イジメなんてひどいことは絶対しちゃダメよ」なんて、平気な顔で言うのでしょう。
この世はそう言った心を慮る事が出来ない人間が得をする様に出来ているのです。
Aは近くを見回して、手頃な石を見つけました。片手で持つには大きすぎますが、両手では楽に持てる程度の大きさの石です。
それを持ち上げると、無造作に小さな湖に叩きつけました。
バシャリと水が飛沫を上げて、中のオタマジャクシの殆どは潰れて、内臓を口や肛門からぶりぶりとひり出して死んでしまいました。
数匹のオタマジャクシは飛沫と共に湖の外に放り出され、石の上でパシャパシャと跳ねていたりしました。Aはそう言った石の上で跳ねるオタマジャクシを丁寧に足の裏で踏み潰していきました。
全てが終わると、Aは小さな湖を見て、一匹残らず殺せたか確認してから、森に歩き出しました。
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