第4話『コインランドリー』
翌日もまた翌日も公園には千秋がいた。そして俺たちは色々なところに行った。もちろん徒歩で行ける範囲で。
彼女との散歩は俺に高校時代を思い出させた。
自分がどんな風な気持ちでどんな風な表情で生きていいのか全く分からなかった。取り敢えずいつも笑顔でいる事を心がけた。そして、出来る限り他人に害と刺激を与えないように気をつけた。空気と同化しようと努めた。
俺はクラスで存在しない人間になった。
ある時、理科準備室の窓が外から簡単に外せることに気がついた。なんでそんな馬鹿みたいな事に気がついたのかは今となっては全く思い出せない。とにかく俺は夜になり、家人が全員寝静まると家を出て高校の中に忍び込んだ。そして、暗闇の中、自分の教室の真ん中に立ち、ただ黒板を眺めた。
不思議だった。その時だけ、俺は教室に存在していた。その瞬間だけ、俺は何者からも自由になれた気がした。でも、これはもしかして死んでいるのと同じなのかも知れないとも思った。
結局俺の秘密の夜間学校は大人達に気付かれることはなく、高校を卒業した。
なんてことはない。大人なんて結局子供の事をちゃんと見ていないのだ。だから気づかれようがない。
そして、大学生になり、陽気なキャラクターと言う仮面をなんとか作り上げ、俺はそれなりに楽しいが中身のない学生生活を謳歌した。
彼女といると当時感じていた苦い感情がほんの少し蘇ってくる。それはまるで、あの暗い教室から十六歳の俺が二十七歳の俺を見つめているような感覚だった。
俺は十六歳の俺に言う。
勘弁してくれよ。俺なりに頑張って生きたけど、どうにもならなかったんだ。
☆
ある日、俺と千秋はいつものように夜道を歩いていた。
「おじさんはなんで仕事辞めたの?」
千秋が聞いてきた。
「千秋はなんで学校に行ってないの?」
「言いたくない」
「わかる。俺も言いたくない」
「じゃあ、代わりに聞くね。おじさんは千秋くらいの歳の頃、どんな高校生だったの?」
俺よりも背が頭ひとつ小さい彼女が覗き込むように見つめてきた。黒く大きな瞳が真っ直ぐに俺を見据える。俺はなんだか居心地が悪かった。その目には俺が生きる上で失ってきたものが写っていた。俺は彼女から視線を逸らして答えた。
「普通の高校生だったよ。普通に勉強して、普通に少し悪いこともして・・・」
「えー!?悪いことってなになに?」
「夜に学校に忍び込んでた」
「めっちゃ悪じゃん」
千秋はそう言ってケラケラと笑った。
「でも、なんにもしない、ただボーッとしてたな」
「なにそれ、多分その時のおじさんを見た人はビックリするだろうね。あ、教室に幽霊がいる!!!って」
彼女はコロコロと笑った。まったくその通りだった。
俺たちはそんな会話をしながら歩く。
時刻は午前二時。まったく、俺も千秋も飽きないもんだ。毎日毎日歩き回っている。でも、歩けば歩くほど発見があり夜の散歩は楽しかった。昼には決して見せてくれない顔を夜は見せてくれる。
猫の集会、路地裏の変な店、眠っている番犬、最近できた喫茶店、人が誰もいないスーパー、涼しい風が吹く公園。
ただそれらをぼんやりと見るだけで飽きなかった。
俺たちが少し歩き疲れた頃、タイミングよく二十四時間空いているコインランドリーがあったので中に入った。
誰もいないコインランドリー。冷房の音しかしない。
「誰もいないね」
千秋が呟く。その声はすぐに静寂に吸い込まれてしまった。
「誰もいないな」
俺はそう言うと近くにあった週刊漫画雑誌に手を伸ばしてペラペラとめくった。
「千秋、これ読んだことある?」
俺は千秋に週刊誌を見せた。
「読んだことない」
千秋は首を振った。
「懐かしいな、俺が学生の頃はさ、毎週これがすっごく楽しみだったんだ」
「ふーん・・・子供っぽいのね」
「子供だったからな」
俺は少し雑誌を読んだ。知っている連載漫画はなかったが、それでも久しぶりに手に取る漫画雑誌は俺の心をときめかせた。隣で千秋は漫画を覗き込み、たまにふむふむと頷いた。
☆
「私、コインランドリー結構好きかも」
千秋は長椅子に寝っ転がって言った。
「なんで?」
「だって、二十四時間空いてて夜は殆んど誰も来ないじゃん。素敵よ」
「ずっといたら暇で死にそうになりそうだけどな」
「二人でいようよ、それなら退屈じゃないでしょ」
千秋はそう言うとゆっくりと目を閉じ、その隣で俺はじっくりと漫画を読んだ。
午前三時にはコインランドリーを出た。
「さぁ、帰りましょ」
千秋はスキップして夜の町を跳ねる。
俺はその後ろ姿を見つめながら睡魔に襲われていた。この子はこんな夜更けに元気だな、俺も歳だな。昔は夜更かしなんて腐るほどしていたのに。
少し歩いた路地で千秋に別れを告げて家に帰った。
部屋に戻るとシャワーを浴びた。さて、寝ようかと布団に入る前に俺はベランダに出た。
外は鳥のさえずる声が聞こえ、空は白み、太陽は間違いなく町に朝を運ぼうとしていた。
俺は朝の空気を腹一杯に吸い込んだ。
千秋は眠っただろうか?それとも起きて俺と同じように夜の終わりを眺めているだろうか。
そんなことを考えていたが、下らなくなってやめた。
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