第3話『結局、その夜は』

 結局、その夜はタバコを一本吸って解散となった。彼女は手を振り、ふらりと消えていった。なんだ、十六歳だったのか、ガキじゃねえか。と俺は少しがっくりときた。



 これが二十代の女性となればいくらでもやりようはあるが未成年ならば手の出しようがない。

 しかし、美人な女の子だったな。

 俺は翌日もその公園にふらりと夜歩きに行った。そしたら、その女の子はベンチに座ってボケッとしていた。

 彼女は黒い半袖のシャツに短いパンツとビーチサンダルと言うラフな格好だった。

 彼女は俺の姿を見るや、よっと手を挙げた。



「今日もいるのか」

「おじさんこそ、今日も来たんだね」

 おじさん、このガキ、俺のことをおじさんと呼ばなかったか?

「おい、おじさんって俺二十七だぞ」

「アラサーでしょ?十分おじさんだよ」

 彼女は屈託のない笑顔でコロコロと笑った。

 俺は彼女の隣に座り、タバコに火をつけた。彼女が指でVサインを作ってこっちに差し出してきた。

「タバコちょうだい」

 俺はその手をパシンと叩いた。

「毎回はやらん。高いんだぞ、自分で買え」

「十六だからまだ買えないんだもん」

「ならまだ吸うな」



 俺たちはぼんやりと目の前の砂場を見るともなく見た。なんで夜中に公園にいるのか?と聞こうかと思ったが、聞かないでおこう。その質問を俺がされたら嫌だから。嫌なことは人にはしない。学校うんぬんについても聞かないでおこう。もしも俺が高校生で夜中の公園にいたとして、そんな警察官みたいなこと聞かれたら嫌だからな。それに俺はこの女の子に対してなんの責任もないのだ。親でもなければ兄貴でもない。余計なお節介を焼く必要はこれっぽっちもない。

「腹減ったな」

 俺はポツリと呟いた。

「夜中ってお腹すくよね」

 彼女は気持ちの入っていない抑揚のない声で言った。

「コンビニ行ってアイスでも買おうと思うんだけど、なんか買ってやろうか?」

「マジ!?」

 彼女はそう言うとパッと明るい笑顔を見せてくれた。コンビニ程度でこんなに喜んでくれるなんて可愛いもんだな。本当に野良猫みたいだ。

 俺たちはコンビニでアイスを買った。俺はモナカアイス。彼女はパピコ。

「パピコを半分こせずに一人で食べると贅沢な気分になるよね」

「俺はハーゲンダッツ食ってる時のが贅沢な気分になれる」

 コンビニの外で並んでアイスを食べる。なんだか、俺は学生時代に戻った気分になった。昔はよくこうしてコンビニの前にたむろしてタバコ吸ったり、カップ麺を食べたりしたものだった。あの時、俺は自由だったように思う。周りには仲間がたくさんいたし、暇を持て余すことなんてなかった。でも、今思い返せばいつも心のどこかで孤独を感じていた。

 きっと、仲間だと思っていた奴らは蜃気楼みたいなもので、俺が学生と言う仮面を被っている時だけに現れてくれた存在なのだ。事実、卒業後彼らとはもう二度と会わなかった。



「ねぇ、おじさん。おじさんは名前なんて言うの?」

 彼女はニコリともせずにパピコにしゃぶりつきながらそう言った。

「山中涼。現在失職中の二十七歳だ」

「ニート?」

「俺は就労を希望しているので厳密にはニートではない」

「変なの」

 彼女は興味なさそうに呟いた。

「そっちの名前は?」

「私は千秋。高校二年生。休学中よ」

「ニート予備軍か」

「違うよ。馬鹿にしないで」

「変なの」

 俺もつとめて興味なさそうにつぶやいた。

 アイスを食べてしまうと、夜の街を歩き出した。どこへ行くかとかはどちらも言わず、ただ、歩くために歩き出したのだ。



「さっき食べたアイスのカロリーが180キロカロリーだったから、その分消費するには一時間くらいは歩かないとな」

「え、そんなこと気にしてるの?おじさん意外と細かいんだね」

「お前みたいなガキと違って年取ると基礎代謝が落ちて太りやすくなるんだよ」

「見た感じ、そんなに太ってないけどね」

「脱いだら腹出てるぞ」

 千秋はコロコロと笑った。よく笑うんだなと俺は思った。忘れていたが、これくらいの年頃の女の子はよく笑うものなのか。

 適当に歩いていたら河原に出た。俺たちは堤防を降りて河辺まで歩く。

「水切りしよ」

 千秋はそう言うと辺りを歩き回り手頃な石を探し始めた。俺も地面に転がる石を手に取って平なものを探した。

 月の明かりのおかげで石は探しやすかった。石を見繕って川に向かって思い切り投げた。石は水を切ることなくドボンと水底に沈んでいった。

 千秋も石を投げる。彼女が投げた石も水を切ることなくドボンと川の底に沈んでいった。それを見てクスクスと千秋は笑った。

「二人とも全然だめじゃん」

 俺たちは川辺に座って水の流れを見つめた。

「不思議だよね」

 千秋が言った。

「何が?」

「この水は海に行くわけでしょ?なら、この川は世界中と繋がっているんだよね。例えば私が川に手を突っ込んだ時、その手は間接的にアメリカのビーチに触れてるってことになったりするんだよ。だから私とアメリカのビーチの人は一瞬繋がっているけど、二人ともそのことを知らないの。これってすごいことよ」

「まぁ、たしかに」

「不思議じゃない?」

「たしかに」

 俺たちはひたすら川を眺め続けた。


 


 ☆  



 その日は午前三時ごろに彼女と別れた。バイバイおじさん。彼女はそう言った。その後ろ姿を俺は見つめた。

 なんとも言えない気持ちだった。久しぶりに高校生と話した。久しぶりに女と話した。自分にも確かに彼女と同じくらいの歳の頃があって、いろんなことに笑ったり、怒ったりしていた。そして、その感情の置き場が分からず、ひたすら途方に暮れていた。でも、今はそんな風に感情が波立つことはあまりない。これは成長なのだろうか。それとも退化なのだろうか。

 俺は彼女とまた会えればいいな、そして、彼女もまた同じように思ってくれていたらいいなと思った。  

 翌日、コンビニで酒とつまみを買って公園に行けば千秋がいた。千秋はタバコを優雅に吸っていた。



「あ、おじさん」

 俺を見ると、彼女は嬉しそうに手を振ってくれた。

「あんまり吸い過ぎるなよ。身体に悪い」

 俺はそう言うと、タバコに火をつけて煙をプカプカと吐き出した。

「あ、ビール持ってる一口ちょうだい」

「嫌だよ」

「なんで?」

「代わりにジュース買ってやるよ」

 俺はそう言うと公園の中にある自販機まで千秋と歩いて行った。金を入れてやると千秋はトマトジュースを選んだ。

「健康的だな」

「リコピンは身体にいいからね」

 そして、俺たちはお互いビール缶とトマトジュースを片手に夜の街を散歩し始めた。

「おじさん知ってる?」

「なにを?」

「恋リア」

「なにそれ?」

「マジで知らないの?超人気だよ?」

「知らないよ」

「恋愛リアリティショーって言ってね、ネット番組。超人気なんだよ」

 千秋はその番組について説明してくれた。読者モデルの高校生の男女六人が旅をしながらカップルを作っていく話だそうだ。俺は学校に行きながらよく旅に行けるもんだなと感心した。

「面白そうだな」

「おじさん暇でしょ?よかったら見てよ」

「考えとくよ。」

 俺たちは国道の大きな道に出た。深夜にもかかわらず、道は大型トラックが行き交っている。

「すごいね、この運転手の人達ってみんな仕事してるんだよね?」

「すごいなぁ」

「私たちがボーッと散歩してても世界はちゃんと回ってるんだね」

「その通り、俺たち二人が欠けたところで世界に影響は出ない」

 道の向かいにファーストフード店が見えた。二十四時間営業のハンバーガー屋だ。

「ハンバーガー食おうぜ」

 俺は千秋にそう言うと千秋は嬉しそうに笑った。

 


 ☆



 ハンバーガー屋で俺はビッグバーガーとコーヒーを千秋はチーズバーガーとコーラとポテトを注文した。千秋の分も払ってやろうと金を出したら千秋はそのお金をひっつかんで俺に押し返した。

「私、ハンバーガーくらい自分で払うからいいよ」

「ハンバーガーくらい奢ってやるよ」

「自分の分は自分で払いたいの」

「酒とタバコはちょうだい言ってきたのに妙なところでしっかりしてるのな」

「お酒とタバコは私じゃ手に入れれないでしょ?そう言うのはたかってもいいって自分の中で決めてるの」

「今日タバコ持ってたじゃん」

「あれはお父さんが置いていったのを少しパクっただけ」

 なんだかよく分からないが、彼女の中にはルールがあって、ハンバーガーを奢られるのはルール違反みたいだった。

 俺たちは窓際の席に座ってハンバーガーを貪り食った。

「この時間に食べるものってなんでも美味しく感じるよね」

 千秋がしみじみと言った。全面的に同意した。

 ハンバーガーを頬張る千秋の顔をしげしげと見つめた。

 白い肌、大きな瞳は少しだけ切れ長でそれが余計に大人っぽく彼女を見せていた。きっと同じクラスの男子生徒の何人かは彼女の美貌に魅了され眠れぬ夜を過ごしていることだろう。少なくとも俺が高校生の時彼女のような容姿を持ったクラスメイトがいたならば間違いなく恋に落ちていただろう。



 しかし、ハンバーガーをガブガブと頬張る彼女の姿はどこからどう見ても十六歳だった。

 全く、なんの因果で俺は十六歳の女の子と夜のファーストフード店でハンバーガーなんて食っているんだろう。

 普通なら『早くお帰り、家の人が心配しているよ』とでも言うべきなのだ。

 しかし、俺はそんな事言うつもりもないし、言う資格もない。

 何故ならば、十六歳の女の子が夜中に出歩くことなど普通の家庭が許すはずがない。親の制止を振り切って夜遊びをする非行少女というわけでもなさそうだ。彼女は堂々と夜中に出歩いているところを見ると何か事情があるのだろう。そして、そこを詮索する必要もなかろう。なんといっても俺はこの子と一切関係のないただの無職のアラサー男だからだ。

 彼女が俺について夜道を歩きたいのならばそうすれば良い。俺はそれを止めるつもりもない。

「じっと見られると食べにくいんですけど」

「よく食うな、太るぞ」

「おじさんと違って私は若くて基礎代謝が高いからちょっと食べても太らないよ」

 千秋はにっと笑った。口の端からパン屑が溢れた。それを見て俺も笑った。


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