第2話『深夜徘徊』

 深夜徘徊は楽しかった。まず、誰とも会わないのが良かった。俺は人が嫌いだった。勘違いして欲しくないのだが、俺はもともと人のことはそんなに嫌いじゃなかったのだ。むしろ人に好かれようと努力した。それでも人は俺を嫌った。そして俺も人のことが嫌いになった。それだけの話だ。



 それと夜中の空気は昼間より少しひんやりしていて気持ちが良かった。ここ数ヶ月一日中部屋の中にいたのだから余計に気持ちよく感じた。夜中歩いているとまるでこの世が自分のものになったような気がした。昼間の世界に俺の居場所はない。しかし、夜の世界には俺の居場所はあった。夜は人がいないがためか世界の住人の席に空きが出るのだ。



 俺は日によって行く場所を変えた。今日はあの公園に行くか。よし、次はあの川のほとりを散歩するか。と言った具合だ。

 この町に越してきてもう五年になるのに、深夜徘徊をするたびに新しい発見がある。こんなところにこんな店があったのか、なんだこのデカイ家は、猫の集会はこんなところで開かれているのか、などなど・・・



 深夜徘徊のおかげで腹の肉が幾分かスッキリとした。あと、日々俺を苦しめていた気怠さがなくなった。毎日〇時に部屋を出て四時になったら帰る生活を始めた。最初の数日は足が痛くて仕方なかったがそれにも慣れた。

 大体の場合コンビニでビールとタバコとつまみを買ってから深夜徘徊に出かけた。

 歩きながら吸うタバコ、歩きながら飲むビールは格別だった。

 ある日のこと、俺はいつものように、公園のベンチに座り、コンビニで買った酒をグビグビと飲んでいた。




 空を見上げると月が綺麗だった。うん?と俺は気づく。ジャングルジムの上に黒い影がいるのだ。俺は最初、これは見てはいけない心霊的なものを見てしまったなこりゃ・・・とゾッとした。緊張で身構える。心音が一気に大きくなって周りに聞こえるのではないかと思ったほどだ。数秒の後、心音は少しずつ平常時の音色に戻っていき、それと比例して冷静さも戻ってきた。その影は人だった。黒く長い髪を垂らし、黒い服を着込んでいた。黒い姿は闇と同化していたものだから、その人がいることに月を見上げるまで気づかなかった。髪の長さから言って女性だろう。彼女も月を見上げていた。

 それは幽霊にしてはあんまりにもハッキリとした輪郭を持ち合わせていたから、人だと分かって少しほっとした。しかし、すぐさま違う恐怖が頭をよぎった。

 こんな夜更けに女がジャングルジムの上で何をやっているのだ。頭がおかしい奴かもしれない。もしも刃物でも持っていたら刺されるかも。霊よりも生きた人間の方が場合によっちゃあ怖いぞ。



 俺は恐る恐る公園を後にしようと立ち上がった。決して物音を立てず、女がこちらを向かないようにこっそりと。

 しかし、立ち上がった瞬間、女はこちらを振り返った。女は真っ白な肌をしていた。大きな目がこちらを見据えた。その女の細かな造詣は遠いのでよくわからなかったが、それでも、大きな瞳は象徴的な美しさを称え、綺麗に通った鼻筋はチャーミングだった。要するに恐ろしく美しい女だった。俺は思わず目を奪われた。

 女も驚いているみたいだった。女はしばらく俺を見つめた後、また顔を月に戻した。



 なんだか俺は落ち着かない気分になって足早に公園を後にした。

 あの女はなんだったのだろうか?俺は家に帰り、朝日が差し込む部屋の万年床の中でぼんやりと考えた。

 あれは俺が作り出した幻想だったのか・・・しかし、美人だったな。また会えたらいいな。なんてぼんやりと考えた。

 俺はあの女のことを考えると胸が少しだけ締め付けられた。なんだか久しぶりの感情だった。こんな風に誰かを思うのは中学生以来だ。おそらく女日照りが長いこと続いたから少し女を見ただけで欲情してしまったのだろう。なんて不埒な男なのだろうか俺は。

 


 ☆


  

 世界というのはぴーっと線が引かれている。目に見えるヤツで言えば国境。目に見えないヤツで言えば差別とか。

 そして俺はその目に見えない線の外側に弾き出されてしまった。俺だって何も好き好んで仕事をやめたわけじゃない。ならば何故仕事をやめたのか?と問われれば、カミュ風に『太陽がまぶしかったから』としか言いようがないのである。  

 起きたら夕方だった。俺は菓子パンを貪り食い、ゲームをした。

 コントローラーを持ち、テレビ画面を凝視する。ゲームは好きだった。何も考えなくて良かったから。とにかく出てくる敵を打ち、切り、殴り、投げ飛ばした。

 ゲームをしながらあの女のことを考えていた。あの白い女。また会いたいな。なんであそこにいたんだろう。もしも、次に会ったら聞いてみるか。なんでこんなところにいるんですか?って。今、俺はとてつもなく非日常を求めているのだ。例え、あの女が異常者だって構いやしない。このループを終わらせてくれる存在ならなんだっていい。



 なんだか楽しくなってきたぞ。こんな風に楽しくなってきたのは久しぶりのことだった。よし、今夜も昨日と同じ公園に行こう。俺は心にそう誓った。 

 かくして、俺はまた0時に家を出た。プラプラと夜の住宅街を歩きながらタバコを吸う。

 冷たい夜の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

 歩く足取りが自然と軽くなっていく。いやー、あの女いるかなぁ・・・いるのなら声かけるか?いや、やっぱりやめておけ、確かに綺麗だったが、妙なトラブルに巻き込まれちゃ最悪だ。確かに非日常は魅力的だが、好奇心は猫をも殺すと言うだろう。まずは様子を見て、しかるべき時に声をかけるのである。

 俺はひとりブツブツと呟きながら夜の公園へと向かった。

 公園には誰もおらず、俺は少しがっかりした。まぁ、こんなもんよ。そして昨日声をかけなかったことを悔やんだ。こうして俺の非日常への扉は閉ざされたのであった。



 ポツネンと俺はひとり公園のベンチに座り込んだ。

 頭の中を空っぽにしてタバコの煙を吸い込む。こうしているとまるで世界と溶け合っていくような感覚に陥り気持ちが良かった。

 ふーっと俺は小さく長く息を吐いた。

「ちょっと何やってるの?」

 声が聞こえ、ギョッとした。顔を上げればおじさんが訝しげに俺のことを見ていた。

「あ、いえ、その、あの、よ、夜の散歩を」

 おじさんは上から下まで俺のことを舐め回すように見てきた。なんだ、このおっさんは。

「別にいいけどね、最近、ここら辺も物騒だからね、少し気をつけてね」

 おじさんは胡散臭そうに俺のことをじろじろと見つめた後プイと背を向け歩き出した。

 一体あのおじさんはなんだったのか・・・俺は呆然とした。最近噂の正義感が暴走しかかっている人間だろうか。彼らは自警団にでもなったつもりなのかもしれないが、俺からしたら自分の普通を相手に押し付ける迷惑な奴らである。

 気をつけてねって・・・お前も夜中に出歩いてるだろ・・・なんだったのか・・・

 俺がそんなことを悶々と考えていると公園の外で話し声が聞こえてきた。なにやら揉めているようだった。声の主の一人はさっきのおじさんでもう一人はどうやら女らしかった。

 俺はよせばいいのに何故か無性に気になって見に行くことにした。ニートをやっていると刺激に飢えるものなのだな・・・と俺はしみじみと思った。



 ひょっこり顔を出して見てみれば、公園の前の道でおっさんが女と揉めている。

「子供がこんな時間に危ないだろ?家どこ?」

「めんどくさいんだけど・・・もぉ・・・」

 女は困り果てたように顔をしかめる。するとおっさんは余計に語気を荒げて責め立てた。

 いやー、まいったな、変なおっさんだな。夜中にわざわざ出歩いて、会う人全員に難癖つけてるのか。

 女の顔をよく見れば美しく整った顔立ちの中に微かな幼さが残っている。満開前の蕾のような可能性に満ちた若さがその身体いっぱいに満ち溢れていた。

 彼女と目が合う。

「あ、お兄ちゃん!!!」

 彼女はそう言うと俺の方にかけてきた。

「あたし、お兄ちゃんのこと追いかけて公園まで来たの。コンビニ行くって言ってたけど、帰りが遅くて心配になってね。だからね、ほら、危なくないでしょ?おじさん」

 女はそう言うとひしっと俺の腕に手を絡ませてしなだれてきた。甘い匂いがして俺はクラクラしそうになった。

 おっさんは俺と彼女を見比べて、ふんと鼻を鳴らすとぶつくさと何やらつぶやきながら歩いて行った。

「助かった。ありがとう」

 彼女はそう言うと、パッと俺から手を離した。

「変なおっさんだな」

「あの人少しかわいそうなの。頭がね、おかしくて、ああやって夜中に徘徊しては手当たり次第に文句言うのよ。何度か私会ってるけど、毎回ああやって文句言われるんだ」

「ふーん・・・病気だな」

「ね、本人は町の治安を守っているつもりなんだろうけど、自分が一番やばい奴になってるよね」

 俺はタバコに火をつけてプカリと煙を吐いた。

「あたしにも一本ちょうだい」

「・・・君、何歳?」

「十六」

 彼女にタバコを一本渡してやった。そして彼女が咥えたタバコに火をつけてやり、二人でタバコをプカプカと吸った。

 おそらくこのガキは昨日会った女だろう。

 好奇心は猫をも殺すが、俺は好奇心のせいでこんな野良猫みたいな女の子と出会う事になってしまった。

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