#3 - 第5話

「私を外すんですか?」

 大場の怒気を含んだ声に、刑事局 捜査一課 二係 執務室執務室の雰囲気が張り詰めた。

 小野塚は困ったように眉根を寄せる。

「何も意地悪で言ってるんじゃない」

「納得できません。理由を教えてください」

 大場の謹慎が明け、久々に二係全員が揃ったと思ったらこの言い争いだ。

 眼鏡で小太りの男、田所啓太は向かいの席に座る保立へ囁いた。

「……一体、何があったんですか?」

「あとで話してやる」

 保立は、二人の言い合いを一瞥するとため息交じりに呟いた。

「とにかく、だめったらだめ」

「わからず屋!!」

「わからず屋で結構」

 言葉の応酬が痴話喧嘩のようなってきたあたりで田所は苦笑いをした。

「面談申込手続きはお願いする。だけど、行くのは俺と田所くんだ」

「えぇ、俺ぇ?!」

 突然の指名に、田所は思わず間の抜けた声を上げた。

 小野塚は机の上で両手を組んだまま田所にウインクをした。

 大場はギッと田所を睨みつける。

―― 勘弁してくれよ。

 田所は、内心ぼやいた。意見が対立すると、互いにこの二人は引かない。

「おっと、もうこんな時間か。午後から会議だから俺は昼食を取りに行くよ」

 小野塚は、わざとらしくP-Watchを確認して立ち上がる。完全に逃げる気だ。

「ちょっと待ってください。小野塚さん、だったら俺も一緒に……」

 居た堪れない雰囲気に耐えきれず、田所は縋りつくよう小野塚の背に駆け寄った。

 その肩を思い切り後ろから掴まれる。

 ゆっくりと振り向くとそこには目の据わった大場がいる。

「先輩、今日は私とランチしましょう」

 経験上、後輩の大場がわざわざ自分を『先輩』と呼ぶ時は大抵良いことがない。

 小野塚に救いの目を向ける。

「いやぁ若手のランチ会、仲良しで羨ましいね。じゃあ、またあとで! 」

 小野塚は満面の笑顔で颯爽と執務室を出ていった。心なしか早歩きな気がする。

「じゃ、じゃあ保立さんも一緒に……」

 慌てて、保立を振り返る。保立は田所の視線に気が付くと、やや気まずそうに眼をそむけた。

「すまんな。今日は弁当だ」

 そう言うと、保立は自分の鞄からいそいそと自作の弁当を取り出していた。

 田所の肩を掴んだ大場の手に力が入る。

「行けますよね?」

「……はい」

 年次は自分が上のはずだが、一体いつから力関係が決まったのだろう。

 今日は大場に負けたが、明日こそは威厳を見せてやろうと田所は決心した。


 うづき軒。全国展開の和定食チェーン店。

 四人掛けのテーブル席に案内され、各々席に着いた。大場はこういった和定食が好みらしく、二人でランチとなると大抵はこの店になる。

「決めた?」

 田所はメニューが表示されたタブレットを叩きながら向かいの席に座る大場へ声をかけた。

「鮭の塩焼定食」

「お前、いつもそればっかりだな」

 軽口を叩きながら、タブレットに注文を加える。

「鮭は抗酸化物質があって肌のアンチエイジング効果があるんですよ」

「へぇへぇ意識がお高いことで」

 もちろん自分は意識低く『特盛り唐揚げ定食』だ。田所はお気に入りメニューを指でタップする。

 注文画面を覗き込んだ大場は顔をしかめた。

「ダイエット辞めたんですか?」

「明日から頑張る」

 みなまで言うなと、田所は大場の眼前に右手のひらを見せ、注文完了ボタンを押した。

 大場は、呆れたように溜息をつくとテーブルの上に置かれたお冷に手を伸ばした。

 昼食時のため、店内はそれなりに混雑している。待たされることなく席につけたのは運が良かった。

 大場は一口飲んだお冷をテーブルに置くと、口を開く。

「田所さん、面談の担当ですが私に譲ってください」

―― やっぱりか。

 小野塚は物腰柔らかだが一度決めた事は頑として譲らない性質がある。代わりに自分を懐柔しようとしている寸法なのだろう。

「そうは言っても、俺にそんな権限はねぇよ。係長は小野塚さんだし」

 大場はすぐに田所に頭を下げた。

「お願いします」

 面食らった田所は、驚いて声をあげた。

「えっ……ど、どうしたんだよ。らしくない!顔上げろって!」

 大場は顔を上げない。困った田所は頭を掻きながらどうしたものかと視線を宙に浮かせた。

 視界の端に、少し慌てた様子の店員の姿が目に入る。

「13番テーブルのお客様」

 田所はテーブルに振り分けられた番号を確認し、手を上げた。

「はい」

 ブラウンのエプロンをつけた定員が13テーブル前に立つとおずおずと声を出した。

「申し訳ありません。相席希望の方がおりまして……その、よろしいでしょうか?」

「相席?」

 田所の声に大場が顔を上げた。店内は確かに混雑しているものの他にも空席はある。

 田所と大場は不審そうに顔を見合わせた。店員に続きスーツを着た二十代後半の男がぬっと顔を出した。

「突然すみません。怪しい者じゃないんですよ、こういう者でして」

 そう言うと、懐から警察手帳をちらりと見せてきた。

 田所と大場は、顔を見合わせると無言で頷いた。

「どうぞ」

 そう声をかけると、男は満面の笑顔で田所の隣に腰かけた。

―― よりによって俺の横に座るのかよ。

 パーソナルスペースを侵食され、田所は少々の居心地が悪さを感じた。

 店員はほっとした表情を浮かべると、一つ会釈をして忙しそうにバックヤードへ戻って行った。

 大場は横目でそれを見送ると、向かいに座るスーツの男を鋭い視線で睨みつけた。

「で? おたくはどちらさん?」

 物怖じしない大場のつっけんどんな物言いに、田所は内心はらはらした。

―― 偉い人だったらどうすんだ。

「突然すみません。怪しい者じゃないんですよ、私こういう者でして」

 そういうと男は先ほどの警察低調の中身を開いて見せた。

  警察庁けいさつちょう警備局けいびきょく公安課こうあんか江角えすみこういち

「……公安」

 思わず田所が声に出すと、江角は目を細め警察手帳を閉じる。

 両手を組んで頬杖をすると江角は、大場へと身を乗り出した。

「刑事局捜査一課、二係の大場一恵さん。写真より実物のほうがお綺麗ですね」

「……人の容姿について発言することは、場合によってセクハラに値しますよ」

「手厳しいな。アイスブレイクの一つですよ」

 男は右目の下に二つの黒子を持っていた。大場は名を知られていることに不快感を隠そうともしない。

「それで、ご用件は?」

「話が早くて助かります」

 江角はゆっくりと姿勢を正した。

「矯正医療センターには今後関わらないで下さい」

 大場はじろりと江角を睨んだ。

「なぜ?」

「あなた先日の面談で毎田に何か吹き込みましたね? 彼、服薬を拒否するので、再教育プログラムの進みに支障が出て困っているようなんですよ」

 大場は口の端を釣り上げた。

「あそこの施設に守秘義務なんて無いんですかね?」

「気を悪くしないでください。雑談の延長で耳にしただけです」

 にこやかな対応だが、目の奥は笑っていない。

 江角の横に座る田所は息を飲んだ。公安所属という色眼鏡もあるのだろうが、江角航平という人物に気を許してはいけないという警戒心を感じる。

「江角さんは、矯正医療センターには、よく出入りするんですか?」

 矯正医療センターの管轄は法務局だ。公安がでしゃばるのはおかしい。田所は疑問をそのまま口にした。

「おっと! すいません。それは部外秘です」

 江角は、わざとらしく田所へ掌を突き出すと制止のポーズをしてみせた。

 田所は虚をつかれた。どうにも会話のペースを乱される。江角は意図的にやっているのだろう。

 大場は無言で江角を見つめている。

「もう一度言いますよ。何に違和感を持ったかは知りませんが、この件は我々で請け負います」

 田所は息を飲んだ。これは大場に対する警告だ。やはり、矯正医療センターには何かがあるのだろう。

 大場が突然笑い出した。

「分かりやすい牽制をしてくるじゃないですか。そんなに私が脅威ですか?」

 その言葉に、江角の表情が一瞬消えたのを田所は見逃さなかった。

 視界の端に配膳ロボットが目に入る。

『お待たせいたしました。13番のお客様のご注文のお料理をお届けにまいりました』

 配膳ロボットが、軽快な音楽と共に注文の料理を持ってきた。

 合図とばかりに江角が両手を上げる。

「それでは、ここでお暇させて頂きます」

「えぇ、頼まないんですか?」

 田所が声を上げた。相席を希望しておきながら食事を頼まないとは店に失礼ではないか。

「コールが入ってしまいました」

 そういって江角は、自身の時計型デバイスを笑顔で田所に見せた。

 内心、もう少し引き留めておきたいところだったが、液晶画面には確かに【CALL】の文字がある。

 江角は配膳ロボットを避けるように席から立ち上がった。

「失礼します」

 そういって笑顔で軽く会釈をした。田所と大場も小さく会釈を返す。

『お気をつけてお取りください。お受け取りが完了したら画面に表示されている【受け取り完了】ボタンを教えて下さい』

 料理を受け取るまで何度も繰り返される機械音声に田所ははっと我に返った。

「と、とりあえず食おうぜ」

 田所は、配膳ロボットの備え付けトレーから自身の注文した特盛りから揚げ定食のお盆を手に取る。

 大場も続き鮭の塩焼定食のお盆を取ると【受け取り完了】ボタンを押した。

 なんだかどっと疲れた。大好きな特盛り唐揚げ食の味に今日は集中できそうにない。

 対して大場は、どんどんと箸を進めていく。

「お前……あんな会話した直後に、よく飯が食えるな」

 田所は、呆れたような声を出した。

「そうですね。長年の胸のつかえが少し取れたようで、箸も進みます」

 はぁと田所はため息をついた。何が何やら訳が分からない。

 訳が分からないが、とりあえず面倒ごとに巻き込まれたことだけは分かる。

 そして、小野塚がこの件から大場を遠ざけようとしていることも。

 田所は皿を持ち上げて大場へ唐揚げを差し出した。

「……一個やるよ」

「どうしたんですか? 珍しい」

 大場はそう言いながら、皿へ箸を伸ばした。

「一個だけだからな」


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