#3 - 第4話

 刑事局 捜査一課 二係 執務室

 AIサーマルカメラに顔を寄せ、虹彩認証を済ますと自動扉を開いた。

「ただいま〜」

 ひらひらと掌を振りながら小野塚は執務室に入る。

 室内には、前髪を切りそろえた切長の目の男、保立直純が残っている。

「おかえりなさい。直帰かと思ってました」

「いや〜保立くんは、まだ残ってるかなぁと思って戻って来た。大場は直帰させたよ」

 小野塚は、そう言うと左手に持っていた紙袋から小分けのビニール袋を一つ渡した。

「はい、これお土産」

「なんですか。ん? ……更生……豆腐?」

「売れ筋商品らしいから買って来た」

 そう言いながら、小野塚は執務室の角に設置したミニ冷蔵庫の蓋を開ける。二ヶ月前に二係員で共同購入したものだ。中には既に田所と大きく黒のマジックインクで書かれた500㎖のコーラが入っている。

 小野塚はもう一つの小分け袋から豆腐を取り出して中に入れた。

「なるほど、刑務作業で作られた食品。というか、完全に物見遊山じゃないですか」

「いや、それが大変だったんだよ……」

 小野塚はそう言うと、ミニ冷蔵庫の蓋を閉めた。

「一体何があったんですか?」

 窓を背にした自分のデスクに腰を下ろすと、小野塚は大きくため息をついた。

「……大場を連れて行かなきゃ良かった」

「謹慎明け初日で……もう何かやらかしたんですか。あいつは」

 保立は呆れたように声をあげた。

 小野塚は、違うといったように顔の前で手のひらを左右に振った。

「そういうわけじゃないんだ」

「はぁ」

 保立は、良く分からないといった風に曖昧な相槌を打った。

「毎田孝行はどうだったんですか?」

 保立の質問に、小野塚は、更に大きなため息をつくとデスクに突っ伏した。

「君の言った通り……俺は薮をつついて蛇を出したかも知れないなぁ……」

「不穏なことを言うの、やめてくださいよ」

 保立がギョッとした声を出す。小野塚は突っ伏したまま笑う。肩が揺れていた。

「……毎田は不安定な状態だった。恐らく矯正医療センターで何かをされてる」

「何かって……」

 保立が言い淀む。

「大場が言うには、テラテクトという麻酔分析の一種だと」

「大場が? なぜ大場にそんな事が分かるんですか?」

「お父さんが、その研究の主任だったそうだ」

 保立は口を噤んだ。

「……なるほど。あなたが心配する理由が良く分かりましたよ……」

 小野塚は机から顔を上げた。

「保立くんも、うちのじゃじゃ馬娘をよく見ていてあげてほしい」

「わかりました」

 保立にだけは、大場の過去を軽く共有していた。大場自身は、恐らくそれを望んでいないだろう。

 だが、状況を知るのは自分一人より二人であるほうが最善であると判断した。彼女が犯罪被害者の気持ちに異常にシンクロしてしまう面は、根幹に父親の死があるからだ。

 保立の左腕の時計型電子端末P-Watchが通知音と共に振動する。

 保立は右指で端末を叩き非接触ディスプレイを表示させると、顔をしかめた。

「どうしたの?」

 小野塚が問いかける。

「……大場からメールが来ました」

「なんだって? 」

「矯正医療センターの面談申し込みの方法を、明日教えて欲しいと」

 小野塚はそれを聞くと椅子の背もたれに体重を預けた。

「早速か」

「どうするんですか? 」

「毎田のことは継続して調べる。だけど、大場は担当から外したい」

「同感です」

 小野塚は小さく笑った。保立は相変わらず話が分かる。

 被害者遺族の悲嘆反応は、仕事柄、今までたくさん見て来た。悲しみ、怒り、無駄だと分かっていても、故人への自責感や罪悪感から『あの時こうしていれば』の仮定を考えてしまう。

「本当は、誰よりも自分自身で調べたい気持ちは分かるんだけどね」

「ですが、規範 にありますからね。ルールとして認めるわけにはいかないでしょう」

 小野塚は頷いた。

 犯罪捜査規範 第14条

 被疑者、被害者その他事件の関係者と親族その他特別の関係にある警察官は、その捜査について疑念をいだかれる恐れのある場合、その捜査を回避しなければならない。

 小野塚は、背もたれに身体を預けたまま天井を見上げた。

 格子状に組まれた骨組みに天井板や照明がはめ込まれている。所々、埋まらないクロスワードパズルを連想させた。

 衝撃的な死別を体験した人は、故人が体験した苦痛をまるで自分ごとのように感じる。

「……このために、大場は警察官になったんだろうなぁ…」

 ぽつりと小野塚は呟いた。

 保立はそれには答えず、くるりと小野塚に背を向けた。

「コーヒー淹れます。インスタントですが、飲みますか? 」

「ありがとう。いただくよ」

 小野塚は、保立に礼を言うと椅子から身体を起こした。

 彼女は、亡き父親の生の延長を生きてはいないだろうか。

 それが小野塚には気がかりだった。

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