#3 - 第2話

 東京都特別行政区 矯正医療センター。更生のための特別行政区。

 この郊外地区一帯は防犯環境設計論(CPTED)に徹した作りをしている。

 CEPTEDを考案した犯罪学者のC・レイ・ジェフリーは『犯罪者というものは存在せず、適切な環境構造を与えれば、だれもが犯罪者にも非犯罪者にもなる』と述べた。

 犯罪を管理する最善の方法は、犯罪が生じる環境を操作することだ。

 目的地へ向かう中、何人もの通行人が笑顔で挨拶や会釈をしてくれた。犯罪抑止のための挨拶運動を徹底しているのだろう。

 更生施設があるというネガティブイメージに反して、住人の当事者意識の高さに驚かされた。

 

 重厚な鉄扉の前に立つと、自律移動型の警備案内ロボットが気配を検知し近付いて来る。

 埋め込まれたタッチパネルディスプレイにメニューが表示された。

 長身の小野塚はやや腰を屈めると、指で該当メニューにタッチをした。

『面会のご予定ですね。入館コードのご提示をお願いします』

 男性を模した機械音声が流暢に案内をする。小野塚は左腕についた時計型電子デバイスを起動させると事前に保立に手配してもらったコードをタッチパネルに翳した。

 高い塀の中に規則正しく並べられた大きな白箱は、清潔感を持って屹立している。

「まるで大きな冷やっこですね」

 大場はその施設の姿を冷えた豆腐の姿に喩えた。

「昨年、施設の壁面の塗り替えしたばかりらしいから、余計にそう見えるね」

 事前に目を通しておいた施設パンフレットの情報を小野塚は笑いながら伝える。

『ご提示ありがとうございます。面会室までご案内いたします』

 重厚な鉄扉が折り畳まれるように持ち上がり、警備案内ロボットが先陣を歩く。

「いやぁ、受理されてよかった。流石は保立くん、調整がうまいもんだ」

 小野塚はロボットの後に続きながら、この場にはいない保立を褒める。

「秘書とか向いてそうですよね」

 小野塚の背に大場も同意の意を示した。

「俺もそう思う。けど、彼にはこのまま警察官でいて欲しいから転職は反対だな」

 保立には無理を言って面談の日程調整を依頼した。

 法務局に出向している複数の同期から、小野塚は気になる話を聞いた。この施設の再教育プログラムを受けると趣味、嗜好、行動まで別人のようになるという。

 まるで社会に誂えたようだ。と、彼らは口々にそう言っていた。

「それは、プログラムが成功だったということではないんですか?」

 保立はそう言ったが、一度芽生えてしまった疑念は自分の目で確認したい性分だ。

 長い清潔感のある廊下の白壁には、転倒防止の手すりがずっと先まで設けられている。

 向かいから、手すりにもたれ掛かりながらゆっくりと歩く老人と付き添い職員の姿が見えた。すれ違うと職員は笑顔で挨拶をし、老人は歯のない口をぱくぱくさせながら掠れた弱弱しい声をあげ会釈をした。

 現在、収容されている人員の約4割は高齢者だ。

 高齢者に関しては、健康の保持や回復など厚生以前の問題が浮き彫りになってくる。

 国民の反対意見の声が未だ減らないのも、これらはすべて国費で賄われているからだ。データとして知ってはいたが、実際に目にするのはまた違う。

 老人と職員に会釈を返し、しばらく歩くと警備案内ロボットが身体を半回転させた。ドア横の備え付けタブレットに、本日の面会コードを転写する。

 解除音が鳴ると自動扉が開いた。

 中央にアクリル板の仕切りがついた机を据えた室内に通された。

『椅子におかけになって、もう少々お待ちください』

 警備案内ロボットは、プログラムされた言葉を発声すると速やかに退出した。

 部屋にはあらかじめ椅子が二脚用意してある。小野塚と大場はそれぞれに腰掛けた。

 2分ほどして対面のアクリル板の奥の部屋のドアノブが回った。上下グレーの作業着を着た男が白衣の職員と共連れで入室する。

 陰鬱そうな髪は短く切り揃えられていたものの間違いない。

 分類:1(エ365864-M)毎田まいだ 孝行たかゆき本人だった。

 毎田は、ゆっくりと着席した。

 席に着いたのを見計らい、小野塚は笑顔を作ると毎田へ声をかけた。

「その後、調子はいかがですか?」

 正面に腰掛けた毎田は小野塚を静かに見つめている。

「特に変わりありません」

「それは安心しました」

 いくら職員が同席しているとはいえ、発言を控えすぎではないか。

 それとも何か発言を制限されているのか、ちらりと小野塚は背後に立つ白衣の職員を見た。

 職員は小野塚の視線に気が付き一瞬視線を向けたが、すぐに直立不動の基本姿勢に戻ってしまった。

 その後も持ち時間ギリギリまでいくつかの質問をして粘ってはみたが、毎田は虚ろな目をしたまま機械的な返事を返すばかりで、結果は暖簾に腕押しだった。

 そもそも不規則発言を期待する方がおかしいのかもしれない。彼から得られる情報は、すべてこの社会にとっての正解であり理想的なものだった。

「そろそろ」

 職員が小声で毎田の肩越しに声を掛ける。毎田はゆっくりと椅子から腰を上げた。

 タイムリミットだ。

 面会時間終了の合図と言わんばかりに先程の警備案内ロボットが迎えにきた。

 だが、毎田は棒立ちのまま動かない。自然と着席をしたままの小野塚と大場を見下ろすような形となった。

 奇妙な反応に小野塚は、アクリル板に身を近づけた。よく見ると毎田の両の眼球が痙攣したように激しく動き揺れている。

「眼振だ!」

 小野塚が立ち上がり声をあげる。ドア越しまで移動していた職員が慌てて振り返った。

 毎田は、かくんと、膝から力が抜けたようにバランスを崩した。アクリル板に額を強く打ちつける。

 室内に大きな衝撃音が響いた。

 アクリル板に額を押し付けたまま微動だにしない。かすかに開いた口から一筋の唾液が伸びていく。

「……テ……ラ……テクト……」

 掠れた声で譫言のように何かを呟いた。

 良く聞き取れなかった。横にいる大場は瞠目したまま立ち尽くしている。

 職員が慌てて、両手を拘束された男の脇に腕を入れすぐに抱き起こす。勢いよく背を反らした毎田の表情を正面から見据える形となった。

 焦点の合っていない虚な目は、ぼんやりと左右小さく、ここはどこかと首振り確認をする。

 正面に頭の位置を戻すと毎田は驚いたように目を見開いた。

「お前は……あの時の女刑事……」

 まるで、今はじめて認識をしたような反応に小野塚は顔をしかめた。

「クソッ……何だ、これは……おい! 離せ! 離せぇ!」

 羽交い絞めにされた毎田は拘束を振りほどこうと、乱暴に上半身を捻った。

「わっ」

 小柄な職員は小さく悲鳴を上げると、パイプ椅子と共に塩ビシートの床に頭から転倒した。「大丈夫ですか! 」

 慌てて倒れた職員に、小野塚は隔てたアクリル板ごしに大きな声で声をかけた。打ち所が悪かったようで、職員は倒れたまま返事をしない。

「大変だ。意識を失っているみたいだ」

 小野塚は側の警備案内ロボットの液晶パネルを叩いた。急いで緊急時の項目を探す。

「人を呼ぶんですか?」

「当たり前だろ!」

 思わず語気が強くなる。すぐに警備案内ロボットの液晶パネルの【緊急呼出】のボタンを押下した。

 大場は小さく舌打ちすると、アクリル板に駆け寄った。

「毎田孝行!」

 大場が声を上げると、毎田は無言のまま敵意の視線を大場へ投げつける。

「テラテクト。あんた、さっきそう言ったわよね?」

「……お前」

 毎田は驚いたように目を見開いた。

「私はそれが何かを知ってる 」

 そこまで言うと大場は倒れた職員を横目で確認する仕草をした。つられるように毎田も背後を確認する。

 職員はまだ意識を取り戻さない。

「今のあんたに監視は付いていない。応援が来るまで知っていることを話して」

── 一体、何が起きてるんだ。

 異様な雰囲気に吞まれながら、小野塚は大場の言葉に耳を傾ける。

「大丈夫。私があんたの助けになる」

 口元に笑みをを浮かべながら、大場は爛々と目を輝かせていた。


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