#3 - 第1話
紅紫色の花を下向きに大きく広げ、早春の里山をカタクリの花がいち早く彩っている。
森林の荒廃により一時期は絶滅危惧種の指定を受けていた。コンパクトシティ推進政策により、手付かずとなった東京郊外の自然が再生したのは皮肉な話だ。
立ち並んだ木々の中から樹高3m程度のハナミズキの木を見つけ、足を止めた。
幹へ手を当てる。ハナミズキの総苞片が薄紅色に色付くのは、もう少し先だろうか。
区画が完全に整理されているわけではない。申し訳程度に置かれた小さな石のプレートには『
線香もお供えもない。果たしてこれを『墓参り』と呼んでいいものか。
少子高齢化を極めた多死社会の今、霊園と火葬場は慢性的に不足している。恐らく残される娘を案じたのだろう。費用や管理の負担から父はさっさと有機還元葬の契約をしていた。
四十九日を経てカプセルの中で分解された遺体は760リットルの堆肥となった。
額にうっすらと滲んだ汗を手持ちのハンカチで軽く拭う。晴れ間の日差しは暖かい。
自分より背の高い木を見上げると、視界の端に雑木林を歩く男の姿を捉えた。
グレージュのステンカラーコートを羽織った長身の男は視線に気がつくと目を泳がせた。
大場の直属の上司。警察庁 刑事局 捜査一課 二係 係長の
「何してるんですか? 小野塚さん」
名指して声を掛けると、観念したように苦笑いをした。小野塚は早歩きで歩を進めた。
「君こそ何してるんだ。七日間の謹慎中だろ」
その言葉に大場は口をへの字に曲げた。
先日起きた背後からの殴打による連続殺人事件。犯人は既知の友人だった。
凶器を持った犯人と贖罪から殺されたがっていた被害者。双方合意の『殺人』が救いになるのではと、気づけば一時的に武装を解除していた。
一次的な気の緩みだ。下手をすれば殺人を後押しする結果となった。
その対応のまずさから大場は七日間の謹慎処分を受けていた。
「……きちんと謹慎してましたよ」
嘘は言っていない。昨日までは確かに自宅で待機をしていた。
「今日が七日目。つまり自宅待機中の君がここにいるのは、おかしいんだけどな……」
小野塚は斜面を登りきると大場の横に並んだ。大場は横目でちらりと彼を見る。
「小野塚さんが、ここにいるのもおかしいと思いますけどね」
小野塚が、ぐっと押し黙る。
春風が、少し汗ばんだ身体を通り抜けた。
大場は静かに目を伏せる。
「で、父の死因についてどう思ったんですか?」
「えぇ……」
小野塚は困ったように眉根を寄せてみせた。
「あなたのことです。ある程度は調べてここに来たんでしょう?」
小野塚は答えなかった。返答の代わりに膝をつきプレートを前に両手を合わせた。
「もし、あれが自殺なら……」
その背にぽつりと呟いた。続きは、すぐに言葉にならなかった。
両手を合わせた小野塚が視線を上げる。
「……自殺なら、逆立ちして指で引きずった跡をつけながら飛び降りないといけないね」
小野塚は静かに言葉を繋いだ。大場は俯いたまま唇を噛む。
高層ビルからの転落。
黄色の規制テープに囲われた先の肉体は幸いにも原型を留めていた。
両指の爪先すべてに擦り傷があった。コンクリートに飛び散った血と脳漿は、局地的大雨により、すぐに洗い流された。
11月11日。その日は14歳の誕生日だった。
「調べたら、居ても立っても居られなくなった」
小野塚の言葉に、はっと現実に引き戻される。
「だから、その、今すぐに出来ることは、お墓参りだと思って……」
この人らしいなと思いながら、大場は苦笑した。
「お節介ですね。本当に」
「それは……すみません」
大場が苦言を呈すると、小野塚も自覚はあるようで心底申し訳なさそうな声をあげた。
その姿がやけに可笑しくて、少しだけ口角が上がる。
父の交友関係は狭かった。娘から見てもあまり人付き合いが得意ではなかったように思う。この場に来る人間は、今では自分以外にそういない。
「ありがとうございます」
しゃがんだままの小野塚が、大場の顔を見上げた。
「父も喜んでいると思います」
自然と頬が緩んだ。
小野塚は一瞬、呆けた表情を浮かべると、すぐにはっとした様子で慌てて立ち上がった。
「その……」
歯切れ悪く口籠った小野塚は、すぐに大場に向き合った。
「君は、そうやって笑っているほうが良いね」
小野塚は笑うと眉が八の字になる。
大場は一瞬面食らうと、視線を逸らした。心なしか顔が熱い気がする。
「ど、どういう意味ですか」
「言葉通りの意味だよ」
そう言うと、小野塚は屈託の無い笑顔を浮かべた。
鮮やかな新緑の間に快い風が吹き、葉擦れの音と温かい木漏れ日が差し込んだ。
少しだけ目を細めると小野塚は穏やかに呟いた。
「良いところだね」
「……そうかもしれません」
景色にこんなに意識を向けたのは、はじめてかもしれなかった。
小野塚の側にいると、不思議といつもの景色が違って見える。
突然の強い暖風に肩までの髪が巻き上がった。慌てて髪を押さえると聞き馴染みのあるコール音が耳に入る。左腕につけた自分の時計型電子デバイスP-watchだ。
すぐに液晶画面を確認する。
音は鳴っていない。何の反応もなしだ。
顔を上げると、小野塚が困ったように片手を上げた。
「ごめん、俺だ」
そう言うと、小野塚は左手のデバイスを操作しスピーカーモードで応答ボタンを押した。
非接触ディスプレイには【
警察庁 刑事局 捜査一課 二係 サブリーダー的な存在だ。
『お疲れ様です。非番の日にすみません』
「いや、大丈夫だよ。どうしたの?」
『希望していた矯正医療センターの面談ですが、最短で明日とのことです。どうしますか?』
小野塚は、ちらりと大場に視線を向けた。
「ちょっと待って。 今ちょうど横にいるんだ。聞いてみる」
『え? はぁ、ちょっ』
驚いた声を上げる保立の音声が途中で途切れた。
「明日、謹慎明け早々悪いけど、一緒に来てもらいたところがあるんだ。 いいかな? 」
「分かりました」
「よし、決まりだ」
小野塚はそう言って笑うと、保留ボタンをオンにした。
「大丈夫だって。明日は大場と俺の二名で申し込んでおいてくれ」
『……分かりました。しかし、大場は真面目に謹慎してるんですか?』
通話口から保立の不審がるような声が聞こえる。
小野塚は、しまったというような顔をした。大場は思わず顔をしかめる。
「えぇと、その」
小野塚が、通話口で言い淀む。
生真面目な保立のことだ。これから長い叱責の言葉を浴びると思うと大場は少しだけ気が重かった。
『まぁ……元気ならいいですよ』
保立の声に驚いて大場は目を丸くした。小野塚は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「……心配してたもんね」
「いや、違っ……とにかく、もう切りますよ。先方に回答を待ってもらっているので」
「はいはい」
『あと、横にいるんだったら謹慎は今日までだと大場に間違えるなと伝えてくださいよ』
「はいはい」
『「はい」は一回でしょう!』
「は~い」
苛々した様子の保立の声と飄々とした小野塚の会話が聞こえる。
暖かい春の微風が優しく頬を撫でる。
どこかくすぐったさを感じたが、不思議と居心地が悪くなかった。
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