#2 - 第12話

 鬱蒼と茂るツルヨシの群落をかき分ける。

 数時間前に降った雨により、ぬかるんだ土がヒール押さえつけて足止めするが、構わず大場は両足を前に出して河原へと降りていく。

 電子タグ識別番号:分類:1(ア157923-M3)【秘匿事項】氏名:ほしうら たかひろ 26歳。

 小野塚から電子タグの情報が送られてきた。3人目の被害者になる可能性の男。

 急ぎタグ追跡を開始した。越子と接触する最悪の可能性が高い。

 走りながら様々な記憶が逡巡する。

 学生の頃、人手が足らないからと炊き出しに連れて行かれた。寒空の下で、貰えるか分からないおにぎり一つのために長蛇の列が出来るのだ。当時はまだ10代だった。自分のような小娘に物を貰うというのも人によっては嫌だっただろう。

 その帰り道、愛子が教えてくれた。

「いいかい、ホームレスなんて人間はいないんだよ。それはただの状態を指すんだ。色んな要因が重なって、たまたま今そういう状態になっているだけ……」

 その通りだと思った。当時未成年だった大場は父親が死んで天涯孤独の身。

 愛子の温情で居酒屋内海に下宿させてもらっていた。家においてもらえなければ、その日の炊き出しの場にいたのは自分かもしれなかった。

 直立した四つの石が目に入り、目を凝らすと四つ目の石に『ミケ』の文字がある。

『心配しないで。ミケをきちんと看取ったら、私も今後の身の振りを考えるから』

 早朝の居酒屋内海で越子と話した記憶を思い出す。

──凶行のきっかけは……ミケを看取ったから?

 大場が墓石から目を離すと遠目に二つの人影が見えた。

 右手に膨れた白いビニール袋を持っている越子と、その目の前に跪く男の姿。

 左腕のP-Watchが【タグ情報一致】とのアラートを出した。

 星浦貴太だ。一瞬で頭が冴える。

「えっちゃん、やめて!」

 気付くと弾かれるように全速力で駆けていた。

「あらぁ……」

 その声に驚いたように越子は目を丸くして感嘆の声を上げた。

 大場は、ジャケット下に忍ばせていたホルスターから麻酔銃を取り出した。

「お願い。その凶器を下して!」

 懇願するように越子へ叫ぶ。越子は81歳と高齢だ。

 万が一、麻酔銃を撃つとなったら容態が急変するリスクが高い。

「……止めないでください。」

 越子の前に跪く貴太が、弱弱しく言葉を発した。

 大場は、怪訝な表情を浮かべる。

「そうはいきません。あなたを保護するよう私は指示を受けています。星浦貴太さん」

「保護? また父さんか? あいつ……僕と向き合う気なんてないくせに……」

 吐き捨てるようにつぶやいた貴太の言葉に、大場は既視感を覚えた。

「……僕は死にたいんだ!」

 貴太は癇癪を起こしたように声を張上げる。感情が昂っており不安定な状態だ。

── 貴太を撃とうか? 

 大場は麻酔銃を構えたまま思案を巡らせる。

 だが、意識を失った直後に越子が凶器を叩き込んだらどうする?

 音声通信はオンにしている。状況を鑑みて、まずそうならば応援に来てくれるはずだ。

 何とか二人を刺激せず、会話を続けて時間稼ぎをするしかない。

「貴太さんは、どうして死にたいんですか?」

 大場の言葉に、貴太は一瞬たじろいだ。

「……ひ、ひ、人を殺した。その重みにもう僕は耐えきれそうにありません……」

「それが殺人です。償いもせず、それは逃げではないのですか? 」

「父さんが、償わせてくれないんだよ! 」

 贖罪の機会を失った子は、河川敷の石の上に膝をつき、赤子のように泣き始めた。

「だから今日……こうやって僕は……殺されに来たんだ……」

 貴太の嗚咽を聞いていると、それ以上、彼を糾弾する気も起きなかった。

 越子もそれは同じだったようだ。困ったような様子で大場と顔を見合わせる。

「ねぇ、一恵ちゃん……この坊やを殺すのを見逃してくれないかしら?」

 同情を含んだ穏やかな声。だが、そこには殺意が内包されている。

 大場は、かぶりを振った。

「……どうして二人も殺したの?」

 射貫くような大場の視線。越子は眩しそうに眼を細めた。

「そうねぇ……生前整理ってところかしら?」

 越子は世間話でもするような口調で、ぽつりと呟いた。

敬之のりゆきさんに託されていたからミケたちのために頑張って生きてきた。だけど、一週間前に死んでしまってね。そうしたらね。私の生きる理由が無くなっちゃった」

 ── 喪失感。

 大場は、冷蔵庫に眠る不格好な苺のホールケーキを思い出した。

「そしてね、こうも思ったの。一生のうちで何か一つでも自分の力で達成したことがあったかって」

「そして選んだのが、殺人なの?」

「無いのよ」

 元劇団員らしく、よく通る声だった。

 悦子は続けて、卑屈な笑みを浮かべる。

「いつも途中で誰かに取り上げられる。私には選択肢なんて無い。だから私は今でもホームレスなの」

 大場は唇を噛んだ。自分の言葉がこうまで越子に届かないことが悔しかった。人に届かなければそれは助けでもなんでもない。だが、その状態からの脱却を心から願っていた。選択肢を提示していたつもりだった。

「あなたに、もう人は殺してほしくない」

「……頑固なお婆さんで、ごめんねぇ……」

 越子は心底申し訳なさそうな表情を浮かべると弱々しい笑顔を作った。

「お願い。私も敬之のりゆきさんのために出来ることって、もうこれしか思いつかないのよ……」

 大場は目を見開いた。

 麻酔銃を構えていたはずの両腕が、気付けばゆっくりと下りていた。

 越子は優しく微笑むと、石を詰めたビニール袋を振り上げる。

 軌道はスローモーションに弧線を描く。

 乾いた石と石が、おはじきのように弾き合う音が河原に響いた。

 次の瞬間、黒縄を巻き付けた状態で、貴太たかひろが背中を丸めた状態で引きずられていた。

 縄の端は……大急ぎで走ってきたのだろう。肩で息をした小野塚が握っていた。

 大場が視線を先に向けると、右手首を抑えた越子がいた。

 銀のボールは凶器を逃さないよう歪な形で凶器の袋をがっちりとホールドしていた。

 球型きゅうがた 追跡ついせき装置付きそうちつき手錠てじょう

 投擲することにより、内部に追跡装置が対象を補足、拘束する球型の手錠だ。

 大場が後ろを振り向くと、青い顔をした保立がいた。手錠を投げたのは彼のようだ。

 揃いのジャケットを着た警察官たちに囲まれ、越子は観念したように天を仰いだ。

「仕事も劇団も人生も……結局、私はどれも中途半端ね……」

 そう言って白髪の頭の項を垂れて、大場へゆっくりと向き合った。

「同じ手錠をかけられるのなら、あなたがいいわ」

 そう言うと、苦労の刻まれた荒れた両手を差し出した。

 ぽつりと、大場の肩に雨粒が落ちた。

 3月下旬から4月上旬に降り続く雨は、さいと呼ぶ。

『菜の花や色々な花を咲かせるという意味でさいと呼ぶんだよ』

 そう父親の誠司が教えてくれた。

 大場はジャケットのポケットから手錠取り出すと、越子の手首にゆっくりと押し当てた。銀のボールはすぐに形状を変え両腕を固定する。

 雨はどうにも苦手だ。色々なことを思い出す。

 そういえば、父が死んだ日も雨が降った。

 昔から雨男なのだ。


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