#2 - 第9話
日々のニュースは、被害者、加害者共に名前を伏せて報道される。
名前は、唯一の存在であることの証。実名報道は、国民の知る権利に奉仕するための責務の一環であるというメディアの言説もあるが、群衆の中にいる一人としての『ワン・オブ・ゼム』をこの国は選んだ。
二係の執務室の自動ドアが開く音が聞こえる。
顔を上げると、仏頂面の臼井が脇に大きな茶封筒を挟んだまま入室してきた。
「例の河川敷ホームレス殺人事件の裁判記録だ」
「わざわざすみません」
へらりと笑い、小野塚は椅子から腰を上げて手を伸ばす。
手渡す直前に茶封筒を、臼井は、ひょいと持ち上げた。
面食らった表情を浮かべた小野塚に、臼井は大きく咳祓いをした。
「紙の資料なのは、情報閲覧後に必ず破棄しろという意味だ」
「あぁ」
小野塚は小さく声を漏らすと、苦笑した。
「わかりました。ホームレス支援の主幹局の局長の息子が関わっているとしたら信用問題ですからね」
臼井は、眉間に刻まれた皺を更に深くする。
「……調べたのか」
「閲覧制限がありましたが、なんとか」
臼井は溜息をついた。
「……お前の正義感は立派だが、行き過ぎると身を滅ぼすぞ」
一寸、目線を左上に動かすと、小野塚はすぐに笑顔を作った。
「大丈夫です。行き過ぎた正義は独善になると、過去に身をもって学びました」
「そうだといいが」
臼井から茶封筒を受け取ると、小野塚は資料を取り出した。
電子タグ識別番号:分類:1(ア157923-M1)
【秘匿事項】氏名:
電子タグ識別番号:分類:1(ア157923-M2)
【秘匿事項】氏名:
判決:矯正医療センターに五年の措置入院を命ず。
電子タグ識別番号:分類:1(ア157923-M3)
【秘匿事項】氏名:
不起訴処分。暴行を共謀した事実が認められないため。
「三名の中、一名が不起訴処分ですか……。あからさますぎるというか……」
小野塚が呆れたような声を出すと、臼井も吐き捨てるようにそれに同意した。
「情けない話だ。そして今も七年前と変わらん」
「……己の保身に走るばかりに、第二の死者を出してしまいましたからね……」
「あぁ。他局に忖度して開示請求を突っ張ねたからこうなった。二件目は防げたんだ」
小野塚は怒りで震える臼井の右拳を視界の端で捉えた。
若手時代、臼井に仕事を教わり世話になった。
不義理に対してきちんと怒りを表明できるこの男が今の上司で良かったと思う。
「次の標的は局長の息子、
「そうだな。三件目はなんとしても防がなければ」
小野塚の左手の時計型電子デバイスP-watchが、突然コール音を鳴らす。
液晶画面には【情報管理部】の表示だ。
臼井に断りの合図を出し、すぐに応答ボタンを押すと、慌てたような声が聞こえた。
「お疲れ様です。情報管理部オペレーターです。情報閲覧解除の件で直接お話ししたいと転送依頼が来ています。このままお繋ぎしてもよろしいでしょうか」
「構いません。どうぞ」
「あ、ありがとうございます。ではお繋ぎします」
オペレーターは転送元の人物の名前を出さない。どうやら大物が釣れたようだ。
数秒待つと、小さく咳ばらいをする声が聞こえた。
「
さすがにこれには小野塚も虚を突かれた。局長直々の連絡だ。
通話口で息を吸う音が聞こえた。
「……息子が、息子がいなくなりました」
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